3.結婚の真相

 ***


「分身しろ……?」


 ウィルクトリア軍演習地。準備を終えてテントから出たヴァンは、今度は軍のトップである総帥に理不尽な指令を出されていた。


「そうだ。本日の演習には三万のファクター兵が参加する。お前は三万人に分身し、全員と一対一で戦闘しろ」

「……俺の戦闘力は三万分の一になりますよ?」

「お前の魔力は桁が違う。であれば桁を揃えようじゃないか」


 ヴァンはいい加減うんざりして肩をすくめた。つい先程ドレイクに不公平な賭けを強いられたばかりだし、応じた途端にこうして条件を上乗せだ。少しでも勝率を高めようという肚らしい。


「結託して嫌がらせとは……。ドレイク大将との打ち合わせはさぞ盛り上がったでしょうね」

「何のことだね?」


 総帥はうそぶいてみせる。露骨にニヤついた表情を見る限り、本気で隠そうとはしていないようだ。


 流石に苛立ちが募ってきた。ヴァンは一度冷静になるべく、平和な家庭で過ごしている方の自分に記憶の交換を要請する。即座にジルーナとのイチャイチャの模様が届けられ、ヴァンの感情メーターは憤りから幸せに一気に反転した。


「な、何だその顔は。急にニヤけるな」

「あ、それはすみません」


 こんなギスギスした空気も構わずに綻んでしまった。やはりウチの妻は最高だ。


「ヴァン、黙って分身しろ。兵を鍛え上げるには有効だろう? このウィルクトリアは国防力を高めなければならないのだ。三百年にも渡って邪悪な他国から狙われ続けているのだからな」


 総帥の言い草に、ヴァンは引っ掛かりを覚えた。


「この国が狙われているのは、三百年にも渡って世界中から財産や資源を奪い続けているからです。スナキア家が居れば世界が徒党を組んでかかってきても制圧できるからと、やりたい放題じゃないですか」


 スナキア家という圧倒的戦力を背景に横暴の限りを尽くす世界の暴君。それがこのウィルクトリアという国家だ。


「かつての世界大戦の賠償金を徴収しているに過ぎない。ウィルクトリアがいかに理不尽に蹂躙されたか知らないわけではあるまい。奴らには払う義務がある」

「確かにあの戦争は悲惨なものでしたが……、もう約束の五千倍も払わせているんですよ?」


 総帥は嘆息し、諭すような声音で釈明する。


「……賠償金については止むを得ないことだ。この国の経済はその金で成立しているのだからな。全国民に生活費が支給され、労働は義務ではなく趣味だ。我々のような働き者は少ない」


 改めて、なんと歪んだ国家構造だとヴァンは呆れる。


 スナキア家の威を借りて他国から富を奪う。

 その金で国民は働かずに呑気に暮らす。

 世界が復讐を企ててもスナキア家が防ぐ。


 外交・経済・国防は全部スナキア家に依存しているのだ。もしウィルクトリアがスナキア家を失えば、財政が破綻するばかりか全世界から報復攻撃を受けるだろう。軍だけではとても守り切れない。


「ヴァン、お前は絶対に後継を残さねばならん。だからこそ政府はわざわざ法を改正してまでお前に一夫多妻を認めたというのに……。なぜお前はビースティアとばかり!」

「仕方ないじゃないですか。俺は猫耳と尻尾があるビースティアしか愛せないんです」

「あ、愛などと言っている場合か! 立場を考えてくれ!」


 理不尽な言い草だが、あちらの言わんとすることも分かる。ヴァンが後継を残さなければこの国の六百万の命が露と消えるのだから。国民からすればヴァンは国を見捨てて性癖を優先したサイコな変態だ。


 ────だが、ヴァンにも止むに止まれぬ事情がある。


(愛こそ最も重要なんだよ……! スナキア家の力を継承できるのは愛する人との子どもだけなんだ……!)


 ヴァンに宿る膨大な魔力は、愛する人との間に生まれた子どもにしか受け渡せないという厄介な条件がある。そしてビースティアフェチという性癖を持って生まれてしまったヴァンはビースティアしか愛せない。だがファクターであるヴァンはビースティアと子どもを作れない。



 つまり、スナキア家の滅亡はすでに確定している。



「ヴァン! 頼むから子どもを作ってくれ! ああもう、セックスしまくれ馬鹿野郎!」

「くっ……!」


 国民はこの事実を知らない。知られるわけにはいかないのだ。スナキア家の滅亡は世界のパワーバランスの崩壊と同義。他国はヴァンの死に備えてこの国に攻め込む準備をせっせと進め、この国だって「やられる前にやってやる!」と派手な世界大戦をおっ始めるだろう。


 今はまだヴァンが単に後継を「作らず」遊び呆けているだけだと思われている。それに、他国からの搾取が主要産業であるこの国が他国を滅ぼすのは自殺行為であり、戦争は望むところではない。だが、「作れない」と知られてしまえば最終手段に出るしかなくなるだろう。


(俺の性癖のせいでこの国どころか人類が滅びるかもしれない……! それだけは避けなければ!)


 ヴァンは世界を救いたかった。ヴァンにできることはたった一つ。それがビースティアとの重婚である。


「ビースティアとだって可能性が全くない訳ではないじゃないですか」

「ば、バカな。現実的な確率でなければゼロと同じだ」


 「ファクターとビースティアとの間には子どもができない」。これは正確ではない。実際には歴史上で六例だけ実現したケースがあるのだ。確率は何百分の一、何千分の一、下手をすれば何億分の一かもしれない。だがヴァンは、もはやその奇跡に期待するしかない。


 少しでも確率を高めるため複数の女性と結ばれ、分身魔法を利用して八人の妻と毎晩毎晩励んでいる。言われなくてもセックスはしまくっている。誰よりもである!


「俺はビースティア以外の種族と結婚する気はありません。俺が変わるのではなく、皆さんが変わればいいんです」


 そしてヴァンはあえてビースティアとの結婚を公表し、居直り、妻への愛を堂々と貫いている。国民によるお膳立てである一夫多妻制を悪用する奔放な変態として振る舞う。これは国民を扇動するためだ。この歪んだ国家を変える方向に。


「搾取を前提とした経済を立て直し、他国との関係を改善し、世界中に狙われる暴君の座から降りれば済む話です。そうなればもうスナキア家の加護は不要じゃないですか」


 ヴァンがこんな態度を取れば国民は国家改革を急がざるを得ない。ヴァンは悪役を演じることでこの国をスナキア家に依存しない正しい方向へ導こうとしているのだ。もしこの企みが成功すれば、このまま後継が生まれなくても問題ない。


 ビースティアとの結婚は後継誕生と国家改造を睨んだ一石二鳥の策。この作戦に一つだけ欠点があるとすれば、ヴァンがこの国の守護者でありながら国中に嫌われることだ。


 だが、それは構わない。結果的にこの国が救われるなら。戦争を仕掛ける理由も仕掛けられる理由もない平和な国家になってくれるなら。


(どれだけ嫌われようと帳消しになるくらい妻たちに愛してもらっているしな……)


 妻の支えもある。だからヴァンは無敵だ。


「まったく……どうしてしまったんだお前は。結婚する前のお前は国民の信頼が厚い真っ当な男だっただろう? それをここまで歪ませてしまうとは……。とんでもない傾国の魔女たちだ」


 ────総帥の暴言に、ヴァンの表情が凍りつく。自分が批判されるのは構わない。全軍を挙げて攻撃して来ようが粛々と受け止めよう。


 だが、妻を侮辱するのは許せなかった。


 彼女たちは世界の終末を防ぐためヴァンと共に秘密を抱え、健気にヴァンに連れ添ってくれる偉大な妻だ。批判の矛先が妻に向かうなら何としても守り抜くのがヴァンの使命。


「妻を、何と言った……?」


 ヴァンの膨大な魔力が右掌で渦を巻く。

 禍々しい光を帯びる。

 星が割れる予兆のような地響き。


 風が吹き荒れ、ヴァンが過ごした簡易テントは薙ぎ倒される。それどころか、演習地の空を覆っていた陰鬱な雲がすっかり消え去った。朱に染まりつつある晴天の下で、ヴァンは怒りを滾らせた。


「あ、相変わらず、何という力だ……!」


 あまりの威圧感に総帥はその場に立っていることすらできず、無様に尻餅をついた。


「分身の件、受けて立ちましょう。……徹底的に打ちのめします」


 これはもはや演習などではない。ヴァンと国の真剣勝負だ。

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