6.最大の政敵

 ***


 ウィルクトリア国、総理大臣執務室。


 仰々しいデスクに鎮座する老人は、世界を支配するこの国のトップに君臨する男。アシュノット総理大臣である。


「何の御用ですか? 総理」


 ヴァンは警戒心と敵愾心を剥き出しに問いかける。アシュノット総理こそ「世界から財産を搾取して働かずに暮らす」という歪んだ国家体制の推進者であり、ヴァンにとって最大の政敵である。彼が政権を握っている限りこの国は変わらない。


 そして総理にとってもヴァンは最大の頭痛の種である。ヴァンが後継を作らなければ現体制は維持できない。彼は誰よりもスナキア家の繁栄を望み、ヴァンに一夫多妻の権利を与えた張本人だ。ビースティアとばかり結ばれるヴァンに圧力をかけてくるとしたら彼が最有力候補となる。


「ハハ、急に済まないねヴァン君。詳しい話をする前にひとまず分身をこの国の上空に送ってくれないか?」


 総理はヴァンを嘲笑うかのように飄々とした態度で気さくに語る。


「上空に?」

「ミサイルが飛んできてるんだよ。このウィルクトリアの首都めがけてね」

「⁉︎」


 ヴァンは言われるまま上空に分身を派遣するしかなかった。こちらに残ったヴァンが仔細を聴取する。


「発射したのはネイルド共和国だ。ミサイル基地に不穏な動きがあったのを衛星が感知してね」

「……?」


 ヴァンは国家の守護者として衛星の情報を常に得ている立場だ。緊急事態に備えて待機している分身が他国の動向を常にチェックしている。その分身からは何の報告もなかった。


「しかもそのミサイルが厄介でね。レーダーには一切映らないんだそうだ。どんな軌道や高度で飛んでくるか予想できない。本当に困ったものだよ」

「本当ですか……?」

「ハハ、疑いたくなる気持ちもわかるがね。他国は魔導士・ファクターという戦力を持たない分、科学兵器の発展に力を入れている。我々の想定を超えても無理はないだろう?」


 アシュノット総理はまるで用意しておいたかのようにつらつらと語る。


「遠距離ミサイルはこの孤立した島国を攻撃する唯一の手段だよ。戦艦や戦闘機なんてファクター兵数名で沈められるからね。そりゃあっちだって必死に強力なミサイルを開発するさ」


 嘘だと言い切ってやりたいところだ。だが総理は恐ろしく老獪な男。他国を脅し、本当に撃たせた可能性も否定できない。自国に攻撃をさせるなど国家元首としてあるまじき行為だが、どうせヴァンが防ぐから構わないと割り切ってしまう大胆さも持ち合わせている。何より彼は、ヴァンに後継を残させるためには手段を選ばない。


「どれだけの速さで飛んでくるかも分からないが、ネイルド共和国との距離からすると遅くとも数十分以内に着弾してしまうだろう。ヴァン君、君だけが頼りだ。分身を多重展開しミサイルを迎撃してくれないか?」

「レーダーに映らないということは、俺が目視で見つけ出さなければなりませんよね?」

「そうなるねぇ。でも君ならできるだろう? この国の周囲に数百メートルおきに分身を待機させて巨大な網を張ればいい」


 この島国の直径は約八十キロ。国土を覆うように分身をドーム状に配置するとして────。


「……一体何十万人必要だと思ってるんですか」

「ハハ、分身は得意だろう?」


 ミオの予想通りだ。ヴァンが大量に分身しなければならない状況を作ってきた。総理の指示を忠実に守ろうとすれば、妻を護衛するための分身に残す魔力が激減してしまう。


「国中をバリアで覆うという方法もありますが」

「ハハ、それは君にとっても得策ではあるまい。他国から攻撃を受けたとなれば世論は開戦に傾く。戦争を避けたければ国民には知られぬよう内々で処理した方がいい」


 悔しいがその通りだった。こうなっては総理の指示に従うしかない。


 だが、ミオのおかげで国の狙いは既に看過している。彼らの狙いは妻だ。であればこちらは今のうちに妻を安全な場所に避難させるだけでいい。あとは軍を適当にあしらい、ミサイルを待機しているだけだ。少なくとも本日ヴァンが負けることはない。


「……ひとまず二十六万と数千人で上空を監視します」

「おお! 頼んだよ」


 ヴァンはあえて過剰に分身してみせた。この状態で誘拐を未然に防ぐことができればこの手の作戦が無意味だと悟ってくれるはずだ。どれだけヴァンに負荷をかけようが妻の護衛が弱まることはない。それを見せつけてやる。


 ────しかし、それでは物足りない。ヴァンもいい加減腹が立ってきた。もっと徹底的に総理の心をへし折る策はないのだろうか。


「それにしても懐かしいねぇヴァン君。この国にミサイルが放たれるなど、君が子どもの頃以来じゃないか」


 ヴァンの思考を遮るように総理は雑談を始めた。


「”終末の雨”と呼ばれたあの悲痛な事件。君がいなければウィルクトリアはあの時に滅んでいた」


 ヴァンはかつてこの国を守っている。スナキア家先代当主であるヴァンの父が暗殺され、即座に世界中がこの国にミサイルを放った。


「当時君はわずか十二歳。全員が死を覚悟したよ。だが君は天才だった。継承したばかりのスナキア家の力を見事に使いこなし、超巨大バリアでこの国全土を覆い、全てのミサイルを叩き落とした。いやぁ、君には感謝してもしきれんよ」

「……光栄です」


 ヴァンは乱暴に言い捨てる。


「あの一件の記憶がある限り、国民たちはまだ心のどこかで君を信頼している。いつか国の未来を考えて後継を作ってくれるとね。いい加減意地を張るのはやめたらどうかね?」

「……」

「この国にはスナキア家の力が必要だよ。国民は英雄を求めている。その期待を裏切るつもりかね?」


 アシュノット総理は不敵に微笑む。


「英雄がいないことが不幸なんじゃありません。英雄を必要としていることこそが本当の不幸です」


 ヴァンは毅然とした態度で言い切った。強大な戦力がなくても維持できる平和な国となる。それが理想的だ。


「現実を見たまえ。世界はこの国を落とそうと常に企んでいる」

「であればこの国が変わればいいんです。他国からの搾取を止め、平和的な関係を築くべきです」


 ヴァンの反論虚しく、アシュノット総理は呆れ笑いと共に肩をすくめた。


「確かにこの国の体制は歪んでいるのかもしれないね。しかし経緯を考えれば同情の余地はあるだろう?」

「……」

「三百年前の世界大戦において、このウィルクトリアは平和主義を貫き、どの陣営にも与しなかった。しかし世界は海洋に浮かぶこの小さな島国を足場として活用するためだけに占拠しようとしたんだ。その結果この国は人口の六割を失うという甚大な被害を受けた。対価を支払わせるのは同然だろう」


 ウィルクトリアはあくまで報復を名目に世界を虐げている。先に手を出したのはそちらだろう、と。ヴァンが一概にこの国を悪だと断定して見捨てることができないのはそういった背景もある。だが、


「仕返しをやりすぎたせいで終末の雨という事件を招いたじゃないですか。……もはやどちらが悪いかを議論する意味はありません。この国も、世界も、過去を乗り越えて手を取り合うべき時が来たんです」


 三百年前に滅亡寸前まで追い詰められた恨みと、その後三百年間搾取され続けた恨み。その両者が交差して世界は混沌としている。このままやり合っていては憎しみが連鎖するだけ。もう終止符を打つべきなのだ。


「……まあ、夢を語るのは勝手だがね。国民がついてくるかは話が別だよ」


 総理は面倒くさそうに顔を背け、白い口髭を撫でる。 


「君に真っ向から立ち向かっている私が総理の座についているのが、君が国民に支持されていない証拠だと思うがね」

「……!」


 総理を引き摺り下ろさない限り、ヴァンの願いは叶わない。そしてその道がまだまだ険しいのは事実だ。ヴァンほどの権力があれば本気になれば政治も民主主義も関係なく無理矢理国民を動かすことはできなくもないが、なんでもありになってしまえばこの総理はどんな卑劣な反撃を企てるか分からない。ヴァンは正当な手段で、国民の指示を集めて、この国を変えなければならなかった。


 ────ふと、ヴァンは思い当たる。総理にとって最も手痛いのは、民意をヴァン寄りに傾けられることだ。「スナキア家なしでもやっていける」と大勢に思わせることができれば総理はその座を退くことになる。


 しかももし民意の操作を、「ヴァンに負荷をかけて妻を誘拐する」という彼らの作戦を利用して行うことができれば、彼は「余計なことするんじゃなかった」と酷く後悔することになるだろう。シュリルワ御所望の「ギャフン」が実現する。


 よし、方針は決まった。具体案はこれから詰めよう。きっと良い策が思いつく。なんせ今のヴァンは、実に約三十万もの脳を持っている。

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