29.プロポーズ

 ***


 ヴァン[ミオ]はテレポートでミオの元に向かう。


 配偶者がいるとはいえ他の異性を魅力的に感じてしまう瞬間は誰しもあるだろう。そこをグッと堪えて自分を諌められるのが愛妻家ヴァン・スナキアである。しかし今やその妻の太鼓判を頂いている。全てのハードルが消え去った今、正直に言葉にしよう。


 ヴァンはミオ・ウィンザーを愛している。


 正直、メチャクチャ可愛い。初めて見たときから美人だとは思ってしまっていたが、関わっていく内に当初の数百倍は魅力的に写っていた。すらりとしたモデルのようなスタイルに、凛とした大人っぽい雰囲気、この世のものとは思えないほど美麗な相貌。ヴァンとしては物理的に人類には不可能だと予想していた「ジルーナに匹敵する」を達成している女性だ。


 それでもなお、見た目なんかこの際どうでもいいとヴァンは思う。捨て身の勢いでヴァンに寄り添ってくれる姿勢。妻がいる身だというのにその妻ごと大切にしてくれる懐の広さ。そして何とも頼もしい凄まじい知略。あれだけ有能なのにヴァンの前ではドギマギしてしまうというのも愛らしすぎる。


 彼女には絶対にそばにいて欲しい。その気持ちを伝えに行く。


「お待たせしました」


 ヴァンは会議室に舞い戻る。驚いた彼女は反射的に猫耳と尻尾をツンと立てる。椅子をガタガタ鳴らしながら立ち上がって、少し俯きながら照れくさそうに髪をいじる。


「お、お帰りなさい」


 声が震えていた。あちらも分かっている。ヴァンから大事な話があることに。


「妻も喜んでいました。本当にありがとうございます」


 まずは感謝を告げる。プロポーズ前に「妻」なんて単語を出すのは忍びないが、


「おかげで妻も快く俺をここに送り出してくれました」

「……! そ、そうですか……」


 ジルーナの許諾は得ていると伝えなければ話は始まらない。彼女にとっては重要な判断材料になる部分だ。


 さらに厄介なことに、プロポーズ前に注意事項もお伝えしなければならない。思えばジルーナのときもややこしいプロポーズになってしまった。……いや、今この分身はジルーナのことを考えるのをやめよう。目の前にいる彼女に気持ちを集中させねば。きっとそれが妻を複数迎える上でのせめてもの礼儀だ。


「ウィンザーさん。まず、聞いていただきたい話があります。俺の秘密について。これを聞いた上で判断してもらわなければフェアじゃない気がするので」

「え……?」


 彼女は不思議そうに小首を傾げた。


「実は、俺には後継ができません。スナキア家の力の源であるルーダス・コアは、愛する人との子どもにしか継承できないんです。そして俺は、ビースティアしか愛せない……」

「…………え? えぇ⁉︎」


 彼女は途端に狼狽した。当然の反応だろう。この国の滅亡が確定していると告げられたようなものだ。


「この事実は決して国民に明かせません。パニックになるどころの騒ぎじゃないでしょう。過激派勢力が暴走して、俺という戦力がある内に世界を滅ぼそうとするかもしれません」

「……! そ、そうですね。先日の選挙で過激派は勢力を伸ばしましたしぃ……開戦に世論が傾くかも……」


 唐突な告白にも関わらず彼女はすぐに国内情勢について理解し、的確に分析した。本当に頼りになる。


「俺はこの国を救うために動いています。あえてビースティアが好きだと公言し、国家改革へと誘導しているんです。それに、後継が生まれる可能性もゼロじゃない。今後も複数の妻を迎えるつもりです」

「……」

「こんなに条件の悪い男はそうそういないでしょう。それでも……」


 ヴァンはありったけの気持ちを伝える。


「俺はウィンザーさんと一緒にいたい。ウィンザーさんを愛しているから。俺と……結婚してください」

「…………っ!」


 彼女の瞳がじわじわと潤んでいき、華奢な手のひらで顔を覆う。すんすんと鼻を鳴らす。小さな肩が震える。


「はい……! 私も……大好きです……っ!」


 さめざめと泣いてほの赤い頬を濡らす彼女の声は、感激しているようでもあり、ホッとしているようでもあった。


「私、その言葉が聞きたくて、いっぱい頑張ったんです……! ほ、本当はすっごく大変だったし、それにすっごく怖かったんですけどぉ……、ヴァ、ヴァンさんのお嫁さんになりたかったからぁ……」

「本当に……ありがとうございます。何度感謝してもしきれないくらい嬉しかったです。どうお返ししていいか分からないくらい」

「じゃ、じゃあ……、いきなりですけど、い、いっぱいわがまま言ってもいいですか……? ご褒美が欲しいんです……」


 ミオは指の隙間から遠慮がちにヴァンの顔色を伺った。怯えた子猫のような瞳だ。


「ハハ、何でも言ってください」

「それじゃぁ、えーっと……名前で呼んでほしいです」

「……ミオさん」

「『さん』は要らないです。呼び捨てにされたいんです」

「ミオ」

「わぁ♡ あ、あと敬語もやめてください。私もやめま、やめるからぁ」

「ああ、そうする」

「フフ♡ 夫婦っぽくなってきたかしらぁ。私ヴァンさんの奥さんだ♡」

「ミオも『さん』はやめてくれよ」

「私はこれ気に入ってるからこのままで許してくれるぅ?」

「ハハ、分かった」


 立て続けに色々と要求される。何がわがままなものか。些細で、ヴァンもそうしたいと思っていたことばかりだ。


「あ、あとねぇ、その、私こういうの疎いから、もしかしたらまだ早いのかもしれないんだけどぉ……」

「ん?」

「抱きついていーい……?」


 彼女はモジモジと体をくねらせながら恐る恐る尋ねる。────ああもう、可愛いな。


「きゃっ……」


 ヴァンは彼女を強く抱きしめた。ミオも少し躊躇しながら腕を回し、そのまま確かめるようにそっと背中を撫でた後、空気が抜けるような細い声でそっと漏らす。


「あぁ……幸せ……♡」


 自分との結婚をこれほど喜んでもらえるなんてこちらも幸せという他ない。だが今日はまだ単なる出発点。今後はさらに彼女を幸せにしていくのがヴァンの使命だ。


「……ねえ、ヴァンさんって本当は子どもが欲しいってことでいいのよねぇ?」


 ふと、彼女は真剣なトーンで尋ねた。


「ああ。それが一番の解決策だ」

「今まではそうじゃないんだと思ってたから避けられないように隠してたんだけどぉ……それなら私、言えることがあるの……。私ね、ファクターとビースティアのハーフなの」

「⁉︎」


 ヴァンは思わず胸元から彼女を離す。


「君が……⁉︎ 過去に六例しかないと言われているハーフ……⁉︎」

「そうなの。……見て?」

「……!」


 彼女は証明のため、バリアを張った。ファクターの魔法だ。

 ファクターとビースティアの間にも子どもは生まれる。彼女がその証。────ヴァンにとってこれほどの希望はない。


「私は見た目がビースティアなのにファクターの魔法を使えることを買われて諜報部に招聘されたの。業務柄経歴は隠されてるけどぉ……」

「なるほど……。ち、ちなみにご両親は?」

「私が小さい頃に二人とも亡くなったわぁ。詳しい話は聞けてないけど、別に特別なことをしたわけではなさそうよ」

「そうか……」


 両者に子どもができない理由は謎に包まれている。その秘密を解き明かしたというのなら参考になったのだが……。


「これは私の推測なんだけど、単に父のファクターの血が極端に薄かったからだと思うの。魔法は全然ダメだったみたいだしぃ、私も普通の半分どころじゃ済まないくらい弱いからぁ」

「となると俺は……」

「ヴァンさんはルーダス様の直系だものねぇ……」


 ファクターの血が薄まるほど確率が上がるというのなら、ヴァンは現存するファクターの中で最も確率が低いということになる。一転して辛い情報だ。だが、


「でも私となら多少望みはあるんじゃないかなって思うの。根拠は全然ないんだけどぉ……」


 ミオ側にファクターの血が流れているというのなら相性は良くなりそうだ。きっと彼女とは出会うべくして出会ったのだと、ヴァンは思う。


「科学的に分析したいな。君の遺伝子を調べていいか?」


 ヴァンはファクターの研究も行っている。ジルーナと結婚する少し前に自ら研究施設を作り、自らを非検体としてファクター-ビースティア間に横たわる溝の正体を突き止めようとしていた。現時点では皆目検討もつかなかったが、ハーフの遺伝子というサンプルは非常に有益になりそうだ。


「もちろん! でも何か恥ずかしいわねぇ……。ま、まだ裸も見せてないのにぃ……」


 それもいずれ見る。


「……まあ、それはおいおい考えよう。今はまず、ただ結婚しようか」

「うん……♡ あ、でも手続きは今日じゃなくてもう少し後にしてほしいの」

「何でだ?」


 ヴァンとしてはこのまま役所にすっ飛んで行って入籍するつもりだった。そしてジルーナの時のように、駆けつけた記者たちに「相手はビースティアです」と発表するまでがワンセットだ。


「私がヴァンさんと結婚できたら支援団体の代表を降りるつもりでいたの」

「それで『臨時』だったのか」

「フフ、そうなの。トップにいたら目立つ仕事もあるでしょうしぃ、あまり人目につくところにいるとヴァンさんに心配かけちゃうかと思って。だからイリスさんに引き継いでもらうわぁ。それにちょっと時間が必要で……」


 政府との戦いを指揮するのは彼女になりそうだ。電話で謝るくらいじゃ済まないなと、ヴァンはじんわり冷や汗をかいた。膝と手とおでこを地面に擦り付けよう。


「イリスさんは引き続き諜報部にも籍を置くからぁ、二重スパイの役目も任せようかと思うの」

「た、大変じゃないか? そこまでお世話になるわけには……」

「大丈夫よぉ♡ あの人すっごくできる人だしぃ、分身もできるから」


 ミオは彼女を信頼し切っているようで余裕の笑みだ。できる人であることにはヴァンも疑いはないが、申し訳なさで震えるような思いだ。いつか何らかの大きなお返しをできればいいのだが。


「準備が整うまではデートとかしてましょう?♡ 私見守られるだけじゃなくてヴァンさんの隣を歩きたかったの」

「……ああ!」


 ────かくして、ヴァンには二人目の妻ができた。おそらくこれからも苦しい場面は訪れるだろうが、彼女と一緒ならきっと乗り越えていけるとヴァンは確信していた。

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