30.未だ残る嘘

 ***


 ヴァンとデートの約束を取り付けて別れた後、ミオは早速イリスに成果を報告する。


「私ミオ・スナキア・ウィンザーになりまぁす♡」


 ミオは悲願を達成した。恋を実らせるために国家転覆を計画した人間なんて人類史を探してもそうそう見つからないだろう。まさに力技と言うしかない。


「おめでと。本当に良かったわね、ミオ」


 イリスはあまり感情を露わにしなかったが、その実自分のことのように喜んでくれているとミオは見ていた。あんな壮大な計画、彼女のサポートなしでは途中で挫折していたと思う。感謝してもしきれない。


 だが浮かれた気分は一旦お片付けしなければならない。国の命運をかけた重要なお話がある。


 ミオに課せられていた任務は四つ。一、ヴァンを籠絡すること。二、ヴァンと子を成すこと。三、妻としてヴァンの真意を探ること。四、第一夫人の排除。だがミオはもはや政府のために働いているつもりはさらさらなく、至極個人的願望でヴァンと結婚したに過ぎない。


 ────それでも問題になるのは、三つ目。


「イリスさん、私、ヴァンさんの真意を掴みました」

「え?」

「私はヴァンさんから真実を聞いて、ヴァンさん側に立って共に秘密を守るべきだと判断しました。上には間違いなく報告してはいけないことなのですが、支援団体を取り仕切るイリスさんにはできれば伝えておきたくて……」


 イリスの眉がピクリと動く。


「それは……、私も完全にヴァン様側に立つなら明かせるってことよね?」

「……はい」


 イリスは現状、曖昧な立場にあった。彼女は依然、政府の派遣したエージェントである。


 政府にとってもミオにとってもヴァンとミオははくっつくべきだと考え、ミオの計画に協力はしてくれた。あの団体の設立は政府への攻撃行為にはなるが、ミオが結婚して子どもを成せば全て解決するのだからと目を瞑ってくれた格好だ。政府にもまだ団体の存在を明かさないでいてくれている。


 彼女が代表の座につくのはヴァンとミオの結婚が破綻しないように社会情勢をヴァン寄りにコントロールするためである。基本的にヴァンと利害は一致している味方だ。だが、


「仮にヴァン様の真意が邪悪なものだった場合、私が団体の活動を抑制する。いざとなれば政府に告げ口して輸入減免法の廃止も提言する。そういう約束だったわよね?」


 彼女は政府にとっての安全弁の役割も同時に担う。それが彼女に協力を頼んだ時に要求された条件だった。


「ミオ、あなただってヴァン様と結ばれるために手段を選ばなかったってだけで、この団体がこの国にとって正しいのかどうか不安はあったわけでしょう?」

「それはもちろん。国の経済は大パニックでしょうからぁ……。まあどうなろうと結婚できればオッケーって感じでしたけどね♡」

「こ、怖いわね、恋する乙女は……」


 あの時点では、イリスの出した条件はミオが頷けるものだった。なんせヴァンの事情を知らなかったのだ。状況次第では団体の活動を停止したり、あえて手加減したりといった選択肢も必要だと思っていた。ミオからすれば正直言って経済対策はおまけでしかなく、ジルーナの保護案だけ実現すれば良かったという事情もある。それで充分ヴァンは喜んでくれるという確信があった。


 だがもう事情が変わった。ヴァンには後継ができないという真実を知った今となっては、国家改造を強烈に促すこの団体の力は絶対に必要になる。イリスには容赦なく国の経済をぶっ壊してもらわねばならない。そう促すためには彼女にも事実を伝える必要があるのだが、政府に報告されては困る。


「私は今、いよいよ本当に政府を裏切るか問われてるってことでいいのね?」

「……はい。あの、ヴァン様は皆を守るために頑張っているということだけは先にお伝えしておきます!」


 イリスはしばらく考え込んだ。そしてミオの不安を和らげようとするかのように、普段はあまり見せない柔和な笑みを浮かべた。


「あなたは私の優秀な弟子よ。あなたがその方が良いと判断するなら私もきっと同じ」


 厳しいけれど本当は優しいお姉さんの瞳を見て、ミオはホッと胸を撫で下ろす。


「ちなみに、あなたが明かすことをヴァン様は了承してる?」

「はい。支援団体の代表となるなら知っていて欲しいと」


 イリスは覚悟を固めたように目を瞑って頷き、手のひらをさっと向けて「どうぞ、喋って」と示した。


「実は……」


 ミオは真実を告げる。ルーダス・コアの継承条件。ヴァンの性癖。この国の終焉。真実が露見した場合に発生するリスク。説明を進めるほどイリスは青ざめていった。そして、


「そりゃ政府には言えないわ……!」


 彼女はミオと同じ結論を出してくれた。


「じゃあ、政府がヴァン様の結婚を邪魔するほどこの国は危うくなっていくってことよね」

「そうなります。ヴァンさんがビースティアとの結婚を繰り返すのが唯一の手立てなので……」


 イリスはまたもや長考する。これほど恐ろしい話をしているというのに、彼女は意外にも優しく微笑んだ。


「……私にできることなら何でもするから、これからも私を頼ってね。あなた結婚はできたけど、これからも秘密を抱えなきゃいけなくて辛いものね」

「……はい」


 ミオはまだ、ヴァンに嘘をついていた。


 ミオはヴァンに「諜報部を辞めた」と伝えた。だが、実際にはまだ籍を置いている。


 政府には作戦通り結婚まで持ち込めたとあえて報告する。だが彼らに従うつもりはない。支援団体のことは当然として、ヴァンが抱える事情も明かさない。「結婚はできたが、まだ調査中」。それが今後政府に見せる態度だ。


 彼らはミオを送り込んだことで一定の満足を得ている。少なくともしばらくの間はヴァンの結婚生活を邪魔してくることはなくなるはずだ。ミオとの関係が破綻してしまえば本末転倒なのだから。ヴァン、そしてジルーナを守るため、ミオはスパイの立場を捨てるわけにはいかなかった。


「ヴァン様には打ち明けてもいいと思うけど。その方が彼も安心でしょう?」

「ダメですよぉ!それは絶対にダメです!」


 ミオは強い口調で言い切った。


「それじゃ『政府は私が妻だと把握してる』ってヴァンさんに伝えることになっちゃうじゃないですかぁ……」


 仮に彼がジルーナにするように自分のことも守ってくれると考えると、恐ろしい事態になる。


「ヴァンさん、私に危険がないか諜報部のことを調べ尽くしちゃうかもしれないです。……そうなったらバレちゃいますよぉ。私が、ヴァンさんに近づいたって……」


 ヴァンには、ヴァンに接近したという嘘をついた。絶対に必要な嘘だ。


「私は命令で無理矢理結婚したんじゃなくてヴァンさんのことが本当に好きなのにぃ……。疑われちゃったら悲しいです……」


 ミオの「好き」が本物だと信じてもらうには、諜報部との関係を完全に断ったと見せかけておくべきなのだ。


 イリスが何をバカなことをと言わんばかりに顔を顰めていた。


「アンタ好き好きオーラダダ漏れだから大丈夫だと思うけどね。感情顔に出し過ぎよ。もうスパイとしては使い物にならないくらい」


 そんなこと言われても少しも安心できなかった。一度でも疑われてしまったらきっと取り返しがつかない。


 この嘘を、ミオは一生隠し通すつもりでいる。ストーカーの一件で抱いた「嘘なんてなしで彼と関わりたい」という願いは、結婚の約束をした今でもまだ叶わずにいる。


「……まあ、その辺は私に任せておきなさい。諜報部の動向は私からヴァン様に積極的に報告する。下手に手を出さないように忠告もしておくわ。ヴァン様が自ら動くと諜報部も慎重になって私にすら情報が降りて来なくなるかもしれないって」

「うぅ……。ありがとうございますぅ……」


 ヴァンからすれば諜報部はミオの元職場でしかない。イリスという密告者までいるのだし、警戒には値しないと判断するだろう。一応ミオは政府・諜報部にとってド派手な裏切り者ではあるが、それはまだ彼らにバレていないのだし。

 

「……まあ、アンタも上手にやりなさい。フフ、これから一生一緒なんだから、いつか笑い話にできる日が来るわ」

「そうだといいんですけどぉ……」

「私も私で頑張るわね。随分忙しい立場になっちゃったわ」


 イリスは伸びをして気合を入れ直していた。彼女は諜報員でありながら支援団体の代表でありヴァンの二重スパイでもある。この国でヴァンに次ぐ重要人物となるだろう。いくら分身ができるとはいえオーバーワークだ。


 だからちょっと言い出しづらいのだが……、


「あ、あの、イリスさん。実はもう一個お願いが……」

「な、何? 私死んじゃうわよそろそろ」

「いえ、これ以上忙しくするわけではないんですが、ジルーナさんの保護案にまだ抜けがありまして、それを塞ぐためにちょっとお借りしたいものが……」

「え?」


 言いづらいなと思いながらも、勇気を出して口を開く。


「こ、戸籍です」

「………………はぁ?」

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