21.初めまして

 ***


 突如ミオの元に届いた異様なメッセージ。「ヴァン様の代わりに奥様が来られます。絶対に丁重に。三十分以内にお帰ししてください」。徐々に上がりつつある熱が全部吹っ飛んだような気がする。


「ど、どうして奥様が……っ⁉︎」


 いくらなんでも唐突すぎる。イリスからの「丁寧語の」メッセージが来るのも不自然。さらには返事をしてみても電話をかけてみても一才連絡がつかない始末。絶対に何かトラブルが起きている。このタイミング、ヴァンが何かをしたと考えるのが自然だ。


「奥様を人前に……、しかもよりにもよって私の前にってことは、ヴァンさんは相当警戒しているはずだからぁ……」


 重い頭で推測する。まずはっきり分かるのは、このメッセージに従わなければ悲惨な未来が待っていること。奥様を丁重に扱い、三十分以内に帰す。これは国家の命運をかけた重要課題だ。


「そうまでして奥様と会わせる理由は……? いえ、やっぱりそんなのない。多分、奥様側から強い要望が……。奥様が私に会いたがるとしたら……」


 きっと彼女は、泥棒猫を退治しに来るのだ。ヴァンでも止められないほどにお怒りと見える。


「……甘んじて受けるしかないわねぇ」


 当然の末路という他ない。人の夫に手を出そうとしたのだから。体調を崩している今は勘弁してほしいところだが、あちらからしたらそんなこと構っていられないだろう。……こっちはきっちりフラれたんだからもう見逃してくれてもいいじゃないか。


 そしてほんの数分後、自宅のチャイムが鳴る。


 ミオは時計を確認し、玄関の前で一度深呼吸。意を決してドアを開く。そこに立っていた彼女は、いきなり怒鳴りつけるでも引っ掻くでもなく、ただただ気まずそうに微笑していた。


「あ、あの、初めまして……」


 前評判通り、小柄で猫耳の良く似合う可愛らしい女性だった。しかし少し、やつれて見える。


「……お入りください」


 こちらもどんな顔をすればいいか全く分からず、平坦に告げるしかなかった。ミオは家の中へと歩いていき、彼女を先導する。


「散らかっていてすいません」

「いえ! こちらこそ急に来てごめんなさい」


 背後を歩く彼女の口ぶりからは敵意をまるで感じなかった。一体何をしに来たのだろう。


 部屋に到着し、ミオは軽く非礼を詫びつつ枕を立てかけて背もたれにし、ベッドに腰掛ける。ジルーナはすぐそばのソファーに着席した。借りてきた猫のようにこじんまりと。気まずい空気が流れる中で彼女が口火を開く。


「改めまして、あの、ジルーナ・スナキア・ハンゼルと申します」


 彼女は堂々と名乗ってみせた。「スナキア」が含まれた本名を。ハンゼルという苗字にはミオも辿り着いていたため、これで完全に答え合わせができた。彼女こそ、ヴァンの妻である。


 彼女は危険な立場にある。名前まで言う必要は無かったはず。それでも名乗ったということは、自分こそがヴァンの妻であるというメッセージに他ならない。しおらしい態度とは裏腹に攻撃的だ。


「……ただ看病に来たわけじゃないんですよね?」


 意図せず喧嘩腰な言い方になってしまい、惨めな気持ちになった。彼女はミオが欲しいものを持っている。それが悔しくてたまらない。彼と共に過ごした時間はまるで敵わなくても、彼への想いの強さは負けていないつもりなのに。


「ご迷惑……でしたよね。でもどうしてもウィンザーさんに伝えたいことがあったんです。すぐに帰りますから」


 ジルーナは一つ前置きして、ミオの目を真っ直ぐに見つめた。いよいよ本題に入る。


「彼には、『私に遠慮しているなら考え直して欲しい』と伝えました。私は足を引っ張るつもりはありません。……あとは彼とウィンザーさん次第です」


 誹りを覚悟していたミオは、硬直した。


「……え?」

「本当にそれだけ言いたくて来たんです。……あ、色々買って来たのでこれ食べてくださいね。それじゃ私────」

「ちょ、ちょっと待ってください……!」


 ミオは混乱していた。このままでは帰せない。……どういうこと? 夫に寄って来た女を退治するのではなく、むしろ応援を……? 次の結婚の許可を夫に出したばかりか、恋敵であるミオにまでも……?


「な……何を考えているんですか?」


 推理しても推理しても意図が掴めず、もはや力なく尋ねるしかなかった。


「あなたはヴァンさんの奥様です。……足を引っ張ったっていい。むしろそれが当然ですよ……? それなのに、顔と名前を明かしてまでそれを伝えにきたのは何故なんですか?」

「え、えーっと……」

「あなたはただでさえ危険な状況にあるのに……。私があなたのことを逆恨みして情報を流したらどうするんですか?」

「す、するんですか?」

「しません! しませんけど……。わ、分からないんです。あなたがこんなことをする理由が……」


 思い悩むミオに、ジルーナは凛とした声で答えた。


「……彼が追い詰められているからです」


 背筋を伸ばし、さっぱりと言い切った彼女の姿は、見惚れるほど美しかった。


「彼の人生はずっと、この国のためにありました。子どもの頃からたった一人に全てを背負わされて尚、それを当たり前みたいにこなして来ました。……誰も彼の代わりになれない。そんな孤独感の中でも国に尽くしてきたんです。彼が戦っている本当の相手はミサイルでも軍隊でも国でもなく、孤独なんです」

「……」


 切々と彼を語る彼女の声には、強い怒りが奥底に滲んでいた。


「この国は彼に何もかも頼りながら、私との結婚を批判するばかりで……。彼の望みが叶えばいいと、皆が思ってくれてもいいはずなのに」


 不思議と自慢話には聞こえなかった。彼女はあくまで主体を彼に置き、彼のために心を痛めていた。


「ただ、この国の情勢を考えたらすんなり認めろというのも難しい話です。唯一双方が納得する道があるとすれば、彼と彼の望んだ相手との間に子どもが産まれる以外にないと思うんです」


 スナキア家の後継。全ての解決策だ。国には未来が生まれ、改革をしたければスナキア家の加護の元で現実的なペースで進めればいい。


 それほど追い詰められているというのなら、そしてジルーナに他の妻を受け入れる覚悟があるというのなら、ファクターと結ばれて子どもを成せばそれで済むはずなのにという疑問は沸く。


 だがミオは口を挟めなかった。彼女のあまりの切実さの前に、圧倒されていた。


「子どもと言っても、相手がビースティアでは難しいんです。確率が低すぎますから」

「だから妻を増やすべきと……?」

「ええ。……彼も頭では分かっているようなのですが、私を気遣って雁字搦めになってしまってるみたいで……。だから少しでも背中を押せたらと思うんです」


 背中を押す。それがどれだけの覚悟の元で放たれた言葉なのか、ミオには測ることすらできなかった。いくら事情が事情とはいえ、彼女自身の気持ちはどうなってしまうのだ。


「……一夫多妻でも気休め程度にしかなりませんよ? 二人になっても五人になっても十人になっても、奇跡であることは変わりません」

「気休めだっていいんです。それで彼が楽になるなら。そして彼の理解者が増えて、彼の孤独が少しでも埋められるなら────」


 彼女は少し言葉に詰まり、やがて確信したように、


「私は何でもします」


 優しく微笑みながら言い切った。笑顔なのに、どこか悲しそうでもあった。


「あ、ちなみに名前を言ったことに深い意味はなかったんです。とにかく本気だってことを伝えてくて……。な、内緒にしてくださいね?」

「……はい」


 ミオが詰まった喉からどうにか声を絞り出すと、彼女は全部言い切ってスッキリしたとばかりにさっと立ち上がる。「お大事にしてください」の一声を残して家を出て行った。ミオは見送りのために立ち上がることすらできなかった。


 たった数分の滞在。交わした言葉も少ない。だが、


「完敗ね……」


 それでも彼女の想いの強さを思い知るには充分だった。そして彼がどうして彼女をあれほどまで大切にしているのか、痛いほど理解した。


 彼女はミオが欲しいものを持っていた。しかし、それはたまたま与えられたものではなかった。彼女はそれを、懸命にもぎ取ったのだ。────代わりに何を捨てようと。

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