11.カフェにて
***
現在、十三時半。ミオはヴァンとの待ち合わせ場所の近くにあるカフェに入店する。
約束の時間は十四時半である。緊張はしているものの浮かれ気分が勝り、楽しみ過ぎて一時間も早く到着してしまった。だがそれを知られるのは恥ずかし過ぎるので、近場のカフェで待機して時間ぴったりに何食わぬ顔で登場するという行動になる。我ながら面倒な女だ。
「イラッシャイマセ」
店員の男性がイントネーションの怪しい発音でミオを迎え入れた。労働力を出稼ぎの外国人に頼っているこの国では店員は基本的に外国人。中にはまだウィルクトリア語に慣れていない人もいる。本当はキャラメルマキアートを頼みたいところだったが、上手く聞き取ってもらえるか怪しい気がした。代わりにブラックコーヒーを注文し、空いている席を探す。うっかりヴァンに見つからないように窓際は避け、なるべく奥の席を選んだ。
ほっと一息。そこで改めて思い知る。────早く来過ぎたと。
ソワソワし過ぎだし舞い上がり過ぎだ。あくまで自分はお国の任務でヴァンに接近しているという自覚を新たにせねばなるまい。今一度気を引き締めよう。この後ヴァンとの面談で説明する嘘ストーカーの設定を再確認し、怪しまれないようにつつがなく説明できるように準備をしておこ────、
「ウィンザーさん……?」
「ヴァン様……⁉︎」
目の前に、ヴァンが居た。
……今こそ心の底から「助けて」と叫びたい気分だ。しかしそんなことをすればヴァンがもう一人来てしまう。何て恐ろしいシステムなのだ、ヴァン・ネットワークは。
蝋人形のように硬直するミオを気遣ってか、ヴァンは「怖くないですよ」とばかりに柔和に微笑んで会話を始めた。
「早いですね。まだ一時間ありますよ」
「あ、あの、えっと、ち、遅刻しないようにと思いましてぇ……」
しどろもどろのお手本のようだ。だって不意打ちすぎるじゃないか。
「ヴァ、ヴァン様こそこんなに早く……」
「ハハ、ちょっと休憩がてらここにいたんです。首尾良くお会いできて良かった。ハーミットさんから今日は来られないという連絡を頂いたので、ウィンザーさんと連絡を取れる手段がなく……」
手筈通りイリスは欠席。ヴァンと一対一に持ち込んでくれた。あとはミオが頑張るしかない。
「ご都合が良ければもう始めましょうか?」
「は、はい! ヴァン様の席はどちらですか? い、移動しますね」
「あ、いえ。僕がこっちに来ますよ」
ヴァンがそう告げると、一瞬消え、飲み物を持ってまた現れた。口を挟む隙間も心を整理する隙間もない。この任務を告げられたあの瞬間からずっとジェットコースターに乗せられているみたいだ。
ミオが座った席は二人掛け。ヴァンはミオの正面に座った。目の前にヴァン・スナキア。とんでもない光景だ。しかし緊張してこれ以上ヘマをするわけにはいかない。ミオは落ち着くためにコーヒーを一口飲み、結果さらにギョッとした。……え、ブラックってこんなに苦いの?
「ど、どうしました?」
「っ!」
思わず眉を顰めたのがバレた。ヤバい、どうしよう。実は昨日ヴァンがブラックを頼んだことに影響されて生まれて初めてブラックを試してみたのだ。そんなこと口に出せるものか。ミオこそストーカーではないか。
「ぶ、ブラックって初めてで……」
しかし気の利いた言い訳なんて思いつかなくて、ほとんどまんま白状してしまう。どうしてそんな挑戦をしたのか聞かれたらどうしよう。あ、いや、冷静になれ。予定外のメニューを頼んだ理由ならあったじゃないか。
「店員さん言葉通じるか怪しかったのでぇ、伝わりやすそうなものを……。本当はキャラメルマキアートが良かったんですけどぉ……」
「な、なるほど。よく見てますね。僕は何も気にせず頼みましたよ。……キャラメルマキアートを」
「え? ヴァン様、甘いの頼まれるんですか?」
言い終わって、とんでもないミスをしたことに気がついた。この話題、昨日自分がヴァンに砂糖とミルク入りのコーヒーを飲ませたことを思い出させてしまう。甘いもの無理矢理飲ませたくせに何言ってんだ自分は……!
「あー……あの、正直言って普段は飲まないんですが……」
「うぅ……申し訳ございません……」
「あ、いえいえ! 昨日頂いた甘いコーヒーが美味しかったんですよ。それでもっと甘そうなものも試してみようかと」
「えっ……?」
気に入ってくれた……? 何なのこの人? これ以上私をどうしようって言うの? もう処理し切れないんですけど。
「ハハ、ただ流石にこれは甘すぎました。一口で限界でしたよ」
その時、ミオの脳裏に電撃が走る。こちらからアタックする方法を思いついたのだ。……恥ずかしい。でもやらなきゃ。一瞬の葛藤の末ミオは、どうにか勇気を出した。
「こ、交換します……?」
お互いまだ飲んだのは一口ずつとはいえ、間接キスだ。ドキドキしてくれませんか? こちらは死ぬほどしています。
「……じゃあ、そうしましょうか」
ヴァンがキャラメルマキアートを差し出してきたのでミオもつつつとコーヒーをスライドさせる。応答に若干の間があったのは気のせいだろうか。多分愛妻家の彼としては気が進まなかったのだろう。それでもミオからブラックを引き離すことを優先してくれたのかもしれない。
奥様、か。この人はすでに結婚している。それを思い出すと心がチクチクする。────本気で恋をしている証拠だ。
「あ……、ヴァン様、そういえばこんな公の場で私と二人で居ても大丈夫なんですか? 奥様だと誤解されるのでは……」
「大丈夫ですよ。こんな奥の席ならほとんど人は来ません。それにヴァン・ネットワークを始めてから国中でこんなことをしていますから」
なるほど、あの施策は単にビースティアを保護するためだけではなく、カモフラージュの役目も果たしているわけか。ヴァンがビースティアの女性と並んでいる光景は今やありふれたものになっているらしい。
「じ、実は奥様とも普通にお出かけされていたりとか……? あ、いえ! 奥様のことを知ろうとしているわけでは……! 逮捕しないでください!」
「し、しませんよ。……妻は、国内を出歩くのを怖がっています。外出する時はいつも僕がテレポートで海外に」
「……」
国中に目の敵にされている結婚だ。顔と名前が割れていないと言えど人目に触れるのは恐ろしいだろう。そしてそんな彼女に常に付き添わなければならないヴァンもいつだって気を抜けないはず。よほどの愛情で結ばれていなければ成しえない結婚。
……それにしても、この人結構迂闊に奥様の話をしてくれるな。今の会話も、昨日の連絡先云々の件も。世界中に訴えかけてまで隠しているというのに。
「ウィンザーさん、勝手に喋っておいて申し訳ないんですが、僕が妻について話していることは些細なことでも内緒にしてください」
「も、もちろんです。でもぉ、どうして私には……?」
「結婚を応援してくれた方なので大丈夫かなと思いまして。少し甘えさせてもらってます」
「応援……?」
結婚おめでとうと口走ってしまった件だろうか。信頼してもらえたのは嬉しいが……、結構マズい状況ではなかろうか。ヴァンにとってミオはあくまで「結婚を祝福してくれた人」。そんな相手とこの先恋愛関係に至るなんてあり得るだろうか。
「妻もすごく喜んでいました。ウィンザーさんのことは絶対に守るようにと厳命されています」
「そ、そうでしたかぁ……」
奥様もまたミオを味方と感じている。こうして夫と会うことに反対しないでくれるのは助かる。しかし、それはミオを女性として全く警戒していないという意味にも取れる。もちろんこっちが結婚をお祝いした部外者だからこその油断だろうが、夫の態度が何一つ怪しくなかった証左でもある。
改めて、あれはとんでもない失言だったのだと思い知る。────挽回しなければ。今日はドギマギしているわけにはいかない。本気で攻めて、女の子として意識してもらうくらいのところまでは進んでやる。
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