10.作戦開始!

 ***


 イリスとミオは居酒屋を退店し、あまり人気のない通りに移動した。


「い、今すぐやるんですか? もう少し作戦を練ってからでもぉ……」

「いいのよ。あなたの印象がまだ色濃いうちにやった方がいいでしょ? 元々ストーカーに困っていたって設定なら、ヴァン様に『助けに行く』って言ってもらった後すぐに頼った方が切迫感が伝わるでしょうし」

「そ、そうですよねぇ……」


 今からヴァンを呼び出す。まだ心の準備ができない。一日に二回も会うのは致死量だ。


「さあ、やって」


 イリスに促され、ミオはどうにか決心を固めた。そもそも国中どこでも叫べば助けに来てくれるというシステムが本当なのかも正直疑わしいし。物理的に考えて一人の人間がそんなことできるとは思えない。


「助けて! ヴァンさ────」

「大丈夫ですか?」

「⁉︎」


 一瞬だった。気づけばミオは、────ヴァンの腕の中にいた。


「え⁉︎ えぇ⁉︎」


 ミオはヴァンにお姫様抱っこされ、路地の上空十メートルほどの位置に浮かんでいた。早い。っていうか、本当に来てくれた! 何なのこれ⁉︎ あれ、なんか抱っこされちゃったんですけど!


「あの人があなたに何か?」

「えっ……?」


 ヴァンはイリスを見ていた。その瞳には敵意が込められていた。激らせている魔力は果てしなく、このままではイリスの身が危ないことがすぐに分かった。当のイリスもヴァンのあまりの圧力に硬直している。錯乱している場合じゃない。止めなければ。


「ヴァ、ヴァン様! 違います! あの人は友人なんです!」


 緊張で詰まった喉を強引にこじ開けて叫び、思いっきりヴァンの首にしがみついて静止する。


「そうでしたか。すみません、早とちりを」


 ヴァンはミオの肩を二度ぽんぽんした後、ゆっくりと地上に降りていった。ヴァンはイリスに相対し、柔らかい声音で釈明する。


「怖がらせてしまって申し訳ありません。随分鍛えられた方だとお見受けしまして、そのあなたがそばに居ながら助けを求めたということはあなたが何かしたのかと……」


 あの一瞬でヴァンは状況を冷静に判断していた。イリスが諜報部員であることまでは当然読めないだろうが、その実力はしっかりと見抜いていたらしい。国外に流出した危険なファクターを捕えることを生業にしているイリスは、国内でも有数の魔導士である。


「い……いえ……」


 そのイリスが依然怯えている。それだけヴァンの威圧を真っ向から受けるという体験は凄まじいのだろう。たった十五万分の一の魔力だとしても。改めて、スナキア家の力は失ってはいけないものだと実感する。


 ────などと冷静に考えていられたのも数秒だった。自分はまだヴァンに抱っこされているという事実に気づいた時点で、ミオの精神は崩壊した。


「ヴァ、ヴァン様! お、おろしてください! わ、私重いですからぁ! すっごく重いんです!」

「ハハ、軽いですよ。突然失礼しました」


 ヴァンは優しくミオの足を下ろし、ちゃんと地面に立ったと確認するまでミオの腰を支えてくれた。並んで立つとプロマイドでは小っちゃかったヴァンが自分よりも随分背が高くなっていることに気がついて、胸の鼓動が大きくなる。


「ウィンザーさん、またお会いできるとは思ってませんでした。どうされたんですか?」

「っ⁉︎」


 自分のことを覚えてくれている! いや、あのグダグダを見せれば当然か。────あれ? でも名前言ったっけ? さりげなくアピールしようってことで名札を付けていたけれど、それを見てちゃんと覚えてくれたってこと? えぇ⁉︎ そんなことある⁉︎ ……っていうか私、ヴァン様に抱っこされちゃったんですけど!


「ミオ……っ! アタフタしてないで答えなさい!」


 イリスからの怒声でミオはハッと我に帰る。


「あ、あのぉ、ヴァン様、急にお呼びしてしまって申し訳ありません。実は……最近誰かにつけられてるみたいでぇ……。さっきも物陰から誰かが見ていたんです……」


 緊張で身体も声も震えている。しかし、それがこの状況では効果的なはず。


「ストーカーですか……。それはお気の毒に。犯人に心当たりはありますか?」

「いえ、全く……」

「ひとまず周囲に怪しい人物がいないか捜索してみます」


 ヴァンはそう告げると、無数の分身に分かれて散っていった。この人、まだ増えるのか。十五万という数字も最大値ではないのだ。日々ヴァン・ネットワークを構築することでさらに鍛え上げられているのかもしれない。こんな小さな島国くらい全部見張れてしまうのも頷ける。


「些細なことでもいいので、犯人の特徴を教えてもらえますか?」


 その場に事情聴取用の分身まで残している。ミオは存在しない犯人の特徴をでっち上げる。できるだけ絞りづらくするためにあえて曖昧な情報だけを告げる。


「身長は私と同じくらいだと思います。顔はマスクとサングラスで隠していたので何とも……」

「そうでしたか。……失礼ですがウィンザーさんの身長はいくつですか?」

「え、えぇっと、……166くらいだと思います」


 そういえばヴァンは小柄の女性が好みである可能性があったことを思い出し、ミオはどうにかバレない程度に過小報告した。本当はしっかり170ある。元々大きすぎることにコンプレックスを抱いているため、言いながら死にたくなった。


「……他の分身と連絡を取り合っているんですが、犯人らしき人間は見当たりませんね。逃げられてしまったようです」

「そう……ですか……」

「でも安心してください。僕が必ず捕まえますから」

「……! あ、ありがとうございますぅ……」


 ……この作戦、よく考えたら何かおかしいな。普通こういうシュチュエーションって、助けられた方が助けた方に惚れるものだ。目標と真逆だし、やっぱりこっちがまんまと惚れてしまっている。


「あの、ヴァン様」


 するりとイリスが会話に混ざる。


「この子を家まで送っていただけませんか? 私もさっきこの子から相談を受けたんですが、そうとは知らずにお酒を飲んでしまっていたのでちゃんと見守れるかどうか……」


 彼女は居酒屋帰りということを利用してヴァンを頼った。ちょっと待って、聞いてない。家って。いきなりお迎えしろってことですか?


「もちろんです」


 ヴァンは即答した。え? 家にいらっしゃるんですか? そんなの心の準備が……! っていうか掃除もしてないし……! いや、冷静に。普通に考えたら家の前まで送って終わりに決まっている。何なの私。ついいきなり家に連れ込む妄想を……。いつからそんなにドスケベになったの……⁉︎


「ひとまず今日は家までお連れして、また何かあったら呼んで────、いや、何かあってからでは遅いですね」

「ヴァン様、厚かましいお願いかもしれませんが犯人が捕まるまでこの子の警護をしていただけないでしょうか? この子ちょっと抜けてるので心配で心配で……」

「はい。任せてください」


 ミオの頭越しにホイホイ話が進んでいく。作戦通りだ。……というか「はい」って大丈夫? 「この子ちょっと抜けてる」に対する「はい」だったりしますか?


「もう少し犯人の情報や今まで何があったかなどを教えていただけるとありがたいのですが」

「あー、この子まだ錯乱しててまとめるのに時間がかかりそうなので、また後日ご相談の機会を頂けませんか」

「ええ。こちらはいつでも構いません」

「ありがとうございます。ほら、ミオ。連絡先渡しなさい」


 イリスは流れるように連絡先交換へと持ち込んだ。早すぎる。そんなスキル持っててどうしてまだ独身なんですか。


「あ、すみません。連絡先は……」


 しかし、ヴァンの表情が澱んだ。


「妻に悪いのでビースティアの女性とは連絡先を交換しないことにしてるんです」


 突如飛び出した「妻」という言葉にミオの心が急激に冷えた。そうだ、この人妻帯者だ。


「き、厳しい奥様なんですね」


 イリスも困惑していた。明確に線を引かれてしまった感がある。そしてナチュラルに「ビースティアの」という縛りを持ち出したあたり、他の種族が対象外であることを奥様が重々承知していることが窺い知れた。


「いえ、僕が勝手に決めたことです。分身できるとアリバイなんてあったもんじゃなくて悪さし放題なので、せめて携帯くらいクリーンにしておこうと……」

「そ、そうでしたか……」


 奥様が嫉妬深いわけではないのは好材料だったが、愛妻家っぷりが垣間見えてしまったのは痛い。


「で、では私が窓口になる形ではいかがですか? 私は彼女の友人のイリス・ハーミットという者なのですが……」


 イリスは食い下がった。そのガッツをぜひ私生活でも発揮してください。


「お手間でなければぜひお願いします。僕は分身すればいいだけなので、そちらのご都合の良い時間をご連絡いただければ」

「ミオ、明日のお昼過ぎはどう?」

「は、はい! こちらはいつでも!」

「奥様が気にされるといけないので私も同席させていただきますね」

「助かります」


 驚異的なスピードでまた会う機会まで取りつけた。しかもイリスは「急遽仕事が入ってしまって……」とか言ってドタキャンする腹づもりだろう。愛妻家のヴァンがミオと二人きりになるのを避けるかもしれないと読み、先手を打ったのだ。頼りになる先輩ではあるが、急展開すぎて眩暈がする。


 私、もうデートするんですね……?


「……では、帰りましょうか。住所はどちらですか?」


 ミオがドギマギしながら何とか住所を伝えると、ヴァンはミオに手を差し出した。


「つかまってください」

「……!」


 ミオは恐る恐る手を伸ばす。初めて触れるヴァンの手は、ゴツゴツしていて大きくて、男の人って感じだった。心臓が爆発しそうなほどドキドキしているのも束の間、


「つきましたよ」

「⁉︎」


 ミオは一瞬で自宅マンションの前に立っていた。何だか呆気ないなと、少し寂しくなる。まあ歩いて一緒に帰るなんて言われたら途中で爆死してただろうけど。


「あ、ありがとうございます……。本当に色々とお世話になりまして……」

「……こちらこそ、ありがとうございます。では明日また」


 ヴァンは颯爽と消えていった。誰もいない道路を、ミオはぼーっと見つめて立ち尽くした。


「…………え? 『こちらこそ』って何……? 私何かしたかしらぁ……?」

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