12.スイッチ・オン

「では、ストーカーの件、詳しく聞かせてもらえますか?」


 二人は本題に入る。ここからのミオの説明は全て創作となる。


「……二ヶ月ほど前のことです。会社からの帰り道に、背後からずっと等間隔でついてくる人がいましてぇ……。その時は慌ててお店に入ってやり過ごしたんですけどぉ、その後も何度も……」

「頻度はどれくらいですか?」

「週に二、三回……だと思います」

「警察には相談しましたか?」

「はい。ですが……、具体的な被害がなければ動けないと言われてしまったんです。今のところ本当に後ろから尾けてくるってだけなので……」

「怠慢ですね。追いかけ回されるだけでも充分被害です」


 ヴァンはミオの目を見てじっくりと話を聞いてくれた。視線を浴び続けるのはなんかもう無理だったのでミオは目を伏せる。


「犯人の顔は見れていないんですね?」

「はい。それどころか私、追いかけられてること自体気づかなかったこともあると思うんです。もしかしたらもう家までバレてるんじゃないかと思うと怖くてぇ……」

「それは心配ですね……」


 ヴァンは口に手を当てて数秒考え込んだ。その真剣な表情にミオの胸が鳴る。ダメだ、何してても格好良く見える。我ながらチョロ過ぎる。


「あのぉ、今日はせっかくお時間をいただいたのに申し訳ないんですけどぉ……、一晩考えてみても正直言ってこれといった情報がなく……」

「いいんですよ。それなら今後の対策を考えましょう」


 ヴァンには存在しない犯人を延々追い続けてもらわねばならない。なるべく苦戦してもらうべくヒントも与えない。……今更ながらこれって滅茶苦茶悪いことをしているのではなかろうか。


「ひとまず二週間くらい二十四時間体制で僕が姿を隠して見守ります。ご自宅の警備と、ウィンザーさん自身も」

「えぇ……⁉︎ そ、そこまでしていただくわけにはぁ……」

「どうせヴァン・ネットワークでやっていることですから」


 彼は軽々言ってのけた。元々それが彼にとっての日常なのだ。それでも、こちらの感覚からするととんでもないお手間をかけているとしか思えない。ミオの相談は全て嘘なのに……。


「……どうしました?」

「い、いえ! 何だか本当に申し訳なくなってしまってぇ……」

「ウィンザーさん。僕がやりたくてやってることです。僕はなんだかんだ言って、人を守るのが好きなんですよ」

「ヴァン様……」


 ミオが謝っている本当の理由を彼は知らない。あんまりな話だ。せめてできるだけ、短期決戦に持ち込まないと。


 犯人が実在しない以上、この作戦のオチは犯人逮捕ではない。結局見つからず、「ヴァン様に恐れをなして逃げたんですね。もうきっと大丈夫です」とミオが安心した姿を見せることで終了とする。いつこの関係を終わらせるかはある程度ミオの裁量で決められるのだ。一日でも早くにならなければ。


 ────となると必要になるのは、積極性だ。


 本来人とコミュニケーションを取るのは得意だ。スパイという職業柄、重要人物に接近して親しくなり情報をさりげなく聞き出すなんてことを日常的にしてきた。拒絶されない範囲でするりと懐に飛び込んだり、顔色や仕草から考えを読んだりと、様々なスキルを駆使して友好関係を築く。恋愛の関係にはなったことはないが、ある程度今までの経験で応用が効くはずだ。


 いつまでもオドオドしているわけにはいかない。国のため、自分のため、そして何より彼のためにも、ここからは本気で取り掛かろう。


「そ、そんなに優しくされたら私、す、好きに、なっちゃいますよぉ……」


 熱い決意とは裏腹に死ぬほど吃ったが、言えた! どうでしょう? ほとんど告白なのですが。女の子として意識してもらえませんか。


 もしイリスが見ていたら「ナイスお芝居!」と褒めてくれるだろう。しかしミオからしたらこれは演技でも嘘でもない。一部だけ事実と違うとすれば、もうとっくに好きになっているという点だけだ。

 さて、彼の反応は? ミオは恐る恐るヴァンの表情を覗く。


「……」


 ヤバい。固まっている。ヴァンは無表情のまま完全にフリーズしていた。攻めすぎた? そりゃ昨日の今日でここまでの踏み込みはいくらなんでも性急か。


「あ、あの、違くて! 違くて、そのぉ……」


 どうにか誤魔化そうとするも具体的な言葉にならない。だが、


「い、いえ、その、すみません、そんなこと初めて言われたので俺もびっくりしまして……!」


 ヴァンも慌てていた。どこか気恥ずかしそうに。────あれ? ちょっとは効いてるのかも……?


「そ、そうなんですか? ヴァン様モテそうなのにぃ……」


 今こそ攻め時と、ミオは果敢にも踏み込んでみる。ヴァンをモテそうと認識している=ミオ自身がヴァンを素敵な男性だと思っているみたいなニュアンスで伝わっていただければ。


「そ、そんな。俺は、その、結婚してますから。そういうのは全然……」


 ミオは冷静に考察する。どうやら「好きになっちゃう」発言で動揺させることには成功したようだ。それも「妻がいるのに誘惑されても対処に困るぜ、迷惑だなぁ」というニュアンスは感じられず、そんな発想にすらなれないほど虚を突かれて照れているといった印象だ。一人称が丁寧な「僕」から普段使っているのであろう「俺」になっているあたり、かなり平常心を欠いていると思われる。


 だが、ミオに言われたからなのか、それとも年頃の女性に言われたら誰でもこうなるのかを見極めるのが重要だ。前者なら望みありと大はしゃぎすることになるが、昨日から醜態しか見せていないのにそんな都合の良い展開はないだろう。


 とはいえ誰に言われてもこんな可愛い反応をする人とも思えない。結婚しておいて女性に免疫がないってことはないだろう。大体この英雄様は実際モテているはずなのだ。ヴァン・ロスに陥った女性たち(自分も含め)がいたことを忘れないでほしい。


 ────だが逆に、この人を本気で口説こうなんて人はそう居なかったのか? 一般人がどうこうなれる相手とは普通思わない。ちやほやされることはあっても具体的にアプローチされた経験はないのかも。小さい頃から次期スナキア家当主として周囲に一歩距離を置かれていたはずだし、そもそも学生時代を飛び級ですっ飛ばしている。卒業後もまだ十六歳の彼が同年代の女性と関わることはそうなかっただろう。


 機会があるとすればこうしてヴァン・ネットワークを通じて出会うケース。しかしそれも結婚後の話。妻帯者に色目を使う自分のような不届者はなかなかいない。大体彼を呼び出すとしたら大ピンチの状況。愛だの恋だのという展開になる心の余裕はない。


 唯一の例外が第一夫人の彼女。しかしイリスの推理を参考にすると、二人はまだお互いが「男」と「女」になる以前の幼い頃から一緒に暮らしていた家族のような関係だったと推測される。彼が「男」に成長して以降、プライベートで出会った人たちの中で、こんな風に露骨に「女」を出して来たのはミオが初めてなのかもしれない。


 案外、彼って恋愛スキルは普通の純朴な十六歳男子並みなのではないか? 例えばファッション誌でデートのハウトゥーなんかを読んでふむふむと頷いているような。


「ご、ごめんなさい、わ、私ヴァン様の前だと緊張してしまうのでつい変なことを口走ってしまって……。あの、深い意味はないですから……!」

「え、ええ」


 とりあえず場を落ち着かせつつ、


「……でも、フフ、ヴァン様も照れたりするんですね。普通の男の子みたい♡」


 ここは普通の男の子扱いをしてみるのはどうだろう。本当のあなたに気づいているし寄り添えますよって雰囲気を出していくのだ。英雄様として崇められてばかりの彼には新鮮なはず。


「ふ、普通の男ですよ。たかだか十六の……。か、からかわないでください……」


 彼は所在なさげに視線を逸らして後ろ頭を撫でていた。何これ、超可愛いんですけど。もっと照れさせたい……!


 作戦上、オドオドした気弱な女性でいるべきなのかもしれない。だが、こっちの方針の方が普段の自分らしくて居心地が良く、上手く喋れそうだった。悪いクセだと自覚はしているが……攻める側に立った方が、ゾクゾクする。


「あ、私の方が一つお姉さんなんですねぇ……。なんか不思議です。こんなにしっかりされてるヴァン様が……学校で会ってたら後輩の男の子だったんですねぇ」


 どうにか「大人のお姉さんと普通の男の子」って感じの関係に持っていけないだろうか。お姉さんのモデルケースは小さい頃から見ていたから真似をすればいい。イリスはきっと「私の真似なんかしたらモテないわよ」と苦々しく言うだろうが。


「買い被りすぎですよ。僕なんて全然……。若造のくせに国中の人に『様』をつけて呼ばれるのがちょっと居心地が悪いくらいです。……総理の『君』付けはムカつきますけど」

「は、はは」

「ウィンザーさんももう『様』はやめてください。恐縮してしまいますよ」

「えっとぉ、じゃあ……」


 どうしよう。踏み込んで試しに呼び捨てで呼んでみようか。呼び方は距離感を詰める上で重要だ。……でもハードルが高い。そもそも彼以外の男性も呼び捨てにしたことなんてない気がする。せめて『君』を付けたいところだが、なんか事前に潰されてしまった感がある。


「ヴァン…………さん?」


 やっぱり無理だった。呼び捨てなんて恋人みたいでこっちが照れてしまうではないか。結局中途半端に敬語になってしまったが、反応やいかに?


「……なんだか、新鮮です」


 彼はそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。


 ────いい感じ、だと思う。思いの外順調。この調子で絶対、お嫁さんにしてもらうんだ。

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