16.影から守る者

 ***


 第二夫人・ミオの部屋。

 ヴァン[ミオ]はミオと二人で夕食を取りながら、サリエとの経緯を報告した。


「ヴァンさん? 女の子のプライドってものがあるんだからぁ……」


 そして苦言を呈されている。


「デートに誘ったら『その日は爪を切るから無理』って断られるのの100倍くらい傷つくわぁ……」

「ああ。分かっててやった」


 ヴァンは平然と告げる。本当は強烈な罪悪感で居た堪れなかったが、他の女性を振ったことで凹んでいる姿なんて妻に見せるものではない。


 ミオは大きくため息をついたのち、一転態度を軟化させる。


「……でも、そうよねぇ。ナンセンスさんの好意を利用するのも違ったと思う。お姉さんたちの安全のためとはいえ、夫がそんなことするのはこっちも複雑だったんじゃないかしらぁ」

「……そう言ってくれると助かる」

「フフ、どうせもうバレてるから思いっきり凹んでいいのにぃ。妹みたいな子なんでしょう? この前まで弟だと思ってたみたいだけど」

「うっ……! ま、全く、酷いことばっかりしてるな俺は……」

「でもきっと、ナンセンスさん的にも結果的に良かったって思う日が来るわよぉ」


 そう願う。さっさとヴァンに見切りをつけ、もっと真っ当な男と幸せになってくれたらいい。もしヴァンに拘り続けていたらその可能性が潰れてしまった。だからこれで良かったのだと、ヴァンは改めて自分に言い聞かせる。恋心ゆえに妻にちょっかいをかけていたのだから、全力で振るのは絶対に正解だった。


「ねぇ、ジルは何て言ってる? あっちのヴァンさんに聞いてよ」


 現在ジルーナの部屋ではヴァン[ジル]が彼女と過ごしている。だが夜は分身同士で連絡を取り合わない決まりだ。


「明日本人に聞いてみればいいだろ。多分俺がいないとこで聞いた方が本音に近いだろうし」

「だって下着の件で怒らせちゃったんだもん……」

「あ、あんなもの贈るから……」

「ちゃんとしたプレゼントだって渡したのよぉ? おまけで冗談のつもりであげたの。まさかこんなことになるなんて……」


 ミオは珍しくしゅんとしていた。ジルーナは引きずるタイプではないのでそんなに心配する必要はないと思うが、やむなくヴァン[ミオ]はヴァン[ジル]に交信することにした。そして即座に返答を得る。


「……ジルも、結果的に良い判断になるんじゃないかとは言ってる。ジルの危険もなさそうだしな。ただ、ジルは俺とサリエの結婚には絶対反対の立場だったから客観的な意見にはなってないかもとは言ってる」

「ジルがそんなに反対って珍しい……っていうか初めてじゃなぁい? 今回なんてそもそもヴァンさんには結婚する気なんてないのにぃ」

「本腰入れてなのはそうかもな……。いや、それも本来おかしな話なんだが」


 この家では、ヴァンが新たな結婚相手を見つけても誰か一人でも反対したら破談になるという不文律がある。言い換えればヴァンは全員から許可を頂くという所定の手続きを踏まなければならない。ジルーナは基本的に毎回快諾してくれている。


 ミオは視線を斜め上に上げて数秒考え込んだ。そして嬉しそうに、


「お姉さん理由を推理したけど、聞きたい?♡」

「ハハ、ああ」


 あのミオの推理だ。イコール正解と見ていい。


「……世間的に見たらねぇ、ナンセンスさんってヴァンさんの結婚相手にすっごく相応しい人だと思うの。名家の生まれで、誰より優秀で、年齢もちょうど良くて、小さい頃からヴァンさんと付き合いがあって……。あとヴァンさんは気付いてないだろうけど、ミス・ウィルクトリアなんだからこの国で一番綺麗な人なのよぉ?」

「いや。それは違う。ウチの八人がぶっちぎりで同率一位だ」

「ま、まあそれは置いとくけどぉ……」


 ミオはヴァンにとって最も重要な部分を身振り付きで脇に置いた。 


「それに……、ナンセンスさんとヴァンさんってすごく似てる気がする。曲がったことが嫌いなのも、使命のために頑張っちゃうところも、すっごく似てるわぁ。……もしヴァンさんに変な性癖がなくて、ジルとも出会ってなかったら、きっとあの人と結婚してたんじゃないかしらぁ」

「どうだかな……」

「きっとそうよぉ。昔はヴァンさんって英雄扱いでモテモテだったけど、あの人が相手だったら誰もぐうの音も出なかったわぁ。それくらい、本来相応しい相手」

「……」

「だからね、もしあの人が近くにいたら、相対的に自分がヴァンさんに相応しくない人間に思えてくるんじゃないかと思うの。ジルはきっと、それが嫌なんだわぁ」


 なるほど、何となくジルーナの考えそうなことではある。だが、ヴァンとしては反論がある。


「結婚相手として相応しいかどうかは、お互いが好きかどうか、それだけだと思う」


 小難しい理屈や背景は要らない。ただ好きで、ただ一緒に居たいだけ。苦しくても、時々不安になっても、そう言い張ってここまで来たじゃないか。


「……そうね、きっとそうだわ。ジルにもちゃんとそう伝えるのよぉ?」

「ああ。ミオ、君にもな」

「フフ。愛してるわよ、ヴァンさん♡」


 もちろんジルーナだけではなく他の七人の妻も、お互いにとって最高のパートナーであることに疑いはない。


「……ねぇ、ジルって本当に安全かしらぁ? 逆恨みを受ける可能性ってない?」


 ミオはまだまだジルーナのことを考えていた。そんなに好きなら迷惑かけなきゃいいのにという言葉はグッと飲み込む。


「ないと思うぞ。実際問題、サリエにできることって何もないはずなんだ」


 ジルーナが我こそは妻と宣言した以上、サリエが何かしたら即座にヴァンが飛んでくることは彼女も認識している。国中を監視できるヴァンの目をかいくぐれるはずがないことも理解しているだろう。


 情報を流すにしても発信源がサリエであることは即座にバレる。妻の名前が広まったとなればヴァンはこの国を捨てることになるし、そうなればサリエは国中から袋叩きに遭うだろう。もっとも、そうなる前にこの国が滅亡している可能性の方が高いが。


「でも、……捨て身ならできるでしょう?」

「そう……だな。だがそこまでは……」


 今回ヴァンは彼女が物理的に二度と妻に手出しできなくなるような策を取れなかった。サリエに「もう死んでもいい」という覚悟があれば抑止できなくなる。流石にそんな心境にまで追い詰めてしまったとは思わないが、一部の隙もなく妻を守るためにはその可能性も頭の隅に置いておくべきだろうか。


 ────ミオは得意げに微笑みながら提案する。


「逆にこっちから接近してみようかしら」

「え?」

「フフ、元スパイだもの。そういうの得意よぉ?」

「……!」


 ミオは長らく、ウィルクトリア諜報部二課に籍を置いていた。


 諜報部二課の任務は、国外に脱したファクターを捕らえることだ。ウィルクトリアは魔法の力を独占するためにファクターの海外移住を厳しく取り締まっている。しかし諸外国が金とポストを用意してファクターを招聘しようとする動きは絶えない。その企みを未然に防ぐため、諜報部員は敵国の施設に侵入したり、重要人物に接近したりといった手段で情報を盗み出す。


「ナンセンスさんってモデルさんもやってるのよねぇ? 『テツカの部屋』みたいに生放送に出る機会があるならちょっと待ち伏せすれば会えるしぃ、尾行してよく行くお店とかが分かれば偶然を装って顔見知りになれるわよぉ」

「……」

「お姉さん別にヴァンさんの妻として近づくわけじゃないから、何の危険もないわけだしぃ」

「確かに……。だが接近して何をするんだ?」

「そうねぇ……。ジルのこと誰にも話してないか確認するのが最優先かしらぁ」

「それはありがたい……な。頼めるか?」


 本当に緊急時には頼りになるお姉さんだ。ヴァンには思いもよらない方法、ヴァンにはできない方法でこの家を守ってくれている。ミオには何のリスクもないし、非常に有用な計画に思えた。


「ただ、しばらく準備の時間もらっていいかしらぁ? 何回も使える手じゃないし、しっかり作戦を練りましょう?」

「ああ、そうだな」

「フフ、今日は結局変な格好した不審者役ができなかったしぃ、今度こそジルを陰ながら守ってあげるわぁ♡」

「わ、悪かったってその件は」


 ヴァンが謝罪すると、ミオは今のは違うのとばかりに首を横に振った。


「あ、ごめんねぇ。あの格好のことは別に本気で責めてるわけじゃないわよぉ?」

「服というより、危険な役回りをやらせようとしたこと、だな」


 彼女にはジルーナともヴァンとも無関係な不審者という役割で動いてもらおうとしていた。実行していればサリエから攻撃を受ける可能性だってあったのだ。


「そこも別にいいわよぉ。お姉さん結構修羅場くぐってるしぃ、何かあってもヴァンさんがすぐにバリアを張ってくれたでしょう?」

「もちろんだ」

「それにお姉さん────」


 ミオはサラッとボブを払い、必殺のウインクを見せつける。


「いざとなったら自分でバリア張れるもの♡」


 第二夫人、ミオ・スナキア・ウィンザー。彼女が諜報部という危険を伴う組織の一員として活動できたのはそれなりの根拠がある。


 彼女は歴史上六例しか確認されていない、ファクターとビースティアのハーフである。



(第09話 完)

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