15.残酷なお別れ

 ***


 ヴァンは多数の分身と視覚強化魔法を駆使し、ものの数分で街中からサリエ・ラグランジュを発見した。透明になったまま即座に背後にテレポートする。


「⁉︎」


 突然の魔法の気配にサリエは鋭敏に反応し、すぐさま振り返ろうとする。だがヴァンからすれば遅すぎる。のんびりと彼女の肩に触れ、はるか遠方までテレポートで連れ去った。


 夜だった母国から一転、真っ昼間。大都会から一転、森の中。唐突にこれだけ周囲の環境が変化したにも関わらずサリエは至極冷静にバリアを張り、周囲を警戒している。


「……ヴァン様ですね?」


 そして即座に犯人を言い当てた。まあ他にあり得ないのだが、この対応力はなるほど優秀だ。軍に来てくれたらなかなか頼りになるだろう。だが優秀なら優秀な分怒りが募る。サリエはこの強さを背景にジルーナに迫ったのだ。


 ヴァンは透明化を解く。


「『テツカの部屋』以来だな」


 吐き捨てるように挨拶とも取れない挨拶を済ませる。


 サリエはバリアを解く。


「ジルーナさんのお話……ですわよね?」

「ああ。君に頼みたいことがあってな。ちなみにここはウィルクトリアから見て星の真裏にある孤島で、俺の力がなければ絶対に帰れないし、俺の個人所有だから自由にこの島を地図から消すこともできるんだが、俺のお願いを聞いてくれるな?」

「ら、拉致と脅迫ですわねこれ……」

「脅迫はお互い様だろ」

「では拉致は?」

「ちゃんと帰すさ。話し合いが済んだらな」


 こちらの要求は絶対に通すつもりだ。ジルーナ、そして他の妻たちの安全確保。これだけは絶対に譲れない。


「……随分怒らせてしまったみたいですね、私。できるだけ配慮はしましたのに……。ジルーナさん結構普通にお話してくれてましたわよ?」

「ジルは強いからな。だが何も怖くないわけじゃない。怖くても立ち向かえるだけだ。……俺が彼女を尊敬しているところだよ。ただ、もう立ち向かわなくていいようにしてあげたいんだ」


 サリエなりに最大限気遣っていたことは分かる。使命感を持って動いていることも分かる。こちらの事情を知らない彼女からしたら、国の緊急事態を解決するために必死になるのも理解できる。それでも結果的にジルーナを怖がらせたのなら、ヴァンにとってそれは許し難い。


 サリエは目線を横に流し、髪を撫でつけながら悔しそうに呟く。


「大事にされているんですね。羨ましい限りです……」

「散々苦労をかけているからな。これでも足りないくらいだ」

「確かに……お疲れのご様子でしたわ。マスクを被ってお友達と奇怪なパーティーをされるそうで」

「……?」


 どういうことだろうか。まあ、ユウノを単なる「お友達」と認識しているなら何よりだ。


「それで、お願いとは何でしょう?」

「ジルにはもう関わるな。探ろうとするな。もちろん他の妻に対してもだ。今回得た情報を他言することも許さない」


 ヴァンは端的に要求を叩きつける。さらに、納得させるためにそれなりの説明も添える。


「サリエ、君の推察通り、俺は悪巧みはしていない。そうは見えないだろうが、俺はこの国を救うために動いている」

「……詳しく事情を聞かせてもらうわけにはいかないのでしょうか? ヴァン様がちゃんと説明してくだされば私たちは信じてついていけます。私が、その……」


 サリエは少し口籠もってから、意を決したかのように続ける。


「私が、ヴァン様をお慕いしているからというわけではなく、この国の者なら誰でもそうです。それだけのことをヴァン様は……、結婚前のヴァン様は成し遂げておられました」


 ヴァンは黙って首を横に振る。


「隠すことそのものがこの国のためだ」


 この国を破滅に向かわせないためにも守らなければならない秘密がある。それゆえに、


「君に変に動かれると計画が狂う」

「わ、私はお邪魔になっていると……?」

「悪いが、そうなる。国の未来を想うなら大人しくしていてくれ。これ以上妻に手出しをするなら、手荒な方法で止めるしかなくなるぞ」


 ヴァンは容赦なくサリエを睨みつけた。彼女は途端にしゅんとなり、叱られた子供のように項垂れた。


「……そんなに重大な秘密をジルーナさんには話したのですね?」

「彼女は何も知らない」

「そんなはずがありません。事情も知らずヴァン様と結婚する決断ができますか」


 今更そこは誤魔化せないか。彼女が指摘した通り、ヴァンは結婚する際に妻には包み隠さず説明している。そうでなければ国中に非難される結婚には踏み切れないだろう。


「どうして、私じゃないんですか……? 私だってヴァン様に寄り添ってお支えしたいのに……」

「……」

「私は、本当は国のことなんてどうでもいいんです。私が動いたのは国のためなんかではなく、納得したかったからなんですよ。なぜ私ではなくジルーナさんが選ばれたのか。他の七人の奥様が選ばれたのか」

「……そうか」


 彼女の行動理由が国のためではなく恋のためなのだとしたら、彼女を止め、妻を守るのは簡単だ。────この恋を終わらせればいい。そしてそれは、彼女にとって何より重い制裁となるだろう。ここに来る前は対処に迷っていたが、図らずもシンプルな結論になった。ヴァンのやるべきことは彼女の想いを断ち切ることだけだ。


「俺が一緒に居たいと思ったのは彼女たちだからだ。君ではなく、な」


 妻にこんなこと言われたらと想像するだけでショックで気絶しそうになる。いや、彼女の自分に対する気持ちがそれほど強いと想定するのは自意識過剰か。


 だが、彼女の様子を見るに相当効いていた。溢れた涙がまつ毛を伝い、すんすんと鼻を鳴らす。小刻みに肩が震えているのが暗い森の中でも分かる。かわいそうなことをしてしまったという胸の痛みはある。しかしこれはやらなければならないことだ。


「それでも約束できるか? 俺の妻にはもう手を出さないと」


 サリエ目に涙を溜め、胸の前でモジモジと手をこねて、コクコクと小さく首を縦に振った。


「約束します……。今日はごめんなさい。だって……、ヴァンお兄ちゃんがこんなに怒るなんて思ってなかったんだもん……」


 ふいに、子どもの頃のような砕けた口調に戻る。妻にやられたら膝が笑うほどときめくのは経験済み。一方、猫耳のない彼女にやられてもやはりピンと来ない。だが、偶然にも妻と同じ行動を取った彼女を見て、きっと世間的に見たら相当可愛い子なのだろうと想像することはできた。────このままヴァンに拘っているのが勿体無いほどに。


「……帰ろう」


 話は済んだ。ヴァンはテレポートするため、彼女に手を伸ばした。


「ヴァンお兄ちゃん。ここには誰も居ないんだよね……?」

「ん? ああ」


 ヴァンが答えると、サリエはヴァンの手につかまるのではなく、胸に飛び込んだ。


「抱いてください」

「!」


 ここで敬語に戻すという技もあるのか。妻にやられたと想像すると卒倒しそうだ。いや、今はそんなことよりせめて全力で彼女に向き合わなければ。振る方も辛いなんて傲慢なことは言わない。情がある故に、本気で切り捨てる。それが彼女のためでもあるはずだ。


 断り方をふと思いつく。その言葉は、奇しくも昼間妻の一人に放った言葉と重なる。あの時は気遣いからだったが、言い方や態度を変えればその意味は百八十度回転する。


「……今手が汚れてるから無理だ」


 ヴァンは面倒そうに呟いた。


「……!」


 見開かれたサリエの瞳からポロポロと涙が流れていく。


「そ、そんなの洗えばいいじゃないですか……。ヴァン様、あんまりです……! 断る口実を考えることすら面倒だって言うんですか……? 私……すっごく勇気を出してお誘いしてますのに……っ!」


 それは彼女が磨き上げてきた女性としてのプライドを叩き割る強烈な一撃となった。さめざめと泣く彼女をなだめもせずに、ヴァンは彼女を連れてラグランジュ家の前までテレポートする。


「……じゃあな」


 囁くように別れを告げ、その場を立ち去った。

 彼女を深く傷つけてしまった嫌な手応えが胸に残る。これが彼女のためなのだと、ヴァンは何度も呟いた。

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