25.結婚生活へ
***
ヴァンとジルーナは結婚後、同じ部屋で生活するようになった。広大なスナキア邸の中で寄り添い合うように、こじんまりと。それがどうしようもなく心地良かった。少し探せばすぐに視界に彼女が入る。
毎日のように彼女の可愛い部分を発見する最高の日々だ。特に猫っぽいところを見つけると胸が熱くなる。何かに集中しているときは尻尾の先が小刻みに動くこと。声を出すのが面倒なときは尻尾で返事をすること。甘えに来たと思ったら急に飽きること。毎日パトロールするようにスナキア邸全室に赴いて掃除が必要かチェックすること。都度都度悶えるヴァンをうざがる割にその内また甘えに来ること。ヴァンは世界一の妻と結ばれた。本気でそう信じている。
「ヴァン、私もう使用人じゃないんだよね?」
二人で食卓を囲んでいると、ジルーナが思い出したかのように問いかけた。ヴァンはそんなの当たり前だとばかりに何度も首を縦に振った。
「そう? じゃあ言うけど、『何食べたい?』って聞いたとき『何でもいい』って言うのやめてくれる?」
「うっ!」
「お仕事ならそれでも頑張るけど、妻としてはもっとヒントを要求します」
ジルーナは頬を膨らませ、眇めた目でヴァンを刺す。ヴァンは心の底板をひっぺがしてさらに奥底から反省した。家のことは本当に彼女に任せっきりだった。使用人なんかじゃないと思っておきながら、その実しっかりとご負担をおかけしてしまっていたではないか。
「今まですいませんでした……」
平謝りである。
「ハハ、いいよ。これから気をつけてね」
「そういうの他にあるか? 俺も考えるし、あったらすぐ教えてくれ」
「うーん、今のとこそれくらいかな」
「そうか。……その、ちゃんと夫婦になろうな」
「……うん」
まだ二人は夫婦という関係を作り始めたところだ。しかし、すぐにしっくり来るだろう。二人の間には深い信頼と愛情がある。
「ジル、俺近々まとめて休みを取る」
「ん?」
「新婚旅行に行かないか?」
ヴァンが提案すると、ジルーナの手が止まった。見る見るうちに表情が歓喜に染まっていく。目を細めてクシャッと笑う。ヴァンが一番好きな彼女の顔だ。
「そんなの絶対行く! どこにする⁉︎」
「どこでも何箇所でもいいぞ。移動時間ゼロだからな」
彼女はずっとこの家の中で働いてきた。外の世界に連れまして色んなものを見せてあげたかった。世界最強の魔道士たる腕の見せ所だ。世界中に別荘を所有している富豪の腕の見せ所でもある。
「見たいものでも食べたいものでも何でも言ってくれ。俺が全部叶える」
「え〜どうしよう! 人が作ったものなら何でも嬉しい!」
「あー……なんかごめんな……」
すっかり熟練の主婦のセリフだ。彼女には本当に苦労をかけてきた。そして、きっと自分の立場のせいでこれからもかけてしまうだろう。その分思いっきり大事にして帳消しにしてあげなければ。
「ヴァンとお出かけって初めてだね。……あれ? っていうか私たち外で並んで歩いて平気?」
「俺がめちゃくちゃ変装するよ。国内だとそれでもバレそうだから海外限定にはなるかな」
「私もした方がいい?」
「うーん……俺はオシャレしてる君が見たい」
「いつもしてるつもりですが?」
「あ、いや、そうじゃなくて! その、お出かけ用の格好をだな!」
慌てふためくヴァンを見て、ジルーナはケタケタと笑った。まあ、安全面は心配ないだろう。今や世界中でジルーナをヴァンの妻と知りながら撮影する行為は重罪だ。単に法で裁かれるのではなく最強の変態魔道士が国ごと滅ぼしにやってくると思われているらしいので、誰しもさりげなくスルーしてくれるだろう。
「じゃあさ、まず作戦会議の日を一日作ろ?」
「うん」
「えっと、ちゃんと予定表作って……。私明日可愛いノート買ってくる!」
「うん」
「ホテルはどうしよっか? あ、でも毎晩家に帰って来れるんだよね?」
「うん」
「……『うん』ばっかりじゃなくてあなた自身の意見もお聞かせ願います? 当主様」
ジルーナは挑発的に微笑んで尻尾をゆったり揺らした。別に全部彼女に任せようと思っているわけではないのだ。弾むような声が愛らしくて愛おしくて、邪魔しないで聞いていたかっただけだ。
「ジル。……愛してるよ」
ヴァンは自分の意思を返す。会話の流れを無視しているし、もっと色々あっただろうが、根っこを辿ればどうせ全部これなのだ。
「そういうこと聞いてるんじゃないんだけど……。まあいっか! 私も愛してるよ」
二人の複雑で壮大で、それでも幸せな結婚生活が始まった。
(第七話 完)
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