19.プロポーズ

 ***



 テレポートを駆使して二人がやってきたのは湖畔に佇むスナキア家の別荘。


「せっかく来たんだしまずはゆっくりしないか?」


「ん? いいけど……」


 ヴァンは問いかけつつも答えを待たずにテラスに出ていく。ジルーナは「掃除しに来たんだけどなぁ」とでも言いたげな訝しげな表情で後ろをちょこちょこついてきた。


 空はオレンジと深い青が混じり合い、星々が瞬き始めていた。ちょうどあの日の続きのような空だ。ジルーナは髪を風にたなびかせながら頭上を見上げる。星明かりに照らされた肌は大理石のように優しく光り、長いまつ毛が頬に影を落とす。何だかんだで喜んでいるのか、尻尾をゆったりと大きく揺らしていた。


 ヴァンは息を呑む。彼女は本当に────、


「綺麗だな」


「うん。海外旅行付きなんていい職場だね」


 ジルーナは空に視線を向けながらぽつりとこぼした。


 彼女がスナキア家を”職場”と捉えるのはもう、終わりにしたい。思えば最初からヴァンにとって彼女は使用人なんかではなかった。いつでもヴァンのそばで味方でいてくれた彼女は、ヴァンにとって────。


「ジル」


 呼びかけると彼女はすぐに首をこちらを向いてくれた。何だって全部聞くとばかりに。いつもそうしてくれていた。当たり前のように。


「君が好きだ。俺と結婚してくれ」


 ヴァンは深く暖かい声色で告げる。


 いつだって彼女だけがヴァンに寄り添ってくれた。何もかもを自分の力に託す国の中で、彼女だけがヴァンを支えてくれた。絶対にそばに居てほしかった。使用人としてじゃない。妻として。愛する人として。


 ジルーナの猫耳が一瞬ピンと立ち、やがてしゅんと垂れ下がった。尻尾の動きが止まる。目をまん丸にして、唇は弛緩していく。柵にかけていた手をそろそろと離し、おぼつかない指先でスカートの裾を掴む。


「な、何急に……!」


「急じゃないよ。ずっと言いたかったんだ」


 許されないことだと自分に言い聞かせて何年も堪えていた。随分遅くなったくらいだ。だが、もう耐え忍ぶのは終わりだ。


「君が好きなんだ、ジル。君はいつだって俺の味方でいてくれて、いつだって俺を一人の人間扱いしてくれた。俺が君からどれだけ勇気と力を貰ったことか。ジル、俺は君の隣に居たい。俺の……妻になってくれ」


 ヴァンは思いの丈をぶつける。彼女以外あり得ない。使命に縛られ続けていたヴァンがやっと口にできた、自分自身の願いだ。


 ジルーナの口がわなわなと震える。


「わ、私も……」


 訥々と言葉を探しながら、それでも懸命に、彼女は言葉を紡ぐ。


「私もヴァンが好き……。大好き……。でも……!」


 目には少し、涙が浮かんでいた。


「でも、私怖いよ……! 私のせいでみんな死んじゃうんだよ……? 私そんなの怖くて……」


「そうなっても君のせいじゃない。俺だ」


「おんなじことだよ。……ううん、ヴァンのせいになるならもっとイヤ」


 ジルーナは怯えるように自分の肩を抱いた。もし国が立ち直らず、ヴァンの後継も居なければ、ウィルクトリア六百万人の命は露と消える。二人ともそれが怖かった。だからこそどれだけ相手を想っていても踏み切ることができなかった。


「私、ね……。あの日すっごく後悔したの。ヴァンが性癖の話をしてくれたときに、私ヴァンの味方になれなかった。望んでない結婚でもヴァンはしなきゃって、そう思って……。もうあんなことしたくないのに……。でも、やっぱり怖いよ……!」


 性癖が不治の病だとしても、それを無視して何としても後継を残す。ヴァンはその道を選ばざるを得ないのだと、ジルーナは訴える。悔しさに顔をしかめて俯き、スカートが破けてしまいそうなほど強く裾を握っていた。


 ヴァンは、秘密を伝えることにした。恐怖に震える彼女に告げるにはあんまりな話だが、これを知らずに判断はできないし、してほしくもない。ヴァンは父から告げられたスナキア家当主だけに伝わる秘密を、そっと彼女に漏らす。


「ジル。……俺の力は愛する人との子どもにしか継承できないんだ」


 “ルーダス・コア”の継承条件。


「そして俺はビースティアしか愛せない」


 性癖。


「…………え? じゃ、じゃあ……⁉︎」


 ジルーナの表情が驚愕に染まっていく。


「そうなんだ。スナキア家は俺の代で終わる」


「……!」


 ウィルクトリアの滅亡はほとんど確定している。その事実にジルーナは言葉を失った。


「俺は当主の使命を果たせないらしい。……それなら、ただの一人の男として君と結ばれたい」


 ヴァンがどんな結婚をしようが後継を残せないのは変わりない。だが、その問題は今やヴァンの背中を押してくれていた。おかげでヴァンはジルーナを諦めずに済んでいた。


「ヴァン……そんな、ど、どうしたら……」


 ヴァンは優しく彼女の肩を撫で、発表する。


「ジル、俺が君と結婚したいのは、ただの、俺個人の意思だ。でも同時にこの国のためでもある」


「え……?」


 ヴァンが辿り着いた、この国を救うための唯一の策。


「この国にはもう俺が生きている内に体制を立て直す以外にないんだ。だから無理矢理にでも焦らせて、間に合わせてやろう。俺がビースティアと結婚したら皆大慌てだ。誰も彼も死ぬ気で改革に取り組むはずだ」


「!」


 スナキア家の血が途絶えるかもしれない。そう思わせれば国民は強烈な危機感を抱く。改革に向かわせる痛恨の一撃となり、結果的にこの国はただ一つの生存ルートに乗る。強引なやり方にはなるが、今まで取ってきた正攻法よりよほど効果的なくらいだ。


 いつの間にか逆転していた。ジルーナとの結婚は国を滅ぼすものではない。国を救う結婚だ。


「……で、でもそれじゃ……ヴァンが……」


「ああ、そんなのはもう英雄じゃないな。国の未来より性癖を優先したサイコな変態野郎だ」


 ヴァンは自嘲気味に笑う。ヴァンは国を想い、国を守るために、国中を騒がせる変態に成り下がるのだ。


「ちゃ、ちゃんと国の人に説明するわけにはいかないの……?」


「うん、無理だ。俺が後継を『作れない』のだと知られたら、この国は俺がいる内に世界に戦争を仕掛けることになる。下手すれば人類ごと滅亡だ」


「戦争……っ⁉︎」


 ヴァンの性癖は世界すら終末させかねない。たった一人の魔導師を中心に回っていた故の奇妙な悲劇だ。


「でも『作らない』だけなら、『作る気がない』だけなら、きっと大丈夫だ。他国からの賠償金が必要なこの国が他国を滅ぼすのは自殺行為だからな。後継の可能性が残っていると見せておけばそこまでしないよ」


 幸か不幸か、この国の経済が歪んでいるおかげで悲劇は避けられそうだ。戦争は他の道が完全に潰れた後にようやく選ばれる最終手段なのだ。だから継承条件の件を伏せ、性癖の方だけを明かす。国民たちは「いざとなったら性癖とか言ってないで後継を作ってくれるよな……?」と最低限の安心感を得た上で、それでも「もしできなかったら」と大いに焦る。早急に改革を進める。


 これがヴァンが辿り着いた解決策。他に手立てがない以上、もうやるしかない。


「そんな大変なこと一人で抱えてたんだね……? またたった一人で戦ってたのね……?」


「……君も居たよ。君が傍に居てくれるだけで俺は全部大丈夫になるんだ」


「ヴァン……」


 少しの間の後、ジルーナは深く息を吸い、目を瞑りながらゆっくりと吐いた。そしてまるで普段の何気ない会話のようなトーンでヴァンに尋ねる。


「ちょっと頭整理させて? 急な上にめちゃくちゃだよ、このプロポーズ……」


「ハハ、ごめんな。家庭の事情で説明事項が多いんだ」


 二人は微笑み合う。ヴァンは彼女の決断をじっくりと待った。これでも届かなければその時はもうお別れになるだろう。だが、ヴァンの心は平静だった。彼女ならきっと分かってくれる。絶対的な信頼がある。


 ジルーナは数秒間目を伏せ、やがて意を決したようにヴァンを見つめた。


「ヴァン……、条件があるの」


 聞き覚えのある言葉。


「……今度は君からか」


 ただし立場は逆転だ。


「後継を完全に諦めちゃうのは……やっぱり危ないと思うの。だからできることはしよう?」


「できる……こと?」


 何もない、はずだ。強烈な性癖。継承条件。ヴァンには解決の手立てが何もなかった。


「他の人とも結婚して」


「⁉︎」


 ヴァンは虚をつかれて口を大きく開く。


「ファクターが良いなんて言わない。ヴァンが本当に好きになれる人だけでいいから、他にも奥さんを見つけて。ヴァンは何万人にもなれるんだし、こっちが何人居たって大丈夫でしょ?」


 ビースティアとの子どもを授かる可能性もゼロではない。三百十六年で六人だけという紙のように薄い確率だが、希望が全くないわけではない。妻が多ければそれだけ奇跡を引き当てる確率も増す。確かに何もしないよりはマシだ。だが────、


「ジルはそれでいいのか?」


 そこは大問題だ。彼女に不義理を果たしたくない。


「複雑だけど……でもずっといい。私たちのせいでこの国が滅んじゃうより、ヴァンのこと諦めるより、ずっといいの。……何百万人分の命を賭けて結婚するんだもん。私だってちょっとでも責任を取りたいから」


 心からの望みではない。それが一番マシだっただけだ。そんな辛い選択をさせてしまうことが悔しくてたまらなかった。そんなことはしないと突っぱねたかった。それでも、


「私が言い出したら聞かないの知ってるよね? 約束してくれなきゃしないよ、結婚!」


「……っ!」


 こうなるとヴァンはお手上げだ。いつもそうだった。


「大体、国の人たちのこと、その、追い詰めるんだったら……、私との結婚じゃ足りないと思うの。ヴァンは他の人とも結婚できるんだし、『そのうち後継のことも考えてくれる』って思われるだけだよ」


「……」


 残念ながら一理ある。仮に一夫多妻制をどうにかしてぶっ壊したとしても「今の妻と別れて」が付加されるだけだろう。今までの真面目なイメージもあり、一時の気の迷い程度に思われるかもしれない。


「それならいっそ次々ビースティアの子と結婚して、えーっと、いかにヴァンが、へ、変態……? なのかを見せていった方が……」


「それは……効くな……」


 一夫多妻はヴァンに後継を残してほしいという思いで国民がせっせと誂えた法律だ。それを利用して後継の望みのない結婚を繰り返すなどという蛮行、彼らに「もうあんな変態には頼っていられない! 自力で生きよう!」と覚悟を決めさせるには効果的にも程がある。


「……分かった。でもその代わり俺は君を本当に大事にする。うんざりするほど大事にする。世間の夫の何十倍でも何百倍でも。あ、いや、俺万単位で分裂できるし何万倍でも────」


「ああもう分かったから! ヴァンのそれは本当に凄そうだから逆に怖いよ!」


 怖がられたってそうしてやる。ヴァンは鼻息を荒くして眉に力を込めた。彼女を世界で一番幸せな妻にしてやる。そう決意した。


「じゃ、これで成立だね。……あのさ、もう一回プロポーズしてくれない?」


 ジルーナは上目遣いでおねだりする。


「え?」


「これじゃなんか締まりがないじゃんか」


「あ、ああ。そうだな」


 確かに全然ロマンティックな雰囲気ではなくなっていた。ヴァンは咳払いを一つ置いて仕切り直し、改めてプロポーズする。


「愛してるよ。結婚してくれ」


「あれ? なんかバージョンアップしてない? フフ、ごねてみるもんだね」


「……いいから返事」


 ヴァンが迫ると、ジルーナは目元をクシャッとさせ、口を大きく開いて盛大に笑った。目尻から薄っすらと雫が流れる。だが、今度は悲しい涙じゃない。


「はい! 私がヴァンを幸せにします!」

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