16.告白

 ***


 雨の降りしきる夜のことだった。


 ヴァンの書斎にジルーナがやってきた。珍しく彼女はノックを忘れた。


「ヴァン……」


 暗く沈む表情。口元だけは微笑んでいたが、無理に作っているように見えた。


「どうした?」


 ただごとではない様子にヴァンは驚いて彼女を中に向かい入れる。ソファーに座ってもらい、ヴァンはキャスター付きの椅子を滑らせて正面に向かい合った。


「法務大臣って人から電話が来たよ。……お嬢さんとのお見合いの件で、早く返事が欲しいって」

「……!」


 総理と一夫多妻法について話し合ってから二ヶ月。あの日以来ヴァンが応じたという情報は政界を駆け巡り、様々な人物が自分の身内をヴァンにあてがおうとしていた。国の盟主たるスナキア家の親類になる。その意味は大きいらしかった。


 ────ジルーナには何も話せていなかった。言えなかった。言いたくなかった。


「そんな話があったんだね……。ヴァンも大人になったね」


 ジルーナはこめかみに垂れる毛束をくるくるとねじる。声のトーンが普段よりいくつも低かった。


「どんな状況なの? 何にせよ待たせたら失礼だよ?」

「状況も何もないよ。一方的に釣書を送りつけられただけだ。無視していい」

「だ、ダメでしょ。断るにしても電話するなりお手紙書くなり……。何か手伝う?」

「いいよ。書類を捨てたから連絡先が分からない」


 ヴァンは乱暴に言い捨て、口をひん曲げて視線を外す。


「ヴァンってそんな失礼なことするんだっけ? ……あのさ、私だってヴァンが何か隠してたら分かるんだから」


 ジルーナはスッと立ち上がり、書斎の片隅にある小さな棚に近づいていく。


「……ここでしょ。私に『触るな』って言った。ヴァンもお年頃だから、その、そういうやつでも隠してるのかと思ってたけど……」

「か、隠してない!」


 いつもの調子で喋ろうとするジルーナが痛々しく見えた。ヴァンは分かっている。自惚れではない。彼女だってヴァンのことを────。


「わっ!」


 ジルーナが戸棚を開けると雪崩のように大量の釣書が溢れ出した。彼女は驚愕して声を漏らし、拾い集めるために床に座った。


「何これ……! 何十人分あるの……⁉︎」

「もう数えてない。国中のお偉いさんが渡してくるんだ」


 ジルーナは釣書を回収して重ねながら一枚一枚に目を通していた。その大半はアシュノット総理の声かけにより集められた人々らしい。ヴァンが子どもを残すことに前向きになるよう、国中の美女・才女を結集させたリストになっているようだ。「誰でも、何人でも構わんよ」という総理の声が聞こえてくるようだった。


「え、選ぶの大変だね」

「……それが、選ばなくてもいいんだ。もうすぐ俺に一夫多妻を認める法律ができる」

「えぇー……? そ、そっか。ヴァンには……お役目があるもんね」


 絶対に、何としてでも後継を残す。それがヴァンに課された重要な任務だ。国の構造を鑑みればこの流れも無理からぬこと。


「……使用人増やしてもらわないとお仕えしきれないね。もう本宅には居られないし」

「……」

「あ……。というか私、居ない方がいいのかもね……」


 他の誰かと結婚するのなら、ジルーナとは離れなければならないだろう。どう考えたってその妻よりも親密で、信頼関係があり、互いをよく知っている。そんな姿を見せてしまえば結婚など上手くいくはずがない。


「ジル。俺は断るよ」


 そんなことは絶対に認められない。自分の宿命とはいえ、いつかは後継のための結婚をしなくてはならないとはいえ、まだ彼女を諦めらたくなかった。

 それに────。


「……どうして? 綺麗な人ばっかりじゃんか」

「そ、そうなのか?」

「そうでしょ、ほら。この人なんかミス・ウィルクトリアだよ」


 ジルーナは一枚の写真を指し示す。ヴァンはそれを見て、絶望した。


「……やっぱり俺はおかしいらしい」

「え?」

「ジル、今から話すこと、誰にも内緒にしてくれるか?」

「そりゃね」


 ジルーナは当たり前でしょとばかりに言い切り、背筋と猫耳を伸ばてヴァンの言葉を待ち構えた。ヴァンは意を決し、白状する。


「俺…………ビースティアフェチなんだ」

「……………………はい?」


 あっけに取られたジルーナがだらしなく口を開きっぱなしにする。


「日に日に酷くなる……。もう猫耳も尻尾もないファクターや普通の人間を見ても別の生き物みたいに感じるんだ……。恋愛感情を持つなんてまず無理だってくらい……!」

「じゅ、重症だね……!」


 なかなか恥ずかしい話にも関わらずジルーナはヴァンを決して笑わず、口に手を当てて真剣に考え込んでいた。


「同性が好きな人は異性を好きになれない、みたいなこと?」

「それは性指向だな。俺のは性嗜好に当たる。でも……自分じゃコントロールできないのは同じだ」

「そう……なんだ。じゃあこの写真を見ても……?」


 ジルーナは手に持っていたミス・ウィルクトリアとやらの顔写真をヴァンに向ける。


「……もはや綺麗なのかどうかもわからない」


 ヴァンの性癖は重度も重度だった。対象を過剰に愛するだけには止まらず、対象を持たない相手を見ても何とも思えないという凄まじいレベルまで仕上がってしまった。大量に送られてくる子女たちの釣書を見ても少しもピンと来なかった。

「これでダメならどうするの?」と誰もが思うはずのリストのはずなのに。


「そ、それって別の病気なんじゃないの? 何か、顔が認識できないとかそういう……」

「違うよ。だって…………き、君は、綺麗だ……!」

「……!」


 ジルーナは慌てて顔を伏せる。


「そ、そんなこと言って……」


 スカートの裾をぎゅっと握りしめて、所在なさげに背中を丸めた。

 彼女なら、ビースティアの彼女ならヴァンは愛情を抱くことができる。他は歯牙にもかからない。ヴァンはそんな病を抱えてしまった。


「じゃあヴァンは……顔もよく分からない人と結婚しなくちゃいけないってこと?」

「……そうなる」

「そうまでしてでも後継を作らなきゃいけないってこと?」

「……」


 国のためを思えば、ヴァンはこの病気を乗り越えてビースティア以外の妻を迎えなけれなばならない。それがどれだけ無理難題で、自分の気持ちを無視したものでも。


「性癖……って言うの? 治療はできないの?」

「生活に支障が出るレベルの性癖は病気扱いになる。ただ、ビースティアフェチって言うのは本来生活には支障がない。治療例は見つからなかった」


 ヴァンの性癖が支障となるのはヴァンが後継を作るという役目を背負っているからだ。こんなケース他にはない。


「そもそも性癖全般に関して治療法らしい治療法がないんだ。飽きるまで堪能するとか、その程度しか……」


 ヴァンはかつて大学で医学も学んでいた。だから分かることがある。性癖は不治の病に近い。特にヴァンほど重度になればもうお手上げなのだ。


「堪能って……。わ、私が頑張ればいい?」


 ジルーナは頬を朱に染めながらも、覚悟はできるとばかりに胸に手を当て懸命に提案する。


「そ、それは……! そういうのは順を追って……」

「じゅ、順って何さ……」

「うっ、そ、その……」


 二人は揃って俯いた。口をモゴモゴさせてそれ以上何も言葉にできなかった。


 もう、分かりきっていた。お互い、相手を愛していることなんて。呆れるくらい分かっている。そしてそれが、許されないということも。


「ジル、俺は……」


 ヴァンは声を絞り出す。


「本当は君と────」

「ヴァン!」


 彼女の叫びがヴァンの言葉を遮る。


「……それはダメ。ダメなんだよ。私だって……。でも、分かってるでしょう?」


 彼女は悲痛な表情を浮かべて立ち上がった。重い空気の中を切り裂くように部屋の出口に足を向けていく。二人が何を話そうが、気持ちを伝え合おうが、二人が結ばれないのは変えられない。


「……ヴァンならきっと乗り越えられるよ」


 ジルーナは寂しそうに告げ、扉を閉めた。ヴァンは何も言えず、彼女の方を向くことすらできずに固まっていた。


 拒絶、されてしまった。しかしそれも当然だ。ヴァンと彼女の結婚はこの国を滅ぼすと同義。数百万の命を犠牲にするなんて恐ろしいに決まっている。国民がヴァンの声に従ってくれたことによって、皮肉にも二人の結婚は遠のいてしまった。二人ともこの国に滅んでほしくないのだ。


 ────そんな恐怖を抱える彼女には伝えられなかった。ヴァンのもう一つの秘密について。


 昔、父から聞かされた”ルーダス・コア”の継承条件。「愛する人との子ども」。その条件を満たさなければヴァンの力を引き継げない。この国の守護者にはなれない。


 そこに「ビースティアしか愛せない」という性癖を掛け合わせると困ったことになる。子どもを望める相手と結ばれても愛がないなら意味がない。かといって愛するビースティアと結婚しても子どもが生まれない。


 つまり、もはや。スナキア家はヴァンの代で滅亡する。


 そうなれば国も終わり。この国はヴァンたった一人の性癖のせいで詰んでしまった。残された道はヴァンにこの国を守る力が残っている内に平和を実現することだけだ。国民は懸命にその道を走ってくれているが、このままではとても間に合わない。


 もしこんな事実を明かせば国民は大慌てだ。それで大幅に改革のペースを上げてくれれば希望が見えてくるかもしれないが、別の大きなリスクが生まれる。「このままじゃこの国は滅ぼされる。ヴァンの力がある内に先んじて他国を殲滅しよう」。そんな発想になる者が大勢現れてもおかしくない。殺らなければ殺られると互いが感じながら死ぬまで戦いを止めない最終戦争の勃発だ。いくらヴァンとて全ては守りきれない。世界中の人を手にかけることにすらなり得る。


 ヴァンの性癖はこの国どころか世界を滅ぼしかねない。


「どうすりゃいいんだ……!」


 その圧倒的な力でいかなる困難も乗り越えてきたヴァンが、初めて衝突した巨大な壁だった。

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