15.一夫多妻制の導入
***
ヴァンは総理大臣執務室に訪れた。
「お、ヴァン君。わざわざ来てもらって済まないね」
アシュノット総理大臣は仰々しいデスクから微笑みかける。六十半ば。口髭と目尻の深いシワのせいか歳より老けて見える。しかし、それでもいつまでも生きていそうな気がする。そんな古狸だ。
「いえ。何のお話でしょうか?」
ヴァンは少し警戒心を抱えて尋ねる。改革を訴えるヴァンと現状維持を望む総理は真っ向から思想が対立している。お互いがお互いにとって最大の政敵である。先の選挙では第一党の座から引きずり下ろすという屈辱を与えたばかり。そしてこちらは第一党にも関わらず政権は逃すという悔しい結果。二人は痛み分けという状況だった。当然楽しいお喋りになどなるはずがない。
「君のお仲間の革新党が出そうとしている法案について聞きたくてね。どうせ君のアイディアなんだろう? 君と話した方が手っ取り早いじゃないか」
「そういうことですか……」
ヴァンは皮張りのソファーに腰掛ける。長い話になりそうだ。
「輸入減免法と言ったかね。詳しく説明してくれないかい?」
情報はすでに得ているだろうにと、ヴァンは小さくため息をついた。ヴァンは淡々と説明を始める。次の一手について。
「名前の通りですよ。現在この国は世界各国から賠償金の支払いを受けています。それをこの国からの輸入額に応じて減免する制度です」
ウィルクトリアから買い物をしたらその分賠償金を減らす。シンプルに言えばそんなシステムだ。
「総理もご存知の通り、この国は国際市場で無視されています。ただでさえ財産を奪われているのにわざわざこの国に金を落とすことはないだろうと」
「ハハ、『買うな・買わせろ』が対ウィルクトリア貿易のスローガンだそうだね」
「笑い事ではありませんよ。この状況では企業が育ちません。経済改革のためには賠償金に代わる外貨の獲得方法が必要です。それに、改革を望まない政府にだってこの案は不利益がないはずですよ。この制度があっても結局この国に入る金額は変わりませんし、増える可能性だってあるんですから」
「政府ではなく企業に入る金だろう? そこは明確に損だよ。政府が国民に払うベーシックインカムはどうなる?」
「それは法人税で用意してください。企業からすれば多少税金が上がっても存分に利益がある制度です。企業が育てば人手が必要になり就労率も高まりますから、ベーシックインカムが不要になる人も増えます。税制等の優遇措置を取って辞退者を募れば政府の支出を減らせますよ」
「なるほどねぇ……。それで段階的に国民を自立させていくと。さすが学者さんだよヴァン君は」
アシュノット総理は肩をすくめ、わざとらしくヴァンを称えた。
「君があのスピーチで報復を否定しつつも賠償金の請求に口出ししなかったのは、これを見据えていたんだね?」
ヴァンは反応を示さない。しかし、総理の言う通りだった。復讐をしないと宣言して安穏党を分断。自らのアイディアが通りやすい勢力図にするのが第一歩。その後はあえて残した賠償金を利用してこの国の経済発展を促すシステムを構築。成長と共に段階的に徴収額を減らしていく。これがヴァンの思い描くルートだ。
ベーシックインカムを維持できる以上、旧経済派の政党・その支持者にとっても不利益はない。一方で企業が収益を伸ばせば従業員の給料に反映され、働き者は得をする。働いた方が得、という構造すらないこの国に大きな楔を打つことになる。
「仮にその制度を導入したとして、私が賠償金自体を釣り上げたらどうするんだい?」
減免した分を取り返すために他国への請求額自体を上げる。総理がその対抗策を打ち出してくるのも織り込み済みだ。
「どうぞお好きに。やればやるほど他国は輸入を増やして抵抗するでしょうから。それで国内企業はより勢いづきよりたくさんの人を雇うでしょう」
総理がその手を取れば取るほどヴァンの目指す社会に近づいていくだけだ。かえって都合が良い。ヴァンの策には一切の隙がなかった。
「ハハハ、ヴァン君。立派になったものだよ。いや、小さい頃から頼れる男だったがね」
総理の態度には余裕があった。それもそのはずだ。国会で過半数の賛成を得るには安穏党の協力が必要だ。総理を口説き落とさなければ実現しない。
もちろん、殺し文句は用意してある。
「……総理、政治の世界は複雑ですね」
ヴァンは改まって告げる。眉をひそめる総理に向かい、即座に二の句を注いだ。
「安穏党がこの法案に反対するのは僕への対抗心以外に理由がないはずです。国益を無視した行動を国民は見抜きます。ただでさえ次の選挙では敗北が濃厚な状況で、そのような選択を取りたくない議員は一定数いるでしょうね」
「私が反対を指示しても造反する者が出ると……?」
「ええ、次の選挙を見据えて革新党に鞍替えすら狙ってもおかしくありません。となるとここで安穏党を裏切って賛成に投じれば有権者に大きなアピールができると考えるでしょうね。ちなみに、二人抜ければ過半数を割りますよ」
「……!」
革新党が大躍進したおかげでこの政権は薄氷の上に立たされている。簡単に踏み抜けるし、真っ先に踏み抜いた者が利を得ると言っていい。総理としてはここは素直に賛成を選び、裏切るきっかけを与えない方が得策だだろう。
「……本当に、立派になったものだよ。久しぶりにこんなに手強い敵に会ったな」
総理は視線を外し、口髭を撫でる。
「分かった。ここは応じようじゃないか。ただ見返りは欲しいところだ」
「一応聞きましょうか」
「ちょうど一つ君に頼みたいことがあるんだ。革新党ではなく、君個人にね」
総理は試すような目でヴァンを見つめ、世紀の大発表かの如く得意げに語る。
「スナキア家当主に一夫多妻を認める法律を作ろうと思っている」
「一夫多妻……⁉︎」
突拍子のない展開にヴァンは眉を歪ませる。
「君の一族は我がウィルクトリアの財産だ。政府としては全力で保護したいんだよ。もはや君一人しか残っていないんだからね」
「ですが、当主になれるのは一人だけですよ?」
ヴァンはただスナキア家の血筋であるだけではなく、”ルーダス・コア”という魔力源を受け継いでいる。国を守れるほどの力を手にすることができるのは一子のみだ。
「継承者の候補は多い方がいいだろう? 体の弱かった先代や、わずか十二歳で継ぐことになった君のようなケースは避けたいところだ」
「……」
正直言ってそれは一理ある。父に兄弟が居れば当主の重責を負わせる必要はなかったし、ヴァンより年長の兄弟が居れば子どもが当主にならずに済んだ。選択肢は多い方がいい。しかしそのために妻を増やすというのは、女性に失礼であり生真面目なヴァンとしては受け入れ難いものがある。
「それに、君はコアを継承する前からすでに軍の誰より強かったと聞いているよ。スナキア家の血は優秀だ。十人も居れば師団並みの戦力になる。国防力は強化され、一人に依存しない。軍事費が受けば国民にも利がある。どうだね?」
「なるほど……」
政敵の意見ながら筋が通っていた。ヴァンにとってもメリットが多い。
総理としてはスナキア家の有用さを世間に示し、「あいつらさえ居れば現状維持なんていくらでもできる」というアピールに利用したいのだろう。それは多少厄介だが、大きな問題ではないように思えた。ヴァンの策にタダで付き合わされるのが癪だっただけだろう。
「ただ、制度を作っても君が使ってくれなくては意味がない。私はね、その約束が欲しい」
「……」
「いいだろう? 君も日々大変なんだからそれくらいの美味しい思いをすればいいじゃないか、ハハ」
ヴァンは拳を握りしめた。何人とでも結婚できると言われても、本当に結婚したいただ一人と結ばれることができない。それが悔しかった。
そもそも後継を産んでもらうためだけに形だけの結婚をいくら繰り返そうが意味はない。”ルーダス・コア”は愛する人との子どもにしか継承できない。昔父から聞かされたスナキア家の秘密だ。ヴァンが愛しているのは────。
「総理。分かりました。前向きに検討します」
ヴァンは宣言する。正直言ってそんな制度に興味はないが、口約束だけでもして要求を通すことにした。
「聞いたぞ?」
したり顔の総理に会釈し、ヴァンはテレポートでその場を去る。
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