12.国政選の企み
***
ヴァンの書斎のドアをジルーナがノックする。
「ヴァン、いい?」
ドアの向こうから聞こえた声に、ヴァンは肯定の返事を返す。ジルーナがそろそろと入室した。
「選挙の結果が出るんでしょ? 一緒に見ない?」
ジルーナはテレビに視線を送る。本日行われた国政選の特番がまもなく放送される。ヴァンはソファーに腰掛けて待ち構えていた。あのスピーチから二ヶ月。ヴァンの言葉が、そして行動が、国民にどう評価されたのか。その結果が今日出るのだ。
「おいで」
ヴァンが彼女を手招きすると、ジルーナは嬉しそうに駆け寄る。尻尾を踏んづけないように気をつけながら隣にちょこんと腰掛けた。
「この前『今度の選挙で面白いことが起こる』って言ってたでしょ? 私あんまり詳しくないから解説してくれる? ほら、中卒だし」
「ほう……。もうそれをネタにしてくるか」
「ハハ、どうせヴァンは私に居てほしいんだって分かったからさ」
同じ屋根の下で暮らし始めてしばらく経つ。この家から出されてしまうかもしれないという恐れはすっかり消えたようだった。挑発的に揺らしている尻尾はその証拠。安心して暮らせているならそれで何よりだ。
それにしても尻尾は可愛い。お話聞きますよとばかりに向けられた猫耳も愛らしい。見ていると心が躍る。
────触れてみたい。
「……ヴァン? どうしたのぼーっとして」
「あっ! す、すまん」
無意識に彼女の尻尾をガン見してしまっていた。自分は一体何を考えているんだ。こんなの完全にセクハラだ。……あれ? 「セク」でいいのか? 自分はそういう目で猫耳と尻尾を見ているのか……?
「ヴァン? 本当にどうしたの? 疲れてる?」
「い、いや! 大丈夫だ!」
ヴァンは慌ててテレビ画面に視線を逸らす。最近、自分はおかしい。気づけば猫耳や尻尾を目で追ってしまっていることが増えた。そのとき自分の中に渦巻いている感情の正体に察しは付いていたが、認めるのが怖かった。
頭を切り替えよう。選挙の解説なんていうお堅い話をすれば気分はガラッと変わるはずだ。
「じゃ、じゃあ、一から解説するよ」
ヴァンが説明を始めると、ジルーナは膝にきちんと手を乗せ、猫耳をスッと立ててヴァンの声に聞き入った。
「この国には今三つの政党があるんだ」
「ヴァンの味方は何てとこ?」
「革新党だ。俺と同じで経済的な自立を主張してる。ここが政権を取ってくれたら俺たちの勝ちだな」
「じゃあ私はそこを応援する!」
ジルーナはヴァンを見上げて頬を緩ませた。その言葉に込められた素直さと健気さに、照明を浴びた髪にできた光の輪っかが相まって、まるで天使のようだった。
「ただ、あんまり人気はない。この選挙の前は一割弱しか議席を持ってなかった」
「そっか……。でもヴァンが頑張ってることが伝わればきっとみんな味方してくれるよね? なんか、もうよく分かんないくらいのお金出してたし……!」
ヴァンの貢献が評価されていれば革新党が躍進するはずだ。単独過半数を獲得できれば理想的。だが、見通しはあまり良くない。
「敵が強いんだ。安穏党っていう、今の総理大臣が居る党があってな。選挙前の国会は彼らが八割を押さえていた」
「八割も……? ど、どういう人たちなの?」
「……現状維持だよ」
改革を訴えるヴァンとは真っ向から対立する勢力だ。彼らにこのまま政権を握らせておけばこの国は何も変わらない。
「現状維持って……。『うちにはヴァンがいるんだぞ!』って他の国からお金を奪って、反撃されたら『行け! ヴァン!』っていう感じでしょ?」
「そ、そうなるな」
この国の現体制を端的にまとめるとそうなる。現在国民たちは何もかもをスナキア家当主に任せて生きており、このままなら働かなくても戦わなくてもいいのだ。そんな甘美な生活を簡単に辞められるはずもなく、この党の覇権は崩すのは非常に困難だ。
「……うん。私はその党が嫌いです」
ジルーナはしみじみと頷いた。皆この子のようであってくれたらなとヴァンは思う。ヴァンの目指す平和な社会とはほとんどイコール「スナキア家に依存しない社会」だ。今回の争点はスナキア家の手を離れて自分の足で立つべきかどうかという命題に集約される。
「もう一つは?」
「愛国党だ。いわゆる過激派だな」
「過激派……⁉︎」
ジルーナは目を丸くする。言葉の響きに怯えて少し体を退け反らせたにも関わらず、「別にビビってませんけど?」とでも言いたげに胸の前で爪を立てていた。
「経済策は安穏党と同じ現状維持。違うのは軍事だ。ここは他国への報復攻撃を訴えてる」
「えー? やだよそんなの……」
「大丈夫。どうせ俺なしじゃ戦えないんだ」
軍事力の大半を占めるヴァンが報復を拒否している以上報復攻撃は実質不可能だ。賢明な国民ならそれを理解している。政権争いは現状維持を訴える安穏党と改革を訴える革新党の一騎打ちだ。
「勝てそうなの……?」
「正直、いきなり安穏党を倒すのはまず無理だ。今回の目標はどっちかっていうと安穏党の分断なんだ」
「分断……?」
ジルーナは不思議そうに問いかける。
「俺はスピーチで報復をあえて強めに否定した。どうしても納得いかないっていう人を一定層作れたと思うんだ。その人たちの票は過激派の愛国党に流れる。旧経済派を開戦派と非戦派と二つに分けたって感じだな」
敵は二種類に分断される。同時にスピーチに賛同した人たちにより革新党が議席を伸ばす。減らすのは安穏党だけだ。そうなれば────、
「上手くいけば安穏党は単独過半数を逃す」
ヴァンの最初の目標はそこだ。安穏党が政権を維持するためには経済策の近い過激派と連立しなければならなくなる。だが、軍事面で折り合いの悪い彼らとは意見調整にかなり手間取るだろう。
「安穏党は政策によっては革新党に協力を要請する形になる。となれば引き換えに革新党の意見も通せるようになるんだ。勝てなくても随分存在感を発揮できるようにはなると思う」
勝利が困難なのであれば負け方を一工夫する。それが今回のヴァンの策だ。二週間前に行われた大規模な世論調査を鑑みるに、選挙の結果はヴァンの予想通りになりそうな状況だ。改革の一歩目としては上々と言えるだろう。
「うーん、なるほど……。すごいねヴァンは。そこまで考えてたんだ」
「まあな」
ヴァンは得意げに口角を上げてみせる。本当は圧倒的に勝つところを見せてあげたいところだが、それにはまだまだ時間がかかるだろう。次かその次の選挙が本当の勝負になる。
時刻は八時を回る。
「あ、始まったよ!」
選挙特番が開始された。司会者がスタジオの面々をさらっと紹介すると、挨拶もそこそこに早速本題に入った。
『開票開始直後ではありますが、すでに多くの当選確実者が出ております。これは……歴史的な選挙となりそうです』
司会者の表情が硬い。異様な事態が起きていることだけはすぐに伝わった。直後、現在までに確定している議席数を示すグラフが画面に表示された。
「こ、これは……⁉︎」
ヴァンはあまりの衝撃に立ち上がった。隣でジルーナも同じ顔で同じ動きをしていた。
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