11.君と一つ屋根の下で
***
スピーチの三日後。書斎で書類仕事をしているヴァンに電話が入る。
「もしもし。どうしました? ドレイクさん」
かけてきたのは幼い頃訓練に付き合ってくれたドレイクだった。終末の雨以降軍属になったヴァンとは現在同僚になっている。
『見たぞ。……お前、大丈夫なのか?』
ドレイクの声には緊迫感がこもっていた。
「見たって、スピーチの件ですか?」
『いや、今朝お前が出した声明の方だ』
ヴァンは早速国の改革のために動き始めていた。国民を動かすためにまずは自分が行動しなければならなかった。それも大胆に。
『”経済立て直しのために総額三十兆フィドルを出資”って……お前、とんでもないことするな。国家予算を超えてるぞ?』
ヴァンは国家改革のため巨額の身銭を切ることにした。しかしこれでもヴァンにとっては財産のほんの一部。スナキア家は代々国防協力金という形で政府から莫大な献金を受け取ってきた。今や世界の財産の一割はスナキア家が保有していると言われているほどだ。
『本当に大丈夫なのか⁉︎ メシ代残ってるか⁉︎』
「ハハ、心配ありがとうございます。問題ないですよ」
ヴァンには父を失った後ドレイクのラグランジュ家に引き取られるという道があった。もし実現していればドレイクはヴァンの兄になっていた。それを意識してか彼はヴァンに兄のように接してくれている。スナキア家当主という立場から周囲を萎縮させてしまいがちなヴァンにとって数少ない心を許せる相手だった。
『な、何に使うんだ? こんな大金』
「雇用促進を目的に企業への融資ですとか、公共事業みたいなことをやるつもりです。あとは起業支援のための財団や職業訓練の学校の設立なども計画してまして、働く場と力を培っていこうかと」
『す、すごいな。金も驚きだが、そもそもそんなに手が回るのか?』
「分身を使ってますよ。それに海外から様々な専門家を招聘するので、基本は彼らに任せます」
『海外?』
「ええ。この国が経済的に自立するのはあちらからしても都合が良いらしいので、かなり前のめりで協力してもらってます」
ヴァンのスピーチは諸外国には好意的に受け止められていた。まだしばらく賠償金を取られ続けるとはいえ、ヴァンはいつか搾取を終わらせたいという意思を示した。それに、物理的にあのミサイルの仕返しをされないというだけでも随分朗報だったようだ。ウィルクトリアに足りない知識や経験は海外から得る。この国の労働環境は急速に整備されていくはずだ。
『……まあ、大丈夫ならいいんだ。だがあんまり無茶するなよ』
「はい」
『今度また飯でも食いにいくよ。じゃあな!』
ドレイクは朗らかに挨拶して通話を切断した。こうして気にかけてくれるのは有り難くて、ヴァンは部屋で一人微笑んだ。
彼のように国民はヴァンが本腰を入れて国を変えようとしていることに驚いているようだった。こうしてヴァンが道を指し示していけば彼らも「できる」と思ってくれるだろう。ヴァンは気を引き締めて仕事に戻る。が────、
「……ん、コーヒーがないな」
ガラス製のコーヒーポットが空だった。ジルーナに頼まなければ。こんなこと自分でやればいいと自分でも思うのだが、多分彼女は「何で言ってくれなかったの!」と怒る。
ヴァンはテレポートで家の中を探す。しかしリビングにもダイニングにもキッチンにも彼女の姿はなかった。となれば自室にいるのだろうと思い、ヴァンは使用人邸の玄関前まで移動して呼び鈴を鳴らす。
「ヴァン様⁉︎」
中から大きな声。彼女はやたらと驚いていた。二人はドア越しに会話を始める。
「様?」
「あ、ヴァン、だった……。ど、どうしたの?」
「ちょっと用があってな。入っていいか?」
ヴァンはドアノブに手をかける。しかし動かない。中で彼女が押さえているようだった。
「ま、待って! 今はその、ダメなんだよ!」
ドア越しのくぐもった声でも彼女が狼狽していることは分かった。三年と少し共に過ごした中であまり聞いたことがない声音だった。何かトラブルを抱えているような気がした。
「どうした?」
「な、何でもないの!」
「本当か?」
「本当だよ! 平気だから!」
彼女は声高に主張する。しかしその態度でヴァンの疑いはより一層強まった。
「……ジル、まだ大して長くはないけど深い付き合いだ。君が何か隠しているのはわかるぞ」
「……」
「俺は魔法でどこにでも入れるぞ。透明にもなれるからバレないし」
「へ、変態じゃんか!」
「だ、誰が変態だ!」
幼い頃から大真面目に生きてきたヴァンは生まれて初めてそんなことを言われた。ヴァンは深く息を吐いて、諭すように語りかける。
「心配してるんだよ。何か困ってるなら教えてくれ」
「…………分かった」
ジルーナは観念したようで、そっとドアを開いた。玄関の先は大ホールになっており、そこから廊下や階段で使用人の個室に繋がっている構造だ。ヴァンがこちらに来たのは十二歳の頃ジルーナの父に連れられたとき以来だった。しかし、すぐに異変に気がついた。────ホールの床に穴が空いていた。
「……椅子を倒しただけなのに、ズドンって……」
ジルーナはバツが悪そうに呟く。
「怪我は?」
「ううん。大丈夫。二年も前だしさ」
「……!」
ヴァンは失念していた。この使用人邸は老朽化しているのだ。自身の修行と学業に囚われて頭から消え去っていた。
「ごめんな。修理……じゃないな、これは建て替えないと他の場所も危なそうだ」
「……」
教えてくれれば良かったのにとヴァンは思ったが、おそらく言い出せなかったのだろう。ヴァンはいつだって忙しかったのだ。こんな劣悪な環境に置いてしまったことを猛烈に悔いた。
「……それってどれくらいかかる?」
「どうかな。何ヶ月かはかかると思う。一旦マンションか何か借りるから────」
「いっそそのまま外に住めとか言わない……?」
ジルーナは身に付けていたエプロンの裾をぎゅっと握った。
「通うの大変だしたまに来てくれればいいとか、それならやっぱり学校に行けとか言わない……?」
「……!」
彼女の人生を思えばそれもやむなしかと、ヴァンは一瞬思ってしまった。あの三年間、ヴァンは力を取り戻すために必死で、自分で自分のことをやる余裕すらなかった。家のことは彼女に甘えきりで大変な思いをさせてしまった。だが今や分身できる数も増えたことだし、あのときほどの切迫感もない。彼女の負担を減らせるなら────。
「やだよ、ヴァン。私ここにいたいの……。ヴァ、ヴァンと、一緒がいいよ……」
ジルーナはしゅんとうなだれて、切々と言葉を紡ぐ。彼女が言い出せなかったのは、離れ離れになってしまうのが嫌だったからのようだ。
────そんなの、ヴァンだって同じだ。
「……ジル、本宅に一緒に住もう」
「え……?」
二人は目を伏せる。しばしの沈黙。心臓の音だけがやけにうるさい。
「あ、ち、違うぞ? 一緒にって言ってももちろん部屋は分ける! 鍵もある!」
本宅にも住み込みで働けるような設備がある。マンションのように各部屋には一通りの設備が整っているのだ。彼女を迎え入れるのに何ら支障はない。少し、いや、かなり、ドキドキしてしまうくらいの話だ。
「……いいなら、そうする」
ジルーナはゆっくり小さく頷いた。頬を真っ赤に染めて、細い声で囁く。
「魔法で入ってこないでね……?」
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