10.とある性癖の発露
***
「あ、お帰りなさい」
スナキア家本宅のリビング。スピーチを終えて帰宅したヴァンをジルーナが出迎えてくれた。
「ジル? もう帰ってたのか」
「私も今戻ったところです」
まだ午後の一時。ジルーナは彼女の卒業式を終えてすぐに舞い戻ったのだろう。友人と積もる話もあっただろうにと、ヴァンは眉根を寄せる。
「だって気になるんですもん」
ヴァンは口に出していないのに、ジルーナは表情からヴァンの考えを読み取った。そしていそいそとテレビをつける。全ての局でヴァンのスピーチの特集が組まれており、コメンテーターや国民の反応を紹介していた。
────ヴァンのスピーチは、国民に否定的に受け取られていた。
『ヴァン様には感謝しておりますが……、何も知らないおぼっちゃまの理想論としか思えません』
『弱腰な印象を受けました。あれだけの攻撃をされて黙って耐えるだけなんて納得いきませんよ』
『正論なのかもしれませんが、現実問題、賠償金なしでどうやって生活しろって言うんですか……』
国民が抱いた感情は主に不満と不安だった。軍事的な報復を望む声や、連鎖を断ち切るにしたってこちらが我慢して終わるのは承伏できないという意見が目立つ。また、搾取を止めた後の経済的な負担を心配する者も多い。ヴァンの掲げた理想は現段階ではまだ雲を掴むような話として受け止められていた。
ジルーナは愕然と画面を見つめていた。
「何……これ……」
元々白い肌はさらに色を失っていき、唇を震わせていた。
「私悔しいです……! ヴァン様が……どれだけ頑張っていたか知りもしないで……!」
爪が食い込むほど拳を強く握り、懸命に歯を食いしばる。ヴァンの言葉を受け入れない彼らに深い失望と怒りを抱いているようだ。
「……一緒に頑張ったもんな」
ヴァンも怒りを感じていた。国民の反応に対して以上に、三年間必死で支えてくれた彼女を悲しませてしまった自分に。
「泣かないでくれジル」
ジルーナはバッとヴァンを向く。
「泣いてません! ヴァン様の方が悔しいのに私が泣くなんて……!」
「ジル……」
ジルーナは少し上を向いて、涙が溢れるのに抗っていた。そのいじらしさにヴァンは思わず彼女の頭を撫でる。
────意図せず、ヴァンの手は彼女の猫耳に触れた。
「にゃっ⁉︎」
ジルーナは調子外れの声を漏らし、咄嗟に猫耳を押さえた。
「ヴァ、ヴァン様……! ね、猫耳は、その、敏感なんです……!」
「す、すまん! そんなつもりじゃ……!」
彼女の反応に、ヴァンは異様な胸の高鳴りを感じた。元々涙を浮かべていた目に、真っ赤に染まった頬。恥ずかしそうに歪む唇。そのどれもが愛らし過ぎた。ヴァンは生まれて初めて猫耳に触れた。その感触がいつまでも手に残っていた。
重かった空気はすっかりリセットされた。ある意味それで良かったとしよう。ヴァンは気を取り直し、解説を始める。
「……国民が戸惑うのも仕方ないさ。この国は賠償金を原資に国民にベーシックインカムを支給してるだろ? おかげで働いていない人が大勢いるくらいだ。搾取を止めたら飢え死にしてしまう」
国民が改革に拒否感を示すのは単に他国への悪感情があるだけではなく、自分たちの生活のためなのだ。彼らには働くための能力がなく、そもそも働く場すらほとんどないような状況だ。簡単に理解を得られないのは予想していた。この国が平和を実現するためにはまず国民の大半を占めるニートを職に就かせねばならない。
「それに、あえて物議を醸す言い方をしたから、この反応は計算済みだ。むしろ順調とすら言える」
「え?」
「あれだけの攻撃を受けて全く反撃しないなんてすんなり受け入れられない人が多いとは思う。俺も実際何もしないつもりはないんだ。この国が経済を立て直すまで賠償金の徴収は続ける。……俺たちの親の命を奪ったんだ。それくらいの責任は取らせる」
「……」
「でもあえて真っ向から報復を否定して敵を作った。きっと来月の国政選で面白いことが起こるぞ」
「え……?」
ジルーナは不思議そうに小首を傾げる。ヴァンにとってあのスピーチは大きな計画の第一歩に過ぎない。いずれ彼女にも分かるだろう。
「国を作り直すなんて口では言っても実際には大変な道だ。……これからまた忙しくなるぞ。引き続き俺を支えてくれ」
「……はい!」
ジルーナは嬉しそうに返事し、目を細めてクシャッと笑った。そして────。
「あ、ヴァン様。ちょっとしたご報告なんですが」
「ん?」
「私、進学しませんので」
「……は? ま、待て。全然ちょっとしたやつじゃないぞ? どういうことだよ!」
「学校に行ってる時間もったいないんですもん。全力で尽くさせてください」
唐突な報告。とても聞き流せない。ヴァンは彼女が自分を支えながらも勉強している姿を見ていたし、せっかくの合格をふいにするなんて認めるわけにはいかなかった。
「だ、ダメだ。は、働きながらは大変かもしれないが、君にはできるだけ普通の学生生活を送ってほしい。俺は飛び級で手放したから大切さがよく分かる。同年代の友人と楽しく過ごしてくれ」
「そんなこと言われましても、私入学手続きしてないんですよ」
「は⁉︎ 俺書類作っといたよな? 後見人の件を色々誤魔化して!」
「郵送は仰せつかっておりましたので」
ジルーナはしてやったりとほくそ笑む。ヴァンは彼女を深く深く信頼していたために、重要書類の取り扱いも任せていたのだ。
「お、俺がごねればどうにでもなる……! 今すぐ学校に────」
「ヴァン様! 私行きませんから!」
ジルーナはヴァンの腕を掴む。キッと眉を釣り上げ、決意が固いことを示す。だが彼女が何と言おうと看過できない。
「嫌がったってテレポートで学校に連れて行く!」
「走って戻ってきます!」
「また連れて行く!」
「何度でも戻ってきます!」
ジルーナは決して譲らなかった。ヴァンはため息をつき、脱力してソファーに腰を落とす。
「……そうだった。君は強い人なんだ」
「フフ、観念してください」
ジルーナは得意げに微笑む。唯一の肉親を失っても悲しみに抗い、懸命にヴァンと共に戦うような日々を過ごした強い女性。もはや説得は不可能だった。
「……確か、俺たちは同い年だったな。俺に務まるか分からないが……」
「え?」
「ジル、条件がある。今後は俺をヴァンと呼び、敬語を使わないこと。俺を友人として扱うこと。できないなら学校に押し込んでクビにする」
「えぇ⁉︎ ずるいですよ! パワハラじゃないですか! さ、さっきセクハラもしました!」
「そ、それはごめんな!」
ジルーナは口をすぼめて抗議を示した。ヴァンは一つ深呼吸を置き、優しい声音で告げる。
「……前からそうしてほしかったんだ。正直言って、かこつけてお願いしただけだよ。頼む」
「……」
彼女と自分の関係が主従だなんてヴァンは思っていない。彼女は最高の相棒で、最も信頼がおける相方で、ヴァンにとって唯一の家族とも呼べる存在だった。
「ヴァンさ、あ、……ヴァン、がいいならそうするけど……」
ジルーナが言葉を探しながら訥々と囁く。
「な、慣れるまで時間かかるからね……?」
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