9.ヴァンの目指す道

 ***


「今年も卒業おめでとうございます」


 朝食の場で、ジルーナがペコリと頭を下げた。


「結局いくつ博士号を取ったんですか?」

「二百三十三個だ。我ながらびっくりだよ」


 ヴァン・スナキア、十五歳。彼は圧倒的な強さを持つ魔導師であると同時に、世界有数の学者になっていた。これだけの完成度を誇る人類は歴史上居なかっただろう。


「あのときに比べたらかなり成長したよ」

「努力されましたからね。……フフ、それに背も伸びましたし、声も低くなりましたね」


 この三年でヴァンの身長は急激に伸び、ジルーナを遥かに追い越した。まだまだ伸びる気配を感じる。


「ジルも大人っぽくなったな」

「そ、そうですかね」


 ジルーナは身長こそさほど変わらなかったものの、あどけなさが消え、顔も身体も大人びてきた。


 以前は二つに括っていた後ろ髪は日々のあまりの慌ただしさからか一本になり、左右のバランスを気にしなくていいように右の後頭部でまとめるアシンメトリーなスタイルが定着した。それほどまでに彼女の時間を奪ってしまったことは申し訳なかったが、彼女自身は気に入っているようだった。しっぽみたいで可愛いとヴァンも思う。


「きのこが食べれたらもっと育つんじゃないですか? 私はたまには食べたいんですけどね」

「す、すまん」


 ジルーナが挑発的に微笑むと、ヴァンは気まずそうに視線を落とす。二人はすっかり親密になり、主人と使用人という関係を超越していた。こうして軽口も飛び出すほどだ。


「ジルも卒業おめでとう」


 ヴァンは話を変える。


「私は中学校ですけどね」


 ジルーナはヴァンを支える傍で学校生活にもしっかりと注力し、国内一の高校に進学を決めていた。何ならヴァンと同じように飛び級も狙えるほどの好成績を収めていた。


「ヴァン様のおかげ、と言いますか……。ヴァン様のせい、と言いますか……。『人に教えるのが一番勉強になる』って言うから、受験に関係ないことまで詰め込まれて……」

「つ、つくづく世話になったな」


 二人三脚で過ごした三年間は、二人に強い連帯感と、達成感を与えてくれた。自分が天涯孤独の一人ぼっちだなんてことはちっとも頭を過らなかった。


「……いよいよですね。ヴァン様」

「ああ」


 本日ヴァンは大学院の卒業式で卒業生代表スピーチを務める。単なる学生の挨拶ではなく、スナキア家当主として本格的に活動を始めるための所信表明の場となる。大学関係者だけではなく、政府や国内外のメディアも注目していた。


 ヴァンには国民に伝えたいことがあった。「終末の雨」、そしてこの三年間の経験を経て、ヴァンには生涯をかけて取り組みたい目標ができていた。今日はそれを初めて投げかける日だ。


「私も見に行きたかったです」

「君も君で卒業式だろ? どうせ後でテレビで流れるよ」


 ヴァンは諭すが、ジルーナはまだ残念そうに口を尖らせていた。


「……ヴァン様の声が届くことを祈ってます」

「ありがとう」


 ヴァンは礼を告げ、立ち上がる。


「行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 いつものように挨拶を済ませ、ヴァンは大学にテレポートした────。





 ────壇上。ヴァンは大ホールに集まった人々を見渡す。会釈をすると会場は大歓声に包まれ、英雄の卒業を讃えた。


「スナキア家十四代当主、ヴァン・スナキアです」


 ヴァンが名乗りを上げると、再び熱狂的な歓声が上がる。子どもながらに全国民の命を救った後も壮絶な努力を続けていたという話は国民に漏れ伝わっていた。ヴァンは全国民に愛され、慕われ、尊敬されていた。


「……私はこの三年間、勉学に励むと共に、魔導師としての修行を積んで参りました。その成果がこちらです」


 ヴァンは分身を披露する。

 その数、実に三万。

 ホール内に飛行し、国民たちを見下ろす。観衆のどよめきが収まるのを待ち、分身を回収した。


「人の一生は約三万日と言われています。こうして三万人に分身して一日を過ごせば、それだけで一生分の人生経験を得ることになります。私はまだ十五歳ではありますが、過ごした月日はすでに数万年を超えています」


 観衆は静まり返った。ヴァンの日々は常軌を逸していた。


「わざわざ分身をお見せしたのは力を誇示するためではありません。今から私が話すことが、何も知らぬ若造の世迷言だと思われないように……。私が私なりに努力と経験を積んだ上での言葉だと思っていただくためです」


 ヴァンは一度深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


「三年前、戦争が起こりました。……私の力が及ばず犠牲者を出してしまいました。その中には私の父も含まれます」


 ヴァンは国を救った英雄であると同時に、被害者の代表的な存在である。国民はヴァンを想い、ヴァンのために怒っていた。


「しかしもう皆さんを不安にはさせません。今や私の力はあの頃をはるかに上回ります。一割の魔力を割いた分身が居れば同規模の攻撃を防ぐことが可能ですし、残りの九割は一瞬で世界各地にテレポートし、即座に全ての国を平らにできるでしょう」


 もはやこの国に悲劇は訪れない。ヴァンは世界に侵略行為は無駄と悟らせる。ヴァンの死を知らない他国からすれば、子ども相手でも攻め切ることができなかったという絶望的な結末を一度見せられているのだ。成長したヴァンにはもう歯向かえない。


「あの戦争でウィルクトリアは多くのものを失いました。子どもたちは泣き、大人たちは絶望した。我々にあのような思いをさせた国々に対する報復を望む声は、日々私の元に届いています。そして私にはそれを容易く叶える力があります」


 復讐。それを期待した一部の国民たちが高揚して声を上げる。しかし────、


「復讐はしません。私がやりたいことは別にあります」


 虚をつかれた民衆が再び静まり返る。


「そもそも、なぜこの国が世界中から攻撃を受けたのか。その答えを皆さんは知っているはずです」


 全世界が徒党を組んででもこの国を攻め落とそうとしたのは理由がある。このウィルクトリアという国家と世界の間には根深い対立が横たわっているのだ。


「きっかけは三百十五年前。世界を二分する大戦が起こりました。ウィルクトリアは平和主義を掲げ、どちらの陣営にも与しませんでした。しかし、その結果この国は両陣営に狙われるという憂き目に遭います。……単なる海路の中継点としてです。たったそれだけのために多くの人が殺され、人口の六割を失うほどの打撃を受けます」


 それはあまりに無惨で理不尽な戦争だったと記録されている。軍人も民間人も見境なく命を奪われた。全世界が相手では抵抗することもできなかった。皮肉にも世界で唯一平和を訴えた国家が最も深刻な被害を受けることになったのだ。


「しかし、この国に救世主が現れました。一介の兵であった男が突如として魔力に目覚め、最初のファクターになりました。それが私の先祖であるルーダス・スナキア様です。ルーダス様の力はあまりに甚大で、たった一人で世界を打ち倒しました」


 初代当主・ルーダスはこの国を滅亡から救った。以来スナキア家は彼の力を受け継ぎ、ウィルクトリアの守護者の役目を果たしている。全世界の軍隊を圧倒できるほどの逸脱した力だ。


「問題はここからです。……世界唯一の戦勝国となったウィルクトリアはその後、世界にとっての脅威となっていきます」


 スナキア家という戦力を手に入れたウィルクトリアは増長し、世界を支配し始めた。


「賠償金の名目で三百年以上経った現在でも財産を奪い続け、言語や文化を押し付け、逆らう国は虐げる。スナキア家が控えていれば誰も逆らえないと、傲慢な振る舞いを続けてきました。……『終末の雨』を正当化する気はありませんが、彼らが攻撃に至った動機は充分に理解できます」


 ミサイルを放ったのは他国だが、他国をそんな凶行に走らせたのはこちらにも落ち度があった。その事実はヴァンを苦しめた。ヴァンが命を落としてまで守った国は世界の暴君なのだ。だが、元を辿れば世界大戦でこの国を追い詰めた他国が悪いという主張も頷ける。


 三百年前の恨みと三百年間の恨みが衝突している。ヴァンにはもうどちらが悪いかなんて分からなかった。分かるのは、今ウィルクトリアが他国への復讐を選べば、いつかまたその報復を受けるということだけだ。そうなれば誰かが自分やジルーナのように絶望に追い落とされる。────それだけは絶対に避けたい。


 この三年間、ヴァンはジルーナと毎日のようにこの気持ちを確認し合った。二人は互いが居たから耐えられたが、そうでなければ挫けていただろう。誰にもあんな思いはさせたくない。もう誰が死ぬのも、誰が孤独になるのも嫌だった。


「この憎しみの連鎖を終わらせましょう」


 ヴァンは国民に投げかける。


「僕はスナキア家の当主としてこの国の守護者を務めます。しかしそれは過去の当主のように、単に他国からの攻撃を防ぐというだけではありません。このウィルクトリアに、そして世界に、真の平和をもたらします。────世界との和平を目指しましょう」


 ヴァンが目指すのは抜本的な解決だ。諍いに対処するのではなく、諍いそのものを取り除く。それこそが自分の使命だとヴァンは感じていた。


 群衆は戸惑っていた。ヴァンの決断は彼らの予想に反していたようだ。そしてヴァンの目指す道があまりに険しいものだと知っているのだ。


「和平を実現するためには他国からの搾取を止めなければなりません。しかし、現在この国の経済はその賠償金で成立しています。国を一から作り直す必要があるでしょう」


 長らく支配体制を続けてきたこの国の経済は賠償金に依存した歪なものになってしまっている。他国との関係を改善したければ経済的な自立が不可欠だ。それには相当な時間と労力を要するだろう。


「これが私からの提案です。……私は為政者ではありません。決断は主権者である国民の皆さんに委ねられます」


 ヴァンは観衆を真っ直ぐ見据える。


「未来を想いましょう」


 以上と小さく告げ、ヴァンは会釈し壇上を去る。


 拍手は起こらなかった。不安や困惑の混ざったどよめきが、いつまでも場内に充満していた。

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