7.暗号通信お遣い

 ***


「え……⁉︎」


 ヴァン[ヒュー]の元に、ヴァン[反省]とやらから「エルリアは左利き」という衝撃の情報が届く。思わず声を漏らしてしまった。


「どしたのっ?」

「い、いや、何でもないんだ」


 ヒューネットには全く関係のない情報なので伏せ、気を取り直して食材のお買い物だ。ヒューネットを連れてやってきたのは海外のスーパー。閉店間際で他の客は見当たらない。


「何買うか連絡きたっ?」

「まだだ。今あっちは家にある食材を詳しく確認してる」


 炊き出し班からの注文を待つ。速やかに購入してお届けするのが二人の仕事だ。


「じゃっ、待ってる間にお皿確保しよっ!」


 ヒューネットはマスクや大きな黒縁メガネで覆われていても分かるほどの満面の笑みで提案し、ヴァンの二歩先を歩いていく。ヴァンはその背中に疑問を投げた。まだ気が早いのだ。


「何を作るのかも聞いてないぞ?」

「んー、スープ系だよっ。具沢山で野菜もお肉もたっぷり食べれるやつっ!」


 ヒューネットは聞くまでもなく確信しているようで、使い捨てのスープボウルを手に取る。ヴァンが持つ買い物かごに次々投じていった。数は気にせずとにかくたくさんという方針らしい。まあ、多い分には構わない。複数作る可能性だってある。


「先割れスプーンなら何でもいけるかなっ。あ、あとコップもいるよねっ。お水とか配るでしょっ?」

「ああ。……あ、でもコップにしてもお皿にしてもティアの方で買うかもしれないぞ? あっちの店にもありそうだ」


 ヴァンは思い当たる。日用品の買い出しを担当しているキティアと被ってしまいそうな品目だ。それらも余る分には問題ないのだが、せっかくこんな便利な連絡装置があるなら活かして頂きたい。


「平気だよっ。ティアはヒューが買うって思ってるだろうから、ヒューはその責務を果たすのみさっ!」

「……」


 こちらもやはり確信があるようだった。ヴァンは紙コップをかき集めるヒューネットを無言で見守っていた。すると程なくしてヴァン[ティア]から皿とコップはこちらに任せる旨が伝えられた。言うまでもなかったみたいだと返答しておく、


「これくらいでいいかなっ! じゃあ次はお野菜コーナーの前で待機だよっ!」


 他の物を頼まれるのではという疑問はもはや言うまい。ヴァンはヒューネットの小さなお手々を握り、野菜が並ぶエリアにテレポートする。


「……あ、オーダーが来たぞ」


 到着するや否や自宅キッチンにいるヴァンから交信が届いた。ヒューネットは待ってましたとばかりにファイティングポーズを取る。


「……ん? ヒュー、『ひゅわひゅわのにんじん』って分かるか? それを十本」


 届いた注文の意味が分からず、そのまま伝えるしかなかった。


「オッケーっ! ひゅわひゅわねっ!」


 ヒューネットはにんじんを両手で一本ずつ掴み、見比べ、細長い方をカゴに入れた。「ひゅわひゅわ」とは一体何なのだろうか。彼女たちにしか分からない暗号だろうか。ぜひ教えてほしいのだが、ヒューネットが選定に集中しているため今は我慢だ。解明は家にいる分身に任せよう。


「次は……、あー、『シュクシュクのキャベツ二玉』だそうだ」

「はーいっ! シュクシュクねっ!」


 ヒューネットはキャベツの山の中から小ぶりな一品を手に取る。小さいやつという意味なのかと思ったが、二つ目は大きい物を選んでいた。


「……えへへっ。変だよねっ。一緒にお料理してるとこういう言葉がポンポン生まれるんだよっ。形とか大きさとか説明しなくてもこれで全部伝わるのっ!」


 共同で料理をしている内に独自の専門用語のようなものが発生したらしい。そういえばジルーナが「ヒューが居た方がスムーズ」と言っていたなぁと、ヴァンは思い出した。


「なんかそれすごく可愛いぞ……!」

「でしょっ⁉︎ ヒューたちもお気に入りなのっ! お料理もお買い物も楽しくなるのんだよっ!」


 今は慌ただしいだろうから、後日全部リスト化してもらおう。全部暗記して会話に混ぜて頂くのだ。


 その後「ヒャミっとしたベーコン」、「ツラツラのコンソメ」など不思議な注文がいくつか届き、ヒューネットが即座に見つけ出した。家にはそれなりに材料が揃っていたらしく、種類・量共に存外少なかった。


「これで終わりだそうだ」


 ヴァンが報告すると、ヒューネットは誇らしげにサムアップ。最初の注文が届いてからわずか一分半しか経っていない。


 ヒューネットの貢献ももちろんだが、この閑散とした店内では他の客を警戒せずに済んだことも大きい。しかしレジではどうしても店員と接することになる。ヴァンはあらかじめアドバイスしておく。


「ヒュー、人前で喋るときは呼び方を……」

「あ、そだねっ。ヒューヒュー言ってちゃダメじゃんっ。エルの喋り方かっこいいから真似するっ!」


 ヒューネットは小声で「わたくし、わたくし」と練習を始めた。


 ヴァンも一考する。ヒューネットの呼び方は用意してある。しかし他の妻と随行するヴァンから「すこぶる評判が悪い」という報告が届いている。こっちは超真剣なのにふざけていると思われたらしい。


 結論が出ないまま二人はレジに到着。会話をしないのが一番だが、ヒューネットはせっかくならエルリアの真似を試してみたいらしかった。店員がバーコードを読み取っている間、彼女はしきりに話しかけてきた。


「何だか新鮮ですわね。スーパーで一緒にお買い物なんてなかなか機会がありませんし」


 喋り方だけではなく表情や所作まで真似している。やたら上手いなと思いつつ、ヴァンは受け答えする。


「食材の買い出しはいつも任せてるもんな」

「普段は国内のスーパーの方が何かと都合が良いですからね。国内だと一緒にお買い物というわけにもいきませんし……」

「たまにはこういうのもいいな。また来よう、『聖なる六芒星から召喚されし天使』」


 ヴァンは果敢にも試してみた。


「……おふざけでしたら引っかきますわよ?」


 エルリアと一言一句同じフレーズで叱られた。本人が憑依しているのかと思うほどの完全再現だった。


わたくしいっそ名前で呼ばれた方がマシですわ。そんなのまるで<検閲されました>じゃ────」

「⁉︎」

「んあっ⁉︎」


 ヒューネットは慌てて両手で口を押さえる。エルリアのモノマネに熱中するあまり、完全なドスケベワードを放ってしまったのだ。見る見るうちに顔が真っ赤に染まっていく。体温も上昇しているようだ。隣にいるヴァンが熱を感じるほどに。


 ギョッとした表情の店員にお金を支払い、二人は小走りでレジから逃げた。気まず過ぎる。二人は無言でビニール袋に買った物を入れていく。きっとこのまま言及せずに記憶の彼方に飛ばしてしまうのが正解なのだろうが、ヴァンはやがて堪えきれなくなった。


「……結構えげつない言葉知ってるんだな」


 純粋無垢な少女のように見えて、彼女もまた、大人で人妻だった。


「わわわ忘れてよっ! お願いっ!」

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