8.夜は覚悟しとけ
***
スナキア家のキッチンでは、ジルーナ、ヒューネット、フラムが目まぐるしく動き回って食材の在庫を確認していた。
「ヴァン、あっちは今昼過ぎなんだよね?」
「ああ、十四時十分だ」
ヴァンはジルーナに現地時刻を告げる。避難者たちは昼食を取ってからそう時間は経っていないだろう。
「じゃあお腹はそんなに空いてないよね。……目標は全員をゼロから満腹に持っていくんじゃなくて、ひとまず口に何か入れて安心してもらうって感じかな」
「そうねぇ。あったかいものを食べたらホッとすると思うの」
「じゃあスープにするです。いろんな栄養まとめてぶち込むです」
あれよあれよと話が進み、野菜も肉もたっぷり入った具沢山のスープを作ることが決定した。トマト缶がたくさんあったためトマトベースのものを一つ。同じ具材でコンソメスープも作ってトマト嫌いな人も安心な体制を整えるらしい。
妻たちは家にすでにある食材を分担して下処理する。話し合うでもなく役割が決まり、ジルーナとフラムが野菜担当、シュリルワが鶏肉担当になったようだ。
「あ、俺も手伝うぞ。鶏肉って切りづらいだろ? 力があった方が────」
シュリルワ本人ではなく、フラムがヴァンを向いて首を横に振った。やたらと誇らしげに頬を緩ませる。
「ヴァンくん、シュリちゃんに任せて。あのねぇ、シュリちゃんってすっごく上手なの!」
「力は要らんです。『ここだ!』っていう筋を見極めれば一発です」
シュリルワは鼻を鳴らしながら、鶏モモ肉をスパスパと切断していった。さすが元・料理人。お見事だった。
作業をしながら会話ができないフラムは、野菜を切り始める前にヴァンに接近し、ためらいがちに依頼する。
「ヴァンくん、あのねぇ、ヒューちゃんに伝言してもらえる? あの……、今から変なこと言うけど、そのまま伝えてもらえると……」
「ん……?」
「まず、ひゅわひゅわのにんじんを十本と」
「ひゅわひゅわ……?」
「シュクシュクのキャベツを二玉」
「シュクシュク……?」
聞いたことのない擬音に困惑しつつも、ヴァン[ヒュー]にそのままを伝えていく。その後も「シャミっとした」、「ツラツラ」等という理解不能なワードが続く。どうやらヒューネットには通じているらしいとヴァン[ヒュー]から返答が届いた。解読はそちらに任せるとも。
「ど、どういう意味なんだ?」
「えーっとねぇ、『ひゅわひゅわ』はね、細長いけど先が尖ってなくて、筒みたいな形っていう意味で……」
「……それが何で『ひゅわひゅわ』に?」
「んー、どうしてだったかしらぁ。シュリちゃん、覚えてる?」
「忘れたです。気づいたらそうなってたです」
「……」
もはや発生起源は失われているらしい。多分その場のノリで生まれた言葉が定着していったのだろう。何年も調理場で時間を共にしている彼女たちだからこその現象だ。
「シュクシュクは?」
「えーっと、美味しそうなのってことなの」
「えぇ……?」
いっそ「美味しそうなの」と直接言った方が早い気がするのだが、可愛いので全部okだ。ちなみに、「ヒャミっとしたベーコン」は切れていない状態のブロックベーコンで、「ツラツラのコンソメ」は賞味期限の長いコンソメという意味だった。
「ハハ、こういうのいっぱいあるんだ。ヒューに行ってもらってよかったでしょ?」
「だな。今度全部リスト化して俺にも見せてくれ……!」
ヴァンが懇願すると、ジルーナはアハハと笑って流した。いや、大事なことだから本当に頼む。
程なくして買い物を終えたヒューネットとヴァン[ヒュー]が帰宅した。ヴァン[ヒュー]は分身を解除し、キッチンに居た方と合流する。スーパーでの記憶を獲得。ヒューネットがうっかり隠語を放ったという情報が最も重要な部分だ。
「あ、おかえり。助かったよ」
ジルーナは袋を受け取った。
「……ん? ヒュー、顔赤いよ? どうしたのかな?」
察しの良いジルーナは早速異変を感じとる。しかし細かい事情まではさすがに分からないだろう。
「ヴァンに性的なイタズラをされたんだよっ……!」
「ち、違う! それ全然違うぞヒュー!」
誤解しか生まない説明にヴァンは肝を冷やす。しかし弁明もしづらい。ヒューネットが淫乱セクシャルワードを口にしたことまで伝えなくてはならなくなる。
キッチンに居た三名は集合してヒソヒソ話を始めた。「ケダモノ」、「変態」など聞き捨てならない言葉が漏れ聞こえる。一番恐ろしかったのはフラムが天然で放った「いつもならこの時間だから我慢できなかったのかしらぁ」だ。しているし、あんま口には出さないでくれそういうこと。
「……おい、ヒュー」
我慢できず言及してしまったのは悪かったが、そもそもヒューネットが失言したのがきっかけではないか。
「ちょ、ちょっとした冗談だったんだけどっ……。みんなっ! 嘘なのっ! 誤解なのっ!」
ヒューネットは今更訂正するが、三名はまだ若干訝しげなままだ。これは責任を取ってもらわねば。ヴァンはあとでその嘘を本当にしてやると決意した。もちろん許される範囲でだ。
不穏な空気。会話の流れを変えるきっかけが欲しいところだ。都合よく他のヴァンから連絡事項でも来ないかと待っていると、ヴァン[ミオ]から報告が入った。────これは緊急だ。
「あ、シュリ。ミオから。現地の人たちは宗教的に鶏肉が食べられないと」
「ありゃ! そりゃ大変ですね。じゃあ豚に変更するです。……もう切っちゃった分はどうするですかね」
一足遅かった。すでに鶏肉は処置済みだ。
しかしジルーナが、「良いこと思いついた」の顔で提案した。
「ヴァンのお夜食に使おっか。でも私たちこっちで忙しいから……。ヒュー、お願いできる?」
ヒューネットの猫耳がピンと立ち、被っていた帽子が飛んでいった。
「うんっ! ヒューが何か作るよっ!」
喜び勇んで高く飛び跳ねる。シュリルワは微笑ましげに目を細め、鶏肉をまな板ごとヒューネットに手渡した。
「ここはバタバタしてるです。ヒューの部屋のキッチン使えるです?」
「もちろんだよっ! いつでも清潔さっ!」
「じゃあすぐ頼んだです。……さっき『足手まとい』とか言ってたですけど、最近はヒューもなかなかのもんですよ。この前の照り焼き美味しかったです」
シュリルワにノセられ、ヒューネットの目は爛々と輝いていく。そもそもお料理で貢献しようと言い出したのはヒューネットだ。役割を与えられて心底嬉しそうだった。自慢げに得意料理の解説を始める。
「あれはねっ、生姜をたっぷり乗せるのがコツなのさっ! ……あ、でも生姜残ってるっ?」
「あぁ、えっとねぇ、お夕食で使い切っちゃたかも。ごめんねヒューちゃん」
「そっか……」
がっくりと肩を落としたヒューネットに、ヴァンはミオからのメッセージを伝える。────この展開を見越していたのか。さすが魔性のミオだ。
「ヒュー。ミオの部屋の冷蔵庫にあるから好きに使っていいって」
「本当っ⁉︎ じゃあお言葉に甘えるよっ!」
ヒューネットは小さな足を高速回転させて二階のミオの部屋に向かっていった。ヴァンは大量の分身で相当消耗する。帰ったら夜食が待っているのは非常にありがたかった。
────だが、忘れてないぞ。それで帳消しにはさせない。あの嘘は本当にしてやる。
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