5.お姉さん(良い例)

 ***


「シュリっ! 次あっちのお店っ!」


 ヒューネットはシュリルワの手を引っ張る。そんなに慌てなくたって服は逃げないのにと思いつつ、シュリルワは歩みの早さを揃えた。


「ここも色々あるねっ……! どうしよっ⁉︎」

「お、落ち着くですヒュー」


 ヒューネットは連れてきておいてドギマギしていだ。小さな頬をほの赤く染めているのは興奮からなのか、それともほんのりのせたチークによるものか。首都にあるファッションビルはあまりに品揃えが良く、お買い物客をかえって混乱させていた。


 このウィルクトリアは栄えに栄えている。国民の多くは働かずに暮らしているのに、街には様々な店が立ち並んでいた。そのほとんどは海外企業であり、従業員も外国人だ。諸外国はウィルクトリアに掠め取られた富を少しでも回収しようとこぞって進出してくる。それだけに競争も激しく、世界中の人気ブランドが売れ筋商品を集結させているのだ。


「ヒューはもうわけわかんなくなってきたよっ!」


 ヒューネットは抱えた頭をブンブン振り回した。魅力的な服が多すぎる。とても選べないし、うっかり余計なものまで買ってしまいそうだ。


「ふ、服を買うのはコツがあるです。まずは絶対に欲しいものを一つ、できるだけ具体的にイメージするです。最初はそれだけを探して、他のものは見ないフリです。ないものと思うです」


 シュリルワは戦地に来た軍人が新兵を指導するような面持ちでアドバイスする。シュリルワもまた平常心ではなかった。


「な、なるほどっ……! ヒューは今日……ワンピースを探すよっ。合わせ方とかわかんないから一枚で決まるやつっ。でも背が小さいとワンピースって難しいのっ! 試着室で現実を思い知るんだよっ!」

「わっ、分かるです……! シュリも同じ苦労を……」


 二人は共鳴した。お互い身長が百五十センチもない。昔から「猫耳を入れたらある」という言い訳を繰り返してきた思い出も共有していた。


「でも選択肢が絞られるのはある意味助かるです」

「そ、そうだねっ。ポジティブに行こっ!」


 二人は意を決して入店する。ヒューネットはシュリルワの助言通り、ワンピース以外の物はなるべく見ないように努めていた。遠くを見るように目を細め、見るともなく何となく眺める。


「これじゃワンピースも見つかんないよっ……!」


 しかし難しかった。服屋で服を見ずに服を選ぶ。無茶すぎる。


「色を決めるです。ピントを合わせなくても色ならわかるです……! 目の端で捉えるです……!」

「わ、分かったよっ! ……何か、何してるんだろねヒューたちっ⁉︎」


 一体どうしてここまで必死なのか自分たちでもわからなくなってきた。一応世界一の富豪たるスナキア家の妻。「買おうと思えば全部買える」という悪魔の囁きがお買い物の難易度を跳ね上げていた。なんならヴァンに向けて猫耳をぴょこぴょこさせればビルごと買い占めてくれるだろう。しかし、そんな奔放は彼女たちの望むところではない。お財布の紐をきっちり締められるちゃんとした奥様でありたかった。


「ヒューいっつも同じような色選んじゃうのっ。どうしたらいいのかな……。似合う色とか知らないし、みんなが何をもって似合うって言ってるのかすらわかんないよっ」

「んー、パーソナルカラーってもんがあるです。肌とか髪とか瞳とか、自分の体の色味で決まるやつで……ヒューは完全にブルベです」

「それお化粧習ったときにティアとエルも言ってたっ。知ったかぶって頷いといたけどっ。青いの着ればいいのっ?」

「青にも色々あるです。ヒューと相性の良い青もあるし、悪い青もあるです」

「そ、そんなのもっと複雑になるじゃんっ」


 シュリルワは目の端で捉えた色を頼りに、青いワンピースを手に取った。


「これなんかどうです? ちょっと紫寄りのがいいと思うです。青は人間の肌に対して補色に当たるから誰でもある程度馴染むです」

「ほ、ほしょくねっ! かの!」


 ヒューネットは明らかに知ったかぶって頷いた。


「シュリは詳しいねっ!」

「……嫁いできてすぐの頃、必死こいて勉強したです」


 シュリルワは遠い目で天井を見つめた。服から目を逸らしているのではなく、昔を思い返しているのだ。


「初めてジルとミオに会ったとき、シュリはひっくり返りそうだったです。おしゃれで、洗練されてて、都会のお姉さんって感じで……。ジルももちろん綺麗ですけど、シュリ的にはミオがスラッとしてて羨ましくてですね……。あの口を縫い付ければ完璧ですのに」

「ねっ。ずっと黙ってたらいいのにねっ」


 酷評だった。本人にも面と向かって言うので陰口ではなかった。


「今思えばあいつも今のヒューくらいの歳だったんでしょうけどね。シュリはもっと子どもだったし、あの二人に並ぶなら自分も頑張らなきゃって。なんと言っても田舎者ですから」

「えー? 方言可愛いのにっ」

「今は開き直ったです」


 シュリルワはすっかり解放されたような気の抜けた笑顔を見せる。


「あの二人昔は家の中でも気張ってたんですよ。毎日今のエルくらいきっちりお化粧も服も仕上げて、こう、お互いにプレッシャーをかけ合ってしまう日々を……」

「……まあねぇ……分かるけどっ」


 同じ男性と結婚した者同士。お互い負けまいとしてたのか、あっちがやるならこっちもやらなきゃと追い込まれていったのか。いずれにせよ骨の折れる日々だった。


「人それぞれでいいって思ってた方が気楽だねっ」

「ですです。結局そうなったです。ある日ジルが、────多分わざとなんでしょうけど、学生の時のジャージとボサボサ頭で現れて、三人で泣くほど笑ったです」


 ジルーナが体を張ってインフレを止めに来たのだ。おかげで今では不潔じゃなければいいでしょレベルまで下がっている。一方で、しっかり着飾るのが好きな子を止めることもない。


「さすがジルだねっ」

「ホントです。ジルに迷惑かけちゃダメですよ?」

「はーいっ」


 結局シュリルワの中にはファッションやメイクの知識が残った。知っておいて損はないし、こうして詳しくない子を助けてあげることもできる。得難い体験だったと今では思う。


「これ着てみるです?」


 シュリルワは話を戻した。ヒューネットは青紫のワンピースをハンガーごと受け取ってまじまじと見つめる。そして、致命的な欠陥を見つけてしまった。


「あっ、でもこれ尻尾を出せないやつだよ? ヴァンのテンションが三段階落ちるやつっ!」

「はぁー……厄介な旦那です。気にせず好きなの着ればいいです」

「そんなこと言ったってっ……シュリだっていっつも出してるじゃんっ」

「べ、別にたまたまですっ」


 依然として奥様方の中にはファッションのルールが残っていた。夫の性癖のせいだ。ヴァンはそんなことで露骨に態度を変えてはならないと気をつけてはいるっぽいのだが、妻の目はごまかせない。


「……なんかもうわかんなくなってきちゃったからご飯食べに行かないっ?」

「ですね……。一旦冷静になるです」


 服を見すぎてすっかり疲れてしまった。二人はお店をお暇して、上階にあるレストランフロアを目指す。ヒューネットを先頭にエスカレーターに乗り込み、互いに前を向いた。


「ヒュー、シュリがご馳走してやるです」


 ヒューネットの尻尾が跳ね上がり、シュリルワのお腹にぶつかった。ごめんごめんと呟きながらヒューネットは身を翻した。


「そ、そんなの悪いよっ」

「遠慮すんなです。シュリは嫁ぐ前にいっぱい働いてたから、まだまだ蓄えがあるです」


 シュリルワは堂々と胸を張った。


「……じゃあ一番高いお店入ろっ!」

「こら、調子に乗るなです」


 二人は微笑みあった。

 頼られるのが好きなシュリルワと、甘えん坊のヒューネット。二人はまるで本物の姉妹のようだった。

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