4.お姉さん(悪い例)

 ***


「バッティングセンター……って何なのぉ?」


 訳のわからない施設に連れてこられてしまったと、ミオは警戒心を露わにする。仰々しい柵、遠くに見えるは処刑マシーンみたいな謎の機械。本来ミオには一生縁がなかったはずの場所だろう。


「野球の練習するとこだよ」


 ユウノにとっては来慣れた場所のようだ。気分は上々。目論見通りお姉ちゃんについてきてもらってご満悦といった表情だ。


「ヤキュウって……海外のスポーツでしょう?」

「ウチの国でもやってる奴はいるんだよ。つーか世界一強いぞ。……なんせウチの選手だけ空飛ぶからな」

「あぁ……。本当、そういうとこよね、この国ってぇ……」


 魔導師ファクターなら飛行魔法でどんなフライも必ずキャッチできる。ゴロでも拾った瞬間に一塁にテレポートすればいい。攻撃はもっとめちゃくちゃだ。ちょっとでも前に打球を飛ばせば一塁、二塁、三塁、本塁と四回テレポートして一点。バンドでホームランである。


「ヤキュウなんてお姉さん一生やらないから、練習しても意味ないんだけどぉ……」

「練習って言っても別にガチのやつじゃねえよ。野球の面白い部分だけチロっとできんの」

「でもルールも知らないしぃ……」


 来てはみたものの、まさかここまで興味のない場所とは。イマイチ気分が乗らなかった。ユウノはそんなミオを無理に引き連れてきた手前せめてちょっとは楽しんでほしいらしく、サラッとした説明をくれた。


「ボールを持ってるピッチャーと、バットっていう棒を持ってるバッターがいる」

「うん……」

「ピッチャーはバッターに向けてボールを投げる。バットで打たれないようにな。バッターはそれを頑張って打つ。こんだけだ」

「……何それ、変なのぉ。そのピッチャーって人は打たれたくないなら投げなきゃいいじゃなぁい?♡」

「そういうルールなんだよ! あーもう、否定から入らない! テンションが下がる!」

「た、確かにそうね。お姉さん反省……」


 ユウノにちゃんと叱られてミオは考えを改めた。せっかく来たのだから精一杯楽しむのだ。そうすればきっとユウノも喜ぶはずだ。お姉さんの責務を果たすのだ。


「お姉さんもやってみるわぁ。身体を動かすことになると思ってぺったんこの靴履いてきたんだから!」

「よし! その意気だ!」


 ユウノはまずは自分がお手本をとブースに入っていく。ケージから金属バットを一本取り出し、コインを入れて準備完了だ。バッターボックスに立って初球を待つ。


「ユウノちゃん、ここに書いてある百五十キロって何なの?」

「飛んでくるボールの速さだよ」

「えぇ⁉︎ 車より速いじゃない! 当たったら死んじゃうわよ⁉︎」

「大丈夫だよ。アタシには止まって見えるね……!」


 ユウノは長く持ったバットをぎゅっと握る。ピッチングマシーンがカタカタと動作を始める。初球。ど真ん中から少しインハイ気味に縒れている。


「うおりゃっ!」


 ユウノは腕をコンパクトに畳み、ジャストタイミングでボールを向かい入れた。金属バットは快音を放ち、真芯で捉えたボールがレフト方向に大きなアーチを描く。


「すごーい! ユウノちゃんかっこいい!♡」

「へへ、すげぇだろ⁉︎」


 ユウノは飛び跳ねた。かっこいいところを見せられて嬉しいらしく、笑顔が弾ける。


「これユウノちゃんの勝ち⁉︎ 五点くらい入るの⁉︎」

「あ、いや、五点は無理だな……」


 ルールを全然分かっていないミオにもユウノのやり遂げたことの凄さが何となく伝わっていた。さっきまで低かったテンションが一気に高まっている。


「なんか面白そうねぇ!♡」

「そうだろ? 来て良かっただろ?」


 ユウノは嬉しそうにするのと同時にちょっとホッとしたようだった。張り切って二球目、三球目も快調にはね返し、センター、ライトと打ち分ける。全てヒット性の当たり。プロのスカウトでも居合わせていたら連絡先をほじくり取られただろう。


 ミオはふと、金網に貼られていたポスターに目を奪われた。


「ねえ、この『ホームラン賞』っていうのはなぁに? デステニーランドのペアチケットが貰えるんだって!」

「ああ、それは打った球をあそこに当てたら貰えるやつだ」


 ユウノはバットでセンター方向上部を指し示す。直径五十センチ程度の円形の的がネットに貼り付けられていた。未経験者のミオでもホームランとやらの難易度は理解できた。


「あんな遠くて小っちゃいとこに? なんだ、そんなの無茶じゃない……」

「ん? 欲しいのか?」

「そ、そうねぇ。お姉さんインドア派だけど、デステニーランドとなれば嘘みたいにはしゃぐわぁ」


 とはいえ体力的に丸一日遊園地で遊び回るのはキツイので、普段はなかなか足が向かない。その点、タダで行けるのであれば精神的に余裕が生まれる。ゆったりと楽しんで夕方に帰ってもいい。


「待ってな。連れてってやるよ」

「え……?」


 ユウノはバッドを握り直し、ピッチングマシーンを見据える。百五十キロの速球。一閃。打球は鋭く伸び、ホームラン賞の的のど真ん中に直撃した。締まりのないちゃっちいファンファーレが場内に響く。


「あとで受け取りな」


 ユウノはこともなげに告げる。意識はすでに次の投球に向けられていた。


「な、何か本腰入れてかっこいいわぁ、ユウノちゃん……♡」


 ミオは自分の胸から「きゅん」という音が鳴るのを聞いた。顔が熱くなるのを感じる。人妻じゃなかったらどうなっていたかわからない。


 そして同時に、ミオの中にある考えが浮かぶ。────これって意外と簡単なのかもしれない。


「お姉さんもやってくるわぁ!」


 ミオは張り切って高らかに挙手した。ユウノは振り返ってニンマリと笑う。自分の好きなことに興味を持ってもらえて嬉しいらしい。


「あ、でも最初はもっと遅いとこにするんだぞ? 危ねえからな」

「うん!」


 ミオは意気揚々と百十キロのブースに入っていく。中級者向け、くらいと踏んだ。見渡せばもっと遅い場所もある。でも今は何となくイケる気がしていたし、初心者丸出しのコースに入るのは少し癪という謎のプライドもある。


 最初に違和感を感じたのはバットを手に取った瞬間。────重くない? こんなの振り回せる気がしなかった。でもユウノは余裕そうにやっているし、何ならスイングが速すぎてバットが見えないくらいだ。案外やってみれば簡単なのだろう。


 ミオはコインを入れる。お金をこんな形で消費したことはない。悪くないわねと微笑みを一つ。ユウノのおかげで新鮮な体験ができている。右打席に入り、ユウノに倣ってバットを構える。握った手は左手が上になっていた。


 鈍い衝撃音。


「……え?」


 一球目がミオを横切って背後のネットに当たった。見えなかった。恐怖を感じることすら間に合わなかった。速すぎる。なんせ高速道路を走る車の速度なのだ。


「え⁉︎ えぇ⁉︎」


 二球目が無慈悲に通過し、ズドンと突き刺さる。今度は怯えるくらいはできた。へっぴり腰になってバッターボックスから離れる。


「これ……無理だわ⁉︎」


 やっと気づいた。ユウノが簡単そうにやっているのは、単にユウノが身体能力お化けだからだ。ミオは遠くにいるユウノを観察する。相変わらず飛んできた球を全て打ち返し、人の気も知らないで無邪気に笑っていた。


 なす術なく三球目と四球目が眼前を通過していく。ミオはさっき支払った金額から一球当たりの値段を割り出した。お金をこんな形で浪費したことはない。


「……もう疲れちゃった!」


 ミオは、拗ねた。全然楽しくない。


 まだ投球が残っているにも関わらずブースを出た。ベンチに腰掛けて乱れた髪を直す。





 ────一方、その様子を遠くから見ていたユウノもブースから飛び出し、ミオの元に駆け寄っていった。


「ど、どうした……?」


 問いかけはしたが、浮かない表情が全てを物語っていた。ミオも何も答えない。


「な、何か飲むか? あっちに自販機あるぞ」

「もう歩けないもん……」

「買ってこようか?」

「んー、自分で選びたいわねぇ。ユウノちゃんおんぶしてぇ?♡」

「クッ……!」


 ユウノはまだスナキア家に来て三ヶ月。脅威的な勢いで馴染んだが、まだ知らないことや気づいていないことがある。


 思い返せば、度々ヒントはあった。このお姉さんはいつも、「厄介な」お姉さんとして扱われている。面白半分で周りを困らせては年下のジルーナやシュリルワに叱られている。


 お姉さんであってほしいという願望から、目を背けてしまっていたのかもしれない。だが、今はっきりした。


 ────この人、あんまりお姉さんじゃない……!

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