11.お出かけ組の邂逅

 ***


 ヴァンとシュリルワのデートはまだまだ続く。


「はぁ〜、楽しかったです〜!」


 ご満悦。シュリルワの声は普段より二トーン高かった。海外の街道、まるでスキップするような歩調でヴァンを二歩先行する。大きくゆっくり揺らす尻尾はご機嫌の合図だ。


「なあ、重いだろ? その図録俺が持つぞ?」

「やーです! これはシュリの!」


 シュリルワはヴァンの提案をすげなく拒絶した。お土産に購入した美術展の図録を抱きしめて離さない。顔をくしゃくしゃにして笑っているし、興奮気味に頬を少し赤らめている。見逃してしまったと思っていた念願のボッホ展を二時間かけてたっぷり堪能し、退出した今もまだウキウキが冷めやらないらしい。これだけ喜んでくれるなら図録くらい買い占めておけばよかったとヴァンは悔やむ。


「帰ったら俺にも見せてくれよ」

「ふふーん、まあ考えてやってもいいです」


 シュリルワは鼻を鳴らす。まあおそらく、本棚あたりにしまってくれるだろう。


 ヴァンは全てのデートを記録し、復習している。「誰と○○展に行った」だけ覚えていても他の展覧会の内容と混ざって口を滑らせてしまう恐れがあるため、この図録の収録内容まで全て暗記対象だ。ヴァンの手が届くところに収納しておいていただきたかった。


「さあ、夜はシュリが行きたいところがあるんだったな」


 シュリルワの尖った猫耳がさらにピンと立つ。


「あ、もう夜です? ……早かったですね」


 シュリルワは左手首に内向きに付けられた腕時計を確認する。現在二人がいる国は時差的に昼を回ったところだが、母国はもう夕方だった。シュリルワは左手だけ図録から離し、ヴァンの右腕にしがみつく。


「とりあえずテレポートできるとこ行くです」


 シュリルワはまだ行き先を言わない。ギリギリまでためる心積りらしい。気にはなるものの、ヴァンは今自分に掴まっているシュリルワの感触を味わうのに脳のリソースを食われていた。シュリルワとの会話用に分身でも作れば多少余裕はできるかもしれない。ただしその場合分身同士でポジションの奪い合いが生じて共倒れになる可能性がある。


 ヴァンはシュリルワを引き連れて人気のない路地に入っていく。他国の人々はファクターの魔法に免疫がないため、突然目の前から消えたら大騒ぎになってしまうのだ。


「こんなところに連れ込んでまた何かする気です?」


 シュリルワはヴァンに上目遣いを向け、挑発してみる。ご機嫌にも程があった。


「……何までokだ?」


 ヴァンは目を見開いて熱い視線を返す。ヴァンは持てる性欲全てを妻のみにぶつけるある意味とても健全な男だ。その代わり妻には全力も全力。さっきもしたとかそういうことは一切関係ないのだ。


「ま、マジ過ぎるです……。帰るまで我慢しろです……」


 シュリルワは怯え、せっかく組んでくれた腕を離し、狭い路地で限界まで距離を取った。ヴァンは砂漠に置き去りにされた遭難者のような心細さと寂しさに襲われる。微妙な距離感を保ったまま二人は路地を進み、突き当たりを曲がった。人気は相変わらずない。


 ────しかし、他の動物はいた。


「ん! 猫です!」


 そこには一匹の黒猫が鎮座していた。突然の訪問者に動じることもなく、キッと二人を睨みつけている。


「……可愛いな」


 ヴァンは立ち止まってじっと目を合わせる。危害を加えるつもりは一切ないという思いを目力に込める。おそらく、伝わってはいない。その証拠に猫は威圧的に尻尾を膨らませている。


 猫に視線を奪われている夫を見て、シュリルワが真っ白な顔で尋ねた。


「あ、アンタ……まさか性的な目で見てないですよね?」

「さ、流石にない!」

「『流石に』の部分がやや怖いです……」

「だいたい、オスかもしれないし」

「いや、メスでも……!」


 シュリルワは身震いして自分の肩を抱いた。とんだ言いがかりだ。流石に猫そのものには興奮しない。最愛の妻が猫と戯れているところを目撃すればもうどうしようもないくらいリビドーが高まるかもしれないが、それは妻に向けたものだ。


 ヴァンはその場にしゃがんで、そっと猫に手を伸ばしてみる。が、明確な拒絶を受ける。猫は右の前足で思いっきり引っ掻きをお見舞いしてきたのだ。魔法でガードしていなければヴァンの手は傷だらけだっただろう。


「や、やっぱ猫でも変態はわかるですね。てんで懐かんです」

「バカな! 俺は昔あれだけツンツンしてたシュリを手懐けた男だぞ⁉︎」

「そ、それは言うなです!」


 猫はパッと身を翻し、一目散に逃げていった。二人はその背中を目で追う。

 ────そしてすぐに気がついた。


「ヴァン、あの子……」

「ああ……!」


 ヴァンはテレポートして先回りし、無理矢理にでも猫を抱き上げた。驚いた猫は鳴き声をあげ、猫パンチを連打して交戦する。それでもヴァンは決して逃げないようにしっかりと抱えた。力加減が難しい。うっかりすると握り潰してしまいそうだ。


「あ! やっぱり怪我してるです!」


 猫は右の後ろ足を引きずって走っていた。暴れる足をどうにか観察すると、毛の奥で地肌が擦りむけている。それほど大きな怪我ではないにしろ、走りづらい程度には痛いようだ。これは見過ごせない。


「病院に連れていくか。あ、いや、でもデート中だしな。うっ、お、大人しくしてくれ!」


 猫は懸命に抵抗を続けていた。なかなか気位の高い猫様のようで、人間ごときに抱っこされるのはプライドが許さないらしい。ヴァンはやむなく魔法でガードしているが、このままだと猫の爪の方にダメージを与えてしまうかもしれない。


「シュリが行きたいところって、予約の時間が決まってたりするか? それなら俺が分身して病院に」


 タスクが増えたとて分裂可能なヴァンのスケジュールには影響がない。どっちがデートでどっちが病院に行くか自分同士揉めそうではあるが。


「予約とかはない場所です。この子はお家に連れて帰るです。きっと誰か暇してるから、悪いですけど病院は任せるです」

「家って……いいのか? せっかくデート中なのに、なんか、現実に戻っちゃわないか?」


 シュリルワはようやく発表できると心を弾ませて、ニヤリと笑った。


「シュリが行きたい場所はお家です」


 ────かくしてバラバラに動いていたスナキア家の面々は自宅に集合し、一本のレールに乗っていくことになる。

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