12.繋がっていく一家1
***
スナキア邸、共用キッチン・ダイニング。
「ただいまです!」
シュリルワがご機嫌で帰宅する。その後ろにヴァンも続いた。
「あら? シュリルワさん?」
エルリアが意外そうに二人の顔を順番に覗く。
「今日はデートの日でしたよね? どうされたんですか?」
ヴァンが代わりに回答する。
「この子を拾ったんだ。怪我しててな」
ヴァンは連れ帰った黒猫を、その場にいたエルリア、ユウノ、フラムに見せる。猫は相変わらず抵抗を続け、ヴァンの手を引っ掻き続けていた。
調理場のフラムが猫の姿を認めるや否や、青ざめて震えた声を絞り出す。
「ヴァ、ヴァンくん……? まさか九人目ってことじゃないよね……?」
フラムが恐る恐る問いかけると、エルリアとユウノの表情も急激に凍りついていった。
「ヴァン様……さ、流石の
「ち、違う! 誤解だ!」
ヴァンはつい声を荒げてしまう。しかし、妻たちの視線は以前懐疑的だった。この辺に関しては深刻に信頼がない。いや、ある意味では性癖の屈強さを信頼しての反応かもしれない。
「ヴァ、ヴァン……。いくらアタシが何にもできないからって猫を連れてくることないじゃんかよぉ……」
床にへたり込んでいたユウノはさらに首を垂れた。随分と弱々しい声色で、表情が暗い。
────どうも彼女の様子がおかしいと、ヴァンは即座に察知した。
エルリアがそっと説明する。
「ユウノが家事に参加したいとのことでお料理を教えていたのですが、ちょっと上手くいっておりませんで……」
「そ、そうか……」
ヴァンはどうしたものかと逡巡した。きっと料理を覚えようとしているのはヴァンのためでもあるのだろう。感謝を伝え励ましたいところだ。ただ、今日はシュリルワのみと過ごす日だ。こんなとき、いくら分身ができようが、どんな気遣いをしようが、一夫多妻という構造には無理があると思い知る。
「おっ! ま、待て!」
ヴァンが考えを巡らせていた一瞬の隙をついて、猫がヴァンの腕から飛び出した。負傷した右の後ろ足を少し引きずりながら、一直線にユウノに向かっていく。床に座るユウノの膝にちょこんと乗って、やっと落ち着けるとばかりに大きな鼻息を一つ。
「ん? ここがいいのか?」
ユウノが頭を撫でると、猫は首を横に振って自らすりすり感を増強した。ユウノは猫の両脇に手を添えて、自分の目の高さに猫の顔を持ってくる。
「怪我痛いんだろ? 病院行くか? ……いや、大人しく行っとけって」
────ユウノは、猫と、会話を始めた。
「あ、あなた、猫と喋れるの?」
「んー? 何考えてるかは大体わかるぞ。野生の勘ってやつで」
ユウノはエルリアにドヤ顔を見せつける。野生的な彼女ならではの特技である。殺気立っていた猫様がようやく安静にしてくれたので、ヴァンは安心する。
そのとき、廊下から声。
「あれぇ? ヴァンさんとシュリちゃん?」
ミオを先頭に、ジルーナ、キティア、ヒューネットが続いてダイニングにやってきた。
「どうしてこんなに早く帰ってきたのぉ?」
「怪我した猫を保護したです。ほら、あそこ」
シュリルワはユウノの膝下を指差し、帰宅した理由を見せる。
「えぇ……九人目……?」
途端にミオの顔から血の気が引いていった。背後にいたキティアとヒューネットは悲鳴を上げる。
「ヴァンさん! いい加減にしてくださいよ!」
「ヴァン! それはもうダメだよっ⁉︎」
「違う! 何なんだみんな揃って!」
ヴァンは懸命に抗弁する。しかしみんな目がマジだ。唯一何も言わずにいたジルーナも、ただ絶句しているだけだった。……まあ、日頃の行いなのだろう。彼女たちはヴァンの性癖を身をもって知っている。
「そ、その子ウチで飼うのぉ? 困ってる子なら保護してあげたいけどぉ、ヴァンさんのそばに置いておくのは危険じゃない……?」
「あ、あたしもそう思います。あたしとその子が遊んでる姿なんて見たらカワイ過ぎてヴァンさん興奮しちゃうでしょうけど、いずれ混同してその興奮が猫に向けたものに変わっていって……」
「お姉さんたちの立場がないばかりか、こ、この世界いよいよお終いねぇ……」
ヴァンを置き去りに、ミオとキティアが至って真剣に恐ろしい可能性を危惧していた。確かに猫とユウノのセットという光景は膝が笑うほど愛らしいが、その感情が猫に向かうなど……、ない、よな? ないはずだ。
「あ、飼うならここじゃなくてあの倉庫を猫ちゃんのお家にしない?♡」
ミオがふいに発した提案が、ヴァンに緊張感を与えた。あの倉庫は父が作ったアルバムの保管庫になっている。どうにか言い訳をしようと頭を巡らせる。
「……ヴァンさん、お姉さんたち、今倉庫に行ってたのぉ」
「……! ってことは……」
「うん。見つけちゃった。黙って入ってごめんなさい」
ミオは後ろ手に持っていたアルバムをヴァンに差し出した。ヴァンの顔に汗が伝う。
「それで、みんなに報告ねぇ。これ、ヴァンさんの御義父様のアルバムなの。小さい頃のヴァンさんもたくさん写ってるんだって」
ミオはアルバムの表紙を全員に見せびらかした。ヴァンがジルーナに視線を送ると、彼女は首を縦に振った。
「ヴァンさん、これすっごく大事なものでしょう? 倉庫じゃなくてヴァンさんのそばに置いておいて。私たちを気遣ってくれるのはありがたいけどぉ……そのせいでヴァンさんが寂しい思いをするのは嫌なの。これを隠すのはやりすぎよ」
ヴァンと父の思い出。言うまでもなく、ヴァンにとっては大切な品だった。しかし、あのアルバムは同時にジルーナとの思い出でもある。ジルーナしか知らないヴァンがいる。ヴァンがどれだけ力を尽くしてもそれは絶対に平等にはならない。だからこそ他の妻に見せるわけにはいかなかった。それでもなお未練を捨てきれず、倉庫に隠すという中途半端な対応になってしまったのだ。
────叶うなら、妻が許してくれるのなら、そばに置いておきたい。それがヴァンの本心だった。ヴァンは今日も妻の偉大さを思い知るのだった。
「ありがとう。……これでもう夜中にこっそり倉庫を直す必要もないのか」
ヴァンが自嘲気味に微笑む。ミオも釣られて口角を上げ、続いてヴァンに確認を取る。
「あの倉庫が大事だったというより、アルバムをきちんと保管するためにお手入れしてたって認識でいいのよねぇ?」
「ん? ああ。もう特に使い道はないし、しっかり補修はしてあるから、有効活用できるといいな」
ヴァンとミオは揃ってユウノの膝に座る猫に視線を向けた。
「ヴァンさん、あの子だけじゃなくてぇ、今後も困ってる猫ちゃんを見つけたら保護してあげたらぁ? あの倉庫もお庭も広いしぃ、たくさん助けてあげられるんじゃない?」
「……そうだな。それで、猫を飼いたい人がいたら譲ろうか」
ビースティアフェチとして国家を騒がせているヴァンである。国民たちも妻と同じように「ついに猫そのものに⁉︎」というリアクションを取るかもしれない。一刻も早くヴァンから猫を引き離すため、全国から引き取り手が殺到するだろう。ヴァンとしてはイマイチ受け入れ難い事実だが、猫のためになるなら悪名でも利用していこう。
「フフ♡ 随分ユウノちゃんに懐いてるみたいねぇ。お世話係任せていいかしらぁ?」
きっとミオとしては何の気なしに放った言葉だったのだろう。しかしユウノは目を見開き、尻尾を真一文字に天に伸ばした。
「それならアタシにもできるぜ!」
ユウノは猫を抱き抱えたままぴょんと立ち上がった。その表情は自信に満ちていて、さっきまでの凹みっぷりが嘘のようだった。彼女はついに、自分でもできそうな仕事に出会えたのだ。
キッチンでエルリアとフラムも感激していた。
「ミオさん、ナイスです!」
「ありがとねぇ、ミーちゃん……!」
「?」
当のミオだけは不思議そうに小首を傾げていた。ミオのアイディアにより、使わなくなった倉庫の処遇も、拾ってきた子猫の処遇も、家事が苦手なユウノの処遇も、全部いっぺんに決まったのだ。三組に分かれて行動していたスナキア家の面々が今、一つの道の上で合流した。
さらに────。
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