10.お料理組の頓挫
***
スナキア邸、キッチン。お料理指南中のフラムは、刃物を振り回すユウノに恐怖し、助っ人を招聘した。
「と、特別講師のエルちゃんです!」
フラムは掲げた両手をひらひらと揺らす。その先にはエルリアが恐縮がちにはにかんでいる。芝刈りをするために着ていた無骨な作業着のジャケットだけを脱ぎ、代わりにエプロンを身につけていた。
「お、よろしくな! エル!」
ユウノは元気よくご挨拶。右手には包丁がしっかりと握られている。
「ごめんねぇ、エルちゃん。今日お休みだったのに……」
フラムはこっそりエルリアに耳打ちする。急遽彼女の手を借りることになってしまった。しかしエルリアは一切の負の感情を見せず、小声ながらハキハキと答える。
「いえいえ。ユウノの心がけに
「ユウノちゃんがねぇ、ちょっと危なっかしくて……。わたしハラハラしちゃってお料理ができないの」
「それは大変でしたね。指を切らないように私が見張っておきますので」
エルリアは任せてくださいとばかりに何度も首を縦に振る。だがその程度の警戒心では彼女自身が危ない。
「だ、ダメよそれくらいの心配じゃ……! 誰も死なないように気をつけなくちゃ……!」
「何したんですかあの子……⁉︎」
「ひ、ひとまず包丁は禁止にしてほしいの。皮むきくらいで止めておいてねぇ」
「はぁ、かしこまりました」
ひそひそ話を続ける二人にユウノが視線を投げる。
「おーい、次はにんじんのやり方教えてくれよー」
「あ、はいはーい」
エルリアはいそいそとユウノの隣に立ち、調理に先立って手を洗い始めた。
フラムはやっぱりまだ心配で、さりげなく二人を見守っている。よくよく考えたらエルリアにとても危険な仕事を任せてしまった。とても申し訳ないとは思いつつ、自分には他にやらなければならないことがあるのも事実。
エルリアはまな板のそばに置かれたボウルを見やる。中には皮を剥き終えたじゃがいもが水にさらされていた。こうしておけば時間が経っても変色しないし、表面についたでんぷんのぬるぬるも取れる。
「あら、じゃがいもは完璧ね。ユウノがやったの?」
「ああ! アタシそれ得意だ!」
ユウノは誇らしげに胸を張った。確かに結果として上手にできてはいるのだ。包丁をブンブン振り回した結果だとはエルリアの知るよしもない。
二人がとても仲良さげに笑い合っているので、フラムの緊張が少し緩む。心の余裕もできて、自分の作業に取りかかりながらもエルリアに声をかけるという(彼女としては)偉業を達成する。
「エルちゃんってユウノちゃんにはくだけた喋り方なのねぇ」
「あ、そ、そうなんです。自然とこうなっちゃって不思議なんです。
エルリアは細い眉を歪ませて訝しんだ。「私に何したのよ」と言わんばかりの抗議の目線をユウノに飛ばす。ユウノがヴァンと結婚してまだ三ヶ月。エルリアとの付き合いもわずか三ヶ月ということになる。そんな相手にかつて経験したことのないくらいラフな接し方をしてしまうらしい。
「……よくわからないんですけど、この子無自覚に心の隙間に入り込んでくるんです。フラムさんも気をつけてくださいね」
「わ、わかるわぁ。気をつけようねぇ……」
フラムとエルリアは危機感を共有した。当のユウノはわけがわからんとしかめっ面を見せるのみだった。
エルリアは気を取り直し、濡れた手をタオルで拭く。にんじん皮むき講座の始まりだ。
「はい、ピーラー持って」
「えー? それめんどくさいから嫌いだ。もっと簡単な方法があんだろ」
エルリアが「え?」と声を出すと同時に、ユウノは目の高さに持ったにんじんにまるでバイオリンを弾くように包丁を当て、スパッと一直線に皮を削ぎ落とした。剥かれた皮は包丁の軌道の先に吹っ飛んでいく。エルリアの血の気が引いていた。
「あ、危ないじゃない! 何してるの⁉︎」
「こっちの方が早いんだって」
「ダメ! にんじんはもっと<検閲されました>を<検閲されました>するみたいに丁寧に優しく扱うの!」
「た、食べ物をそんなふうに例えるな!」
エルリアも全てを理解したことだろう。フラムが怯えていた理由はこれだと。
「……ユウノ、あなたなら怪我なくできるんでしょうけどそれじゃ危なすぎるの。普段は二人か三人でキッチンを動き回るんだから、当たっちゃったらどうするのよ?」
「うっ! そ、それは確かに!」
「わかったらちゃんとピーラーを使いなさいな。お料理するなら刃物は危ないって意識は常に持っておくこと!」
「はーい……」
ユウノは素直に反省し、ピーラーを手に取った。これにはエルリアも、離れて見守っていたフラムもホッと一息。
「……そっかぁ、そうやって言えばよかったのねぇ」
フラムは独り言を溢す。これなら安心してエルリアに任せられそうだ。自分は今のうちにできることをこなそう。今日は他のことを考えながらも手を進められているし調子がいいのかもしれない。ユウノという刺激物を当てがわれて急成長した可能性もある。
ユウノはピーラーを鼻の前に持ってきて、顔をしかめていた。
「で、でもこれ難しいんだよな……」
「にんじんは真っ直ぐ剥けるからじゃがいもより簡単よ。見てて」
エルリアは引き出しからピーラーをもう一つ取り出し、もう片方の手でにんじんを掴む。
「まず、奥から手前に剥くのは危ないからダメね? ピーラーも刃物なんだから」
「う、うん」
「だからこうやって手前から奥に。この場合ピーラーは逆手に持った方が、余計な力が入らないしちょうどいい角度で当たって早く済むの」
エルリアは実演してみせる。会話を続け、目はユウノに向けたまま。
「……さっき<検閲されました>に例えたから変な気分だわ」
その手つきは機敏で、花びらが散っていくように皮がリズム良く消えていく。一瞬とも呼べる僅かな時間で一本剥き終えた。壮絶な花嫁修行によって培われた技術だ。
「すげぇけど……アタシにできるかな」
「最初は自分のペースでいいから。できるだけ丁寧によ」
ユウノは神妙な顔で一度頷いて、ふーっと深呼吸。エルリアのお手本を参考に逆手にピーラーを持ってみる。しかし、慣れていないためか逆に力が入りまくってしまったようで、
「うわっ! 爆発した!」
ユウノの左手がにんじんを握り潰した。
「あ、あなたどんな握力してるのよ⁉︎」
エルリアは驚愕し、一歩退いてしまう。皮を剥けるように指先で端っこを摘むような持ち方をしていたはずだ。鍛え上げたアスリートでも裸足で逃げ出すパワーだった。
「あ、しかもダメだ! 砕けたらいい匂いしてきた! そこのお菓子食わせてくれ! 暴れちまう!」
「えぇ⁉︎ 勘弁してよね!」
エルリアは慌てておやつをユウノの口の中に放り込んだ。ユウノはそれを噛まずに飲み込む。
「……ふう、助かったぜ。本当すまん」
「……」
フラムと、おそらくエルリアの脳内にも、ある懸念が浮上する。
もしユウノが刃物を持ったままビーストモードに入ってしまったら死傷者が出るのではないか。普通にシャレにならない。暴走を抑えるためには不用意に食べ物を近づけないようにしなければ。だが、そんなのは調理中には不可能である。
────つまり、ユウノに料理をさせてはいけないのではないか。
しかし、本人は張り切ってこうしてレッスンを受けている。不器用なりに精一杯はやっている。頭ごなしにやめてほしいとはとても言えない。
ユウノは四散したにんじんの欠片を集めてとりあえずザルに放り込む。そして気を取り直して次のにんじんを掴み、慎重に慎重にピーラーを当てる。
「今度こそ……!」
ユウノは二本目のにんじんを掴んで血走った目で見つめる。ピーラーの刃をにんじんに添え、そっと撫でる。皮が薄くぺりぺりと剥がれていき、一ストローク目を完遂した。だが、エルリアとユウノが揃って「できた!」と瞳を輝かせたのも束の間、あまりの事態に唖然とする。
「う、うおっ……⁉︎」
「えぇ……⁉︎」
────今度はピーラーの持ち手が握りつぶされていた。
「アタシ……向いてねぇな……」
ユウノは何かを悟ったように呟いて、壊れたピーラーをキッチンに置いた。見る見る表情が曇っていく。やる気はある。あるのだ。ただ腕力がその五億倍ある。
「アタシだって……アイツのために何かしたいんだけどな……」
ユウノはその場にへたり込んでしまった。
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