4.お料理組の教室

「シュリちゃん、えぇっと、どうしたの?」


 通話を始めたフラムに、ユウノがキッチンの方向を指差すジェスチャーを見せた。多分「買ってきたものを先に運んでおくぜ」というメッセージだろう。フラムは「お願いね」の意味を込めて目尻を下げる。


「ええっと、シュリちゃん、あのねぇ、小さい袋だけ分けておいてくれる? デート中だから邪魔しないようにねぇ。え? あ、あれ? あたし何言ってるのかしらぁ。……あ、違うの。ユウノちゃんに言ったの。あれ? ええっと、もしもし? シュリちゃんは何のお話だったかしら?」


 マルチタスクの苦手なフラムは完全にバグった。つい先ほど身体を食べられかけたのでまだ頭が蕩けているのかもしれない。


「ご、ごめんねぇ。混ざっちゃったみたい。あのねぇ、夕飯とは別のお買い物もあったからユウノちゃんがわかるか心配で……。ついて行ったら? でも……。え? あ、本当ね! 電話は歩きながらできるのねぇ! さすがシュリちゃん!」


 フラムは心の底から感心した。なんと、携帯電話は携帯が可能な電話なのだ。ご教授頂いた通り、通話しながらキッチンに向かうことにした。


「それで何だっけ? ……あ、頼まれてたもの? うん、ちゃんと買っておいたよ。ユウノちゃんにそれを分けておいてほしかったの。……いえいえ。……はぁい、じゃあ、楽しんできてねぇ」


 通話を終えてフラムは画面をタップする。────それにしても不思議だ。彼女は今日デートで、おそらくは夜遅くまで帰ってこないはずなのに、なぜを買うように頼んだのか。


 そんなことを考えながら歩いているとキッチンに到着しており、フラムは驚いてしまった。移動の方に意識はほとんど割かれておらず、道中の景色を見た記憶が一切なかったのだ。体感上はテレポートと同じ。よく無事に辿り着けたものだと胸を撫で下ろす。


 先に到着していたユウノが問いかける。


「シュリ何だって?」

「あのねぇ、シュリちゃんってすっごく頼りになるの! 電話は歩きながらできるんだよぉ!」


 誇らしげに満面の笑みを浮かべる。第四夫人であるフラムは直近の先輩である第三夫人のシュリルワに心酔していると言っていいほど懐いていた。


 ユウノは全く想定外の返答にたじろいで、後頭部をポリポリかいた。


「……そ、そりゃそうだ。あの、内容を聞いてんだけど」

「あ、そ、そうねぇ。お買い物を頼まれてたから、その確認だったの。その小さい袋はシュリちゃんのだから、シュリちゃんのお部屋のノブにかけておいてもらえる?」

「ん。オッケー」


 ユウノは袋を掴むと、小走りでキッチンから退出し、二階に駆け上っていった。


 本日の夕食当番はフラムとユウノ。ユウノは料理はからっきしなので、これを機にお勉強をしようという約束だった。フラムはこの間にと準備に取り掛かる。入念に手を洗い、小花柄のエプロンを身につけた。胸の前に流れる緩く巻いた髪を後頭部に持っていき、手首につけていたヘアゴムで一つに括る。ずり上がったエプロンの左脇腹を右手で摘んで下げ、続いて右脇腹を左手で摘んで下げ、仕上げに両手でお腹を払った。


「ただいま!」


 ユウノが颯爽とキッチンに舞い戻る。


「は、早いねぇユウノちゃん……」


 フラムはやっとエプロンをつけ終えたところだ。この素早さが調理にも活かされれば動きの遅い自分より貢献できるかもしれないと、フラムは生徒の才能に期待を高めた。


「じゃ、よろしくなフラム姉! アタシ荷物持ち以外何もできねぇからさ、そろそろ役に立てるようになりてえんだ!」


 ユウノは料理だけではなく家事全般が苦手だった。結婚前は人に任せっきりだったそうだし、結婚後も熟練の先輩が七人もいる。しかしやってもらってばかりではバツが悪いらしい。それに────、


「アタシもそろそろヴァンに美味いもん作ってやりてぇしな!」


 ユウノは手加減のない笑顔を作る。今日はそのために自分から教えを乞うたらしい。


「じゃあねぇ、まずは手を洗いましょう」


 フラム先生はユウノをシンクのそばに導いた。どうやら他の人は手を動かしながら話を聞くことができるらしいので、今のうちから説明を開始だ。


「夕ご飯はね、いつもたぁくさん作るの。ヴァンくんが八人に分身してみんなと一対一で食べるでしょう? だから、えーっと……」

「……十四人分くらいか?」

「んー、もうちょっと多かったと思うけど……」


 二人とも咄嗟に答えが出なかった。正確には妻八人と夫八人の十六名分だ。本来夫は一人なので非効率ではあるが、全員と食事を共にするためにこの形になった。


「でもね、みんな個別に作り足したり、自分で全部作ったり、外で食べてきたりすることがあるから、実際にはそんなに要らない日ばっかりなの。あと、女の子たちは少食の子が多いし、そのぉ、……わ、わたしばっかりパクパクと……」


 フラムが両手で顔を覆ったので、


「フラム姉! 大丈夫だって! アタシが一番食べるからさ!」


 ユウノは慌てて励ました。実際ユウノの食事量に比べたらフラムなんて可愛いものかもしれない。それなのにスレンダーな体型を維持しているユウノが心底羨ましく、胸と交換できるならぜひさせていただきたかった。


「それでねぇ、ヴァンくんはお休みの日は誰かとお出かけだから、今日は家にいる七人の分でいいんだよ」

「お、じゃあいつもより楽なんだな」


 お料理教室を開くにはうってつけの条件だった。仮にユウノが一切戦力にならずとも、フラム一人でも何とかなる量だ。早めに始めたので合間合間でユウノに説明する時間もある。


「じゃあ始めようねぇ。ユウノちゃんにはじゃがいもの皮を剥いてほしいの」

「うん、わかった!」


 ユウノは元気良くお返事した。どうやらそれくらいならできそうだと思ってテンションが上がったのだろう。しかし直後、ユウノは突如深刻な表情に切り替わった。


「あ、そうだ! やる前にいいか? アタシ食い物見てると腹減るし、減りすぎるとどうなるかわかんねぇし、危険だ!」

「あ、そ、そうねぇ……」


 彼女は空腹が極限に達すると我を失い、通称”ビーストモード”になってしまう。今日はヴァンがいない。もし暴走したら誰も止められない。フラムに背筋に緊張感が走り、思わず一歩退いた。


「つーことでここにお菓子を置いとく。ちょくちょく食べるけど、そのたびにちゃんと手を洗う。それでいいか?」

「ぜ、ぜひそうして! お願いねぇ!」


 ユウノなりに自分の悪癖に対処する用意ができているようで、フラムの緊張レベルはやや下がった。それでもやっぱり怖いので、フラム側からもちょくちょく何かつまむように促そうと決意する。


「そ、それじゃあまずはじゃがいもを洗ってみようねぇ。泥がついてるから固いスポンジを使うんだよ。わからないことがあったら何でも聞いてね」

「オッケー!」


 ユウノはスポンジを手に取る。張り切ってじゃがいもをゴシゴシ磨き、泥を綺麗に落としていく。お世辞にも器用な手つきとは言えないものの、腕力でカバーしている格好だ。結果フラムがやるより三倍のスピードで済んだ。良い調子だ。


「洗い終わったら次は皮を剥こうねぇ。このピーラーを使うの」

「ピーラー……」


 今までの人生で馴染みのなかったようで、ユウノは未知の調理道具をまじまじと見つめて眉を顰めた。そして恐る恐るじゃがいもに当てがいスライドする。フラムが上手だねと褒めようとしたとき、それより早くユウノのハツラツとした声が届いた。


「こっちの方が早くねえか?」


 ユウノは片手でじゃがいもを掴み、目の高さに掲げた。もう片方の手で包丁を握りしめる。そしてあろうことか、


「そりゃっ!」


 ────水平に一閃。じゃがいもの上部がスライスされた。


「きゃぁっ!」


 ワンテンポ遅れてフラムは悲鳴を上げる。


「ほら!」


 ピーラーより五倍は広い面積を一撃で剥いてみせたことにユウノは大満足していた。これには流石のフラムも珍しく大きな声を出す。


「あ、危ないでしょう⁉︎ ピーラーを使ってね!」

「えー? こっちの方が早えじゃねえか。……ほら!」


 ユウノは悪びれもせず包丁をもう一振り。今度はじゃがいもの曲面に合わせた軌道。身を深く削ることなく、皮だけがつるんと消えた。抜群の身体能力の成せる技だ。


「や、やめてぇ〜……!」


 フラムは頭を抱え、しなしなとしゃがみ込んだ。────これじゃハラハラして料理なんてできない。

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