3.お料理組の帰宅

 ***


 一方、お料理当番は働いていた。第四夫人・フラムは力無く声を漏らす。


「ユウノちゃん、あ、あのねぇ、わたしあんまり体力がないの。止まってゆっくり行かない?」


 重低音を響かせる動く歩道の上で立ち止まり、お買い物袋を抱きかかえて肩で息をする。前を歩く第八夫人・ユウノは体力に溢れており、飄々と歩みを進めていた。


「あ、悪ぃ。フラム姉はのんびり屋さんだもんな」


 ユウノが足を止め、風のようにフラムのそばに駆け寄った。フラムは元気で羨ましいなぁと思いながらほぉ〜っと深い一息。手持ち無沙汰になったユウノは何ともなしに辺りを見回す。


「……にしてもエラい立派な通路だよな。家とは思えねえよ」


 ここはスナキア邸、地下通路。妻たちが利用する秘密の出入り口である。


 堂々と正門から出入りするところを誰かに目撃されれば一発でヴァンの妻だとバレてしまう。そこでスナキア邸の一階廊下から地下を通して数百メートル離れた何の変哲もないマンションの通路に繋げ、そちらのエントランスから出入りするルートを作ったのだ。


「あのマンションもウチなんだよな?」

「そうねぇ。ええっとね、マンションなら色んな人が出てきても近所の人たちに変に思われないでしょう? あ、でも誰も住んでないから安心してねぇ」


 フラムは先輩妻として色々教えてあげたいと張り切っていた。第八夫人のユウノはまだ嫁いで三ヶ月しか経っていないのだ。物怖じしない性格のおかげか驚異的な早さで馴染んだものの、この家族についてまだ知らないことが多かった。


「……過保護だなぁ、ヴァンは」


 ユウノは苦笑いで呟く。妻の安全で快適な生活のために玄関代わりにマンションを一棟おっ建てるというド派手な手段。しかしおかげで快適な通路ができた。広大な前庭、高台にある、といったスナキア邸の条件を鑑みるに正門から出るのもどうせ手間なのだ。その点この地下通路ならエスカレーターも動く歩道も完備されているし雨風も凌げる。特に、動きの遅いフラムにとってはありがたい設備だった。


 ────それでも、いつか堂々と正面から外の世界に出られたらと、フラムは時々寂しくなる。


「……どした? フラム姉」

「え⁉︎ あ、な、何でもないの。ええっと、ほら、荷物が重くて疲れちゃったの」


 フラムは咄嗟にごまかした。多分、あまり元気のない顔をしてしまっていた。


「あ、で、でも、ユウノちゃんがほとんど持ってくれてるんだもんね。ごめんね?」


 二人は夕食の材料を買いに行った帰り道だ。スナキア家は妻だけで麻雀を二卓囲えるほど人数が多く、仕入れは大量になる。しかしユウノはその八割を軽々持ち運んでいた。


「へへ、いいって。アタシすげぇ力あるから。この前なんかヴァンを投げ飛ばしたんだぜ!」

「え、えぇ……?」


 全国民の生存権を守っているヴァンが女の子に投げられたとなっては国家が揺らぐ。とてつもないことを言ってのけておいてユウノはどこ吹く風。荷物を尻尾に引っ掛け、上げたり下ろしたりして遊んでいる。


「ほら、こうやって両手空けちまえば……フラム姉も持てるぜ?」

「え? え? ……きゃあっ!」


 ユウノはフラムに接近し、左手を背中、右手を膝の裏に回した。フラムは慌ててユウノの首に手を回す。お姫様抱っこの完成だ。ユウノはそのまま歩みを進め始め、最後の上りのエスカレーターに乗った。


「ヒヒ、このまま玄関まで運んでやるよ。疲れてんだろ?」

「な、何……? この気持ち……!」


 ユウノは左側の口角を持ち上げてフラムを見下ろす。切長の目は涼しげで、輪郭は細い。少女漫画のヒーローのようなどこか繊細さを漂わせたイケメン、といった雰囲気た。フラムは柔らかい頬をポッと赤らめた。


「あ、降ろしてぇ! ほ、本当にだめなのぉ! わたしねぇ、すぅっごく重いの!」

「平気だって。羽みたいに軽いぜ?」


 ユウノはこともなげに言いのけた。フラムはその優しさにドキッとしてしまうが、即座にそれどころじゃないと気を取りなおす。


「軽くないでしょう? わたしどこもかしこも太いの! きっとわたしって猫じゃなくて豚さんなの!」

「そ、そんなこと言っちゃダメだフラム姉! つーか太くねぇし!」

「で、でも……。きっと体重聞いたらひっくりかえっちゃう……」

「体重のほとんどは胸だよフラム姉は……一人で八人分くらいあるじゃねえか……」


 ユウノが口をへの字にしてしかめっ面を作る。そして何を思ったか、


「味わってやる……!」

「え⁉︎ ひゃあ……っ!」


 ユウノは胸に思いっきり顔を埋めた。そしてたっぷりと味わうかのように小刻みに首を振り、深く深く侵入していく。抵抗したいが手を離せば落っこちてしまう。逃げられない。


「柔らか……っ⁉︎ アタシこんなの自分の体にあったらずっと触っちゃうぜ……!」

「あぁん、だ、ダメだよぉ……♡」


 フラムはなすがままに貪られていく。息は乱れ、顔が熱を持つ。ユウノがようやくやめてくれたのは、エスカレーターから降りてスナキア邸の廊下に到着した後だった。


「ユウノちゃん、そ、そろそろ本当に降ろして……。こ、こんなの不倫だよぉ……」

「不倫⁉︎ そ、そんなにドキドキされても……っ!」


 ユウノはゆっくりとフラムの足を下ろす。背中に回していた方の手は触れたままで、フラムがしっかり立つのを見届けてくれた。フラムは気をとりなおすようにスカートのシワを払い、深呼吸して早まった鼓動を落ち着ける。気持ちを切り替えて次にやるべきことを考える。


「あ、ヴァンくんに連絡しなくちゃ」


 妻たちは夫に「外出時と帰宅時に一言ほしい」とお願いされている。国家の敵とすら見做されている彼女たちだ。過保護と言われても譲れないのだろう。フラムはお買い物バッグの内ポケットから携帯電話を取り出した。何年持っても使いつけないそれをおぼつかない指で操作して、ヴァンにメッセージを送れる画面にやっとこさ到達した。


「えっと、『デート中にごめんね。無事に帰りました。お返事不要です』……と」


 フラムは口に出さないと文章が打てない。一文字ずつたどたどしく発声したので、そばにいるユウノに内容が筒抜けだった。 


「律儀だなぁ……」

「ユウノちゃんも連絡してあげてね?」

「だるい」


 フラム以外誰もこの取り決めを守っていないのが実情だった。ヴァンの「妻に手を出したらこの国を捨てる」という宣言は相当に効いており、危険な目に遭うようなことはほぼない。第一、誰も妻の顔と名前を知らないのだ。


「……あれぇ?」


 フラムの携帯が鳴る。返事はいいのにと思いながら画面を覗いてみた。しかし、そこに表示されていたのは夫の名前ではなかった。


「シュリちゃんの方から電話? ……もしもし?」


 第三夫人・シュリルワ。現在彼女は夫と二人で出かけているはずである。何かあったのだろうか────。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る