2.のんびり組の遊戯

 ***


 ヴァンが第三夫人のシュリルワとお出かけする一方で、他の妻たちは自宅でゆったりのんびり過ごしていた。ここのところ戦争になりかけたり夫がテレビ番組で大魔王になったりと大騒ぎだった。今日くらいは穏やかな休日を堪能させていただきたいところだ。


「それポンっ!」


 現在四着の第六夫人・ヒューネットが手牌から二枚の八萬を倒した。対面に座る第一夫人・ジルーナの捨て牌からもう一枚を頂戴する。


「……ヒュー、ちゃんと役あんの?」


 キティアが疑いの眼差しを向ける。ヒューネットは良く言えば積極的に、悪く言えば安易に鳴きを繰り広げ、気づけば役なしで上がれずという失態を何度も犯していた。ちょっと抜けている彼女らしい麻雀だった。


「今回はあるよっ! ヒューは同じミスをしないのさっ」


 ヒューネットはキリリと眉毛を逆八の字にする。


「……ふーん」


 キティアは「いや、するから言ってるんだけど」という言葉を飲み込んだ。好きに動けばいい。点棒はたんまり持っているので、ヒューネットが奇跡を二回は披露しない限り逆転はない。


 ヒューネットがまん丸な目が爛々と輝かせて北を切る。色素の薄い頬が紅潮する。音は関係ないはずなのに、なぜか猫耳まで立てている。この様子、どうやら上がりが近い。所作を少し観察すれば手牌が透けるようだ。さっさと安い手を上がってこの局を終わりにしてもらおう。


「ロン♡」


 第二夫人・ミオが牌を倒した。


「「「えっ⁉︎」」」


 黙聴、北単騎、しかも地獄待ち。全員ノーマークだったので揃って声を漏らし、反射的に尻尾が真っ直ぐ伸びた。


「ミオっ! 変なとこで待つのやめてっ!」

「え〜? だって面白いんだもん♡」


 ミオは右側の前髪を左手でセクシーにかき上げた。彼女は騙し討ちを好む。えてしてその類いの手は打点が低いのに、勝負なんて度外視してでも引っかけ問題を出したいらしい。厄介なお姉さんである。


「なんかヒュー、ミオにばっか払ってる気がするっ……!」

「私も結構やられたよ……。本当えげつないよミオは」


 ジルーナが自分の手牌に不満気な視線を落としていた。こめかみに流れるカールした毛束を伸ばしたり放したりといじり、境界線のハッキリしたシャープな朱い唇を尖らせる。


「ジルはあんまり狙ってないわよぉ。放っといても勝てるから♡」

「な、何をー! もう! わざわざ本まで買って勉強したって言うのにさ!」


 ジルーナは生真面目さ故かゲームに対しても勉強熱心だった。そして芯の強い彼女はなかなかの負けん気を内に秘めており、この手の勝負事を存外好む。だが、キティアに言わせれば彼女は守りに入ってしまうのが早い。それも彼女らしくて愛らしいけれど。


 麻雀というゲームは人柄がそのまま現れて実に楽しい。麻雀は最高。麻雀楽しいなぁ────。


「……あたしたち、麻雀なんかしてていいんですかねぇ」


 キティアは突如我に帰り、白黒のついた卓上に虚ろな目を向けながらそっと零した。


 スナキア邸、遊戯室、休日の昼下がり。全自動雀卓を囲むジルーナ、ミオ、キティア、ヒューネットの四名。窓から注がれる日差しは、少しずつ角度を下げ始めた。


「四万九千点も集めといて何言ってるのさ……!」


 恨み節のジルーナがジト目を向けてきたので、


「あ、まあ勝ちはするんですけどね☆」


 キティアはあざといウインクでお返しする。尻尾をゆらゆらさせる余裕の態度もおまけした。キティアは予感や気配といった曖昧なものを一切信じず、ひたすらロジカルで計算高い。おかげで安定した勝率を誇っている。


「そんなこと言ってもねぇ。お姉さんたちもうお仕事終わっちゃったしぃ」

「そうなんですよね〜……。でもなんかこう、昼過ぎからこれはちょっと贅沢すぎるような……」


 四人は割り当てられた家事当番を完遂させている。それでもこうして晴れた日に真っ昼間から麻雀に興じるのはどうなのだと、キティアの心の中には背徳感のようなものがふつふつと湧き上がっていた。


 頬杖を付いたミオがからかうように問いかける。


「根が真面目よねぇ、ティアちゃんって。小悪魔はもうちょっとラフでいいんじゃない?♡」


 キティアは少し顔を朱に染めて、「いいじゃないですか真面目でも」と口の中だけで呟いた。小悪魔的な言動で夫を困らせても許されているのは、締めるところはきっちり締めるきちんとした奥様だからである。


 ジルーナは遠い目で窓の外を見やる。


「昔はもっと忙しかったんだけどね。……でもこうも人手が多いとさ」


 妻八人、夫は数万人規模で分身可能。この家では人手が余っていた。


 スナキア邸は一軒の家というよりマンションに近い。妻は各自一通り家具・家電・設備が揃った2LDKの部屋を持っていて基本的にはそこで生活が完結している。昼間は自室の家事に従事することになるが、それほど手間ではない。


 なんせ最も大変な料理という家事を八人の妻で分担し、当番制にしている。料理係に当たらなければ時間の余裕はたっぷりあった。妻が増えるたびに一人当たりの負担が減り、今や働く頭数を減らすために週休二日制を導入しているほどだ。


「別に遠慮なくのんびりさせて貰えばいいんじゃないのぉ? 家事で楽できるのは一夫多妻の数少ない特権でしょ?♡」

「それはそう! 本当そうなんです!」


 キティアが鼻息荒く全力で肯定する。ミオは「どっち?」と言いたげに口を窄め、ボブの前髪を鼻の下に持ってきた。キティア自身、自分の取るべき態度がまとまっていなかった。


「……まあ、みんなとゆるゆる暮らすのも楽しいんですけどね。でもあたし、たまにはもっとハリのある一日を過ごしたいというか……」


 ヒューネットが突如立ち上がった。背筋も尻尾もこれ以上ないくらいピンと伸びていた。


「じゃあさっ! 何かできること探そうよっ!」


 元気な発声と共に、ジルーナ、ミオ、キティアの顔を順番に見つめる。


「何かって……何ぃ?」

「それを探すんだよミオっ! 例えば、う〜ん、あっ、大掃除とかさっ! 普段してないことをするのっ!」


 ヒューネットは自分の思いつきに自分で拍手を送った。目線でキティアにも促してきたが、「あ、あたしも?」と戸惑うだけだった。


「さすがヒューちゃんはアイディアガールねぇ……」


 ミオは気怠げに麻雀卓に突っ伏した。猫耳の先まで垂れ下がる。「お姉さんはそんなの面倒くさいな♡」の表明らしい。ヒューネットはミオのことをとっとと見限ったようで、正面のキャプテン・ジルーナに煌めく瞳を見せつける。


「……大掃除かぁ。あ、離れの倉庫はどうかな?」

「倉庫って、庭の端っこにあるやつっ? ヒュー入ったことないかもっ」


 スナキア邸の広大な庭に建つ木造の倉庫。作ったのはヴァンの何代も前の当主だ。外壁や付近の木々の関係で昼間でもほとんど日が当たらない。基本的に妻たちは立ち入らない場所だ。


「でもヴァンが『古くて危ないから近寄らないように』って言ってたからやめた方がいいかもね」

「えーっ? ヒューは勇敢なのでそんなのお構いなしだよっ!」


 ヒューネットは自信満々に腰に手を当てた。やると決めたら一直線だ。


 その横で、ミオがなぜか神妙な顔で考え込んでいた。


「『古くて危ない』ってことは、倒れちゃうかもしれないってことぉ?」

「ん? そうだと思うよ」

「……本当かしらぁ? ヴァンさんってそんな状態で放っておかないと思わない? ほら、あの人後回しにしない人だしぃ」


 言われてみれば確かにと、キティアは首肯した。ヴァンは日曜大工を得意としており、大体のトラブルは自分で対応できる。それに真面目で積極的にタスクをこなすタイプだ。今日できることは今日処理しておかないと落ち着かないらしい。


「無駄にテキパキしてますからね〜。あたし今まで何回『明日にしましょうよ』って文句言ったことか」

「ティアちゃんもそう?♡ あんまり働かれるとこっちもやらなきゃいけない気分になるわよねぇ。もう任せてサボっちゃうけど♡」


 味方を見つけたのが嬉しいらしく、ミオの声は弾んでいた。しかしキティアは文句を言いつつも手伝いが必要なのであればサボらず力添えしている。……黙っておこう。


「単に優先順位が低いだけじゃないかな。あの人毎日国中のお世話してるんだもん。ほとんど使ってない倉庫のことまで気が回らないんだよ」

「でもぉ、あの人って過保護じゃない? お姉さんたちが入って怪我しちゃったらとか考えて真っ先に対処しそうなものだけどぉ……」

「……それはそうかも」


 これにはジルーナも頷いた。ヴァンは日頃から妻を守るためにありとあらゆる手を打っている人物だ。それに優先順位という考えを持ち出すのであれば、その頂点には妻がいるはず。そうじゃなきゃはっ倒すぞとキティアは念じておく。


「ちなみにあそこって何がしまってあるのぉ?」

「何もないって言ってた気がする。お義父様がご存命の頃に一緒に全部整理したんだって」


 お義父様。今は亡き先代のスナキア家当主である。母親はヴァンを産むと同時に亡くなっているため、ヴァンにとって唯一記憶のある親族だ。ヴァンが十二歳の頃に彼が暗殺されたために、例の終末の雨という事件が起きた。当然結婚する前のことなのでキティアは会ったことがないのだが、


「ジルさんはお会いしたことあるんでしたよね?」

「え? あ、うん。昔一度だけね。……まあ、それはいいじゃん」


 キティアの問いかけに、ジルーナは言い淀んだ。第一夫人である彼女はヴァンとの付き合いが最も長い。お互いがまだ子どもだったときからの顔見知りだそうだ。どうやら彼女は自分しか知らない時期のことをひけらかすようなことはしたくないという考えらしい。キティアは別にいいのにと思いながらも、言いたくないならこれ以上聞かないことに決めた。


「じゃあさっ、ヴァンにはすっごく大事な倉庫なんじゃないっ? パパとの思い出の場所でしょっ?」

「確かにそうかも。お義父様って病弱でほとんどベッドの上に居たって話だから、一緒に何かした機会ってあんまりないと思う」


 夫にとっては大切な場所。何も収納していないのに残していることから見てもその推測は正しいだろう。


「だったら掃除くらいさせてほしいですけどね〜。あたし頑張ってあげるのに……」


 手が回らないというのなら妻である自分に任せてほしいとキティアは拗ねる。「危ないから」なんて嘘(?)までついて遠ざけられるのは不本意だ。


「あの人私たちになるべく負担かけないようにしたがるからね……。いつものやつだよ」


 どうやら彼の行動原理には「一夫多妻という不条理な状況に巻き込んでしまった以上、できるだけ楽しく楽に暮らさせてあげたい」という想いがあるらしい。もちろんその気遣い自体はありがたいし、そうあってほしくもあるが、気にせずもっと頼ってくれればいいのにとも思う。夫婦なんだから支え合ってこそだ。


「……やっぱり麻雀なんかやってる場合じゃないですね」


 キティアが不敵に微笑むと、ジルーナも、ヒューネットも、大掃除を面倒臭がっていたミオも首を縦に振った。彼が出かけている間に倉庫をピッカピカにして喜ばせてあげよう。妻たちは想いを一つに一斉に立ち上がった。


 ────この決断が、後に大いなる戸惑いと不思議な奇跡を引き起こすことを、四人はまだ知らない。

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