第5話
会社員がランチへと急ぎ、主婦が買い物を済ませ
パンパンになった買い物袋を片手に颯爽と歩くお昼時。
僕は、これから自分がする事への緊張で心臓が口から出そうになるのを必死に抑えていた。
さくら家の前に着き、車から降りて深呼吸。
綺麗な青空が僕に勇気をくれているみたいだ。
さくらは今日休みだと言っていた。
きっと家にいるはず。
ゆっくりと階段を上がりインターホンを押す。
一瞬、昨日の事が頭によぎったが心の準備は出来ている。
そして開かれたドアの先には、仕事へ行ったはずの僕が、真っ昼間に家に戻って来た事に不思議そうな顔をしたさくらが立っていた。
「仕事で近くまで来たからお昼一緒に食べようと思って」
そう言い、さっきコンビニで買ったお弁当を二つ袋から取り出すと、慣れた手つきで温めてくれた。
お弁当を食べ終えお口直しにガムを食べる。
ガムは思った以上に味がなくなるのが早かった。
さくらがリビングを離れ廊下に出る、トイレだろうか。
この瞬間を逃すと次はないかもしれないと焦る気持ちを抑え、隣の寝室へと向かう。
クローゼットの取っ手に手をかけ、ゆっくりと音を出さないように扉を開けた。
そこには僕の中でずっと引っかかっていた物が堂々としまってあったのだ。
胸のつかえが取れた満足感と同時に襲う絶望感に呆然と立ちすくむ。
「何してるの」
背後から聞こえた冷たい声に一瞬で体が強ばる。
顔を向ける事ができずにいる僕の視界に、突然彼女の姿が映る。
真横から覗き込むように向けられた視線はあまりにも恐ろしく息をするのも忘れていた。
そして咄嗟に「視線を感じたから確認しようと思って」と言うと、さくらはゆっくりとクローゼットに目を移しながら「何かいた?」と聞いてきた。
「気のせいだったみたい」と顔を横に振りながら僕が答えると、「よかった。何かいたとか言われたら、もうここには住めないところだったよ」と笑顔でおどけてみせた。
今の僕はそれすらも恐怖に感じ、可愛いと思う程の余裕はなかった。
「仕事に戻らないと」
そう言いさっき食べたお弁当のゴミを持ち車に戻る。
深く息を吸い心を落ち着かせエンジンをかけた。
無心で車を走らせ、気づいた時には2時間もかかる海岸へと来ていた。
そこはさくらとの初デートで寄った思い出の場所。
なぜここに来たのか自分でも分からない。
車から降り浜辺へ向かう道中、これまでのさくらとの思い出が走馬灯のように駆け巡る。
記憶の中のさくらはいつも笑顔で、僕はこの笑顔が大好きだった。
この笑顔を守りたかった。
でも、もうそれは叶わないのかもしれない。
綺麗な夕日は一日の終わりを告げるのと共に、僕の中にあった迷いを綺麗に断ち切り背中を押してくれてるように感じた。
急いで車を走らせ、署へ着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
さくらの家から持ち帰ったゴミを片手にある所へと向かった。
そう、それは数時間前の須藤からの1本の電話から始まった。
興奮気味に告げられた【犯人と思われるDNAが採取できました】この言葉から生まれた一つの計画。
警察官になってから初めての経験に、緊張からか手の力が抜けているようなふわふわとした感覚に、気持ち悪さを感じながらも全身の神経を一つに集中させ無事に問題なく終えることができたこの計画。
警察官人生の中で1番の収穫とも言える証拠を鑑識課に提出した。
「これが犯人のものと一致するか鑑定してほしい」とだけ告げて。
そして今、もう後戻りはできないという思いから
大きな達成感と同時に押し寄せる罪悪感に
心が大きく揺れ、そばにあったイスへ腰をかける僕は
全てが終わった安心感からか全身の力が抜けていくのが分かった。
結果が出るのは早くても明日。
自宅までの決して短くはない帰り道、自転車を押し呆然と歩く僕は、想像した1番最悪な結果にならない事だけをただただ祈る事しかできなかった。
もしも最悪な結果が目の前に突きつけられたら、
何をするのが正解なのだろうか。
頭の中で繰り返される自問自答に気を取られ、気づくと家の前まで来ていた。
玄関を開け広がる暗闇が僕たちの未来を映し出しているような、そんな気がした。
次の日、重い腰を上げいつものように出勤する。
捜査一課に着くと、鑑識課の野田さんが勢いよく僕の所へやってくる。
その表情は険しく結果は聞かずとも一目瞭然だった。
さすがに大勢の前で出来る話ではない為、場所を移動すると間髪いれずに険しい表情のまま野田さんはこう言った。
「結果から言うと犯人の物である事に間違いありません。これはどこから見つけてきたんですか」
なんと答えてあの場を去ったのか記憶にはないが、野田さんの言葉が脳内でお経のように唱えられていた。
席へ戻った僕はこれから先どうするべきなのか、答えを出すべく自分を奮い立たせた。
溜まった報告書の作成をしながら予測する未来は、どう考えても明るいものではない。
子供たちの楽しそうな声が飛び交う夕暮れ時、一気に騒がしくなる署内、捜査員が次々と中へ入ってくる。
カメラに映る犯人の顔が確認できたと、満ち足りた表情で写真をボードに貼り付ける。
その写真に映る人物は間違いなくさくらだ。
見間違えなんかではなく、僕が愛した彼女だった。
分かってはいた結果にも関わらず明かされた現実が胸に深く突き刺さる。
物的証拠の全てがさくらを指している。
僕は静かにその場から離れ自販機にある飲み慣れたコーヒーを買った。
さくらのおかげで飲めるようになったブラックコーヒーを片手に携帯を眺める。
さくらとのメッセージのやり取り、一緒に過ごした思い出の写真。
数え切れないほどの記憶がそこにはしっかりと映し出されている。
この携帯の中にいるさくらは、僕の知っているさくらであって僕の知らないさくら。
一体何者なのか、何が正解なのか分からなくなった。
「君はいったい誰なんだ」
ポツリと心の声が漏れた時、聞こえてきた足音に遠のいた意識が一瞬で戻った。
いつからいたのか分からない須藤が心配そうに僕の隣に立つ。
「結城さん、どうしちゃったんですか。最近らしくないですよ。心ここに在らずってゆうか、ずっと遠くを見てる感じです。疲れが溜まってるんですよきっと、働きすぎってゆうか、これも全部犯人のせいですね。捕まえたら暫くまとまった休み欲しいですよね1週間くらいドーンと。」
須藤なりに気を遣って頑張って明るく話してくれているのが、今の僕にはとても有り難かった。
「ちょっといいか」そういって車まで無言で歩いた。
今までの事を全て須藤に打ち明けようと。
車内に流れる沈黙、
何かを察したのか須藤はただじっと、僕が口を開くのを待っていてくれた。
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