第4話
この日仕事が一段落ついたのは日付が変わる少し前。
携帯を見ると1件のメールが入っていた。
送り主はさくらだ。
「今日は航介の大好きな生姜焼き作って待ってるからね。無理せず休憩挟みながらお仕事頑張って!気を付けて来てね」
「あ、今日か」無意識に心の声が漏れる。
そう、今日は付き合って7ヶ月の記念日だ。
何かをするわけでも、どこかに行くわけでもないが、自然と毎月この日だけは必ず一緒に過ごしていた。
それなのに今日は、仕事の忙しさからかすっかり忘れていたのだ。
一緒に過ごさなかった記念日は初めてで、好きなものまで作って待っていてくれたさくらに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
時間を見ると4時間前に送られていたメール。
全く気付く事なく、それほどまでに集中していたのだろうか。
「ごめん、今メール見ました。もう寝たかな?記念日だったのに一緒に過ごせなくてごめん。ご飯も作ってくれてたのに。最近は仕事が忙しくて、まともに連絡もできなくて会いにも行けてなくて本当にごめんな。きっと寂しい思い沢山させてるよな。本当は今すぐにでも会いに行きたいけど、また今度ゆっくり時間のある時に会いに行くから。おやすみ」
一通だけメールを送り、家へ帰った。
事件の捜査で忙しく最近はさくらに会えていない。
とゆうか、正直さくらとの時間を作る余裕が今の僕にはなくて、寂しい思いをさせてしまっていると思う。
でも、こんな事を言うとさくらは決まって、
「大丈夫だよ、仕事で忙しいなら仕方ないよ。負担になりたくないし無理は絶対しないで」
と言ってくれる。
これはきっと彼女の優しさから来る言葉で本心ではないはず。
そうは思っても彼女の優しさに甘えてしまっている自分がいる。
次、仕事が早く終わった日にサプライズで会いに行こうと頭の中で計画をたてた。
ケーキとか用意したらどんな反応をしてくれるかな。
こんな事を考えている時だけは、事件の事から離れる事ができて、張り詰めていた気持ちが少し軽くなるような気がした。
会ったらまず彼女に言いたい事など事細かく頭の中で考えて、ようやく実行に移すチャンスが来た。
その日、普段通り仕事を終えた僕はさくらが前に食べたいと言っていたケーキ屋へ寄り、ショーケースに並べられた沢山のケーキの中からさくらが大好きな苺のケーキを買って家まで車を走らせた。
早く会いたいと思う気持ちからか自然と頬が緩む。
ふと隣を見ると一人車内で微笑む僕を、不思議そうにジッと見つめる子供と目が合った。
とても気まずい空気に堪らず、ニコッと笑いかけゆっくりと正面を向く。
こんなにも赤信号が長く感じたのは人生で初めての事だった。
無事にさくらの家に着き、外から明かりがついている事を確認した僕は、部屋へと急ぐ足を止め静かに進みインターホンを鳴らす。
来ることを知らないさくらはどんな反応を見せてくれるのだろう。
期待に胸を躍らせ今か今かと開かれるドアを見つめていると、ドアの向こう側から聞こえてくる足音が少しずつ近づいてくるのが分かった。
「ガチャッ」と音を立てながら開かれたドアにはロックがされ、そのわずかな隙間からは今までに見た事のない怖い目をしたさくらが立っていた。
まるで別人のような雰囲気に思わず息を呑み、期待と共に釣り上がった口角が一瞬にして下がったのと同時に足も自然と一歩後ろに下がっていた。
数秒の間が空き、魂を取り戻したかのようにさくらに話しかけた。
ごく自然に、驚いた事などなかったかのように、いつも通りを装い。
「いきなりごめん。記念日一緒に過ごせなかったから」
そう言うと、さくらはゆっくりと瞬きをして
「あ、ごめん今開けるね」とロックを外し中へ入れてくれた。
「こんな時間にインターホンが鳴ったからびっくりしちゃった。来るなら連絡してくれたらよかったのに」と微笑みながら。
あの一瞬は何だったのかと不思議なくらいいつものさくらに戻った。
「ビックリさせたくて、サプライズ。忙しくて記念日忘れちゃってたし。あっ、ケーキも買ってきたんだ、一緒に食べよ」
と、箱を見せると食べたかったやつだと笑顔で喜んでくれた。
そして、部屋の扉を開け中に進もうとした時、目の前に広がった光景に言葉を失った。
そこはまるで泥棒に入られた後のように荒れ、床が見えないほど物が散乱していたのだ。
いつ行っても綺麗だったはずの部屋との違いに衝撃で体が固まった。
そんな僕の様子に気づいたのか、慌てた様子で片付け始めた。
「何か探し物?見つかった?」と聞きながらケーキをテーブルに置き手伝った。
元々物が少ないおかげで、あっとゆうまに元の綺麗な状態へと戻った。
そしてさくらは上機嫌で、買ってきたケーキとコーヒーを用意してくれている。
ふと視線を移した先で、僕はソファの下に落ちた1枚のカードに気付いた。
「さくらカード…」全てを言い終える前に言葉に詰まり、そのカードを見つめていた。
そう、僕はこのカードを知っている。
見覚えのあるカードを前に一つの疑問が生まれた。
「さくらジムなんて行ってたっけ?」
するとさくらは一瞬考えるような素振りを見せ答えた。
「前にね、ちょっと行ってた。今は全然行ってないけど…言ってなかったっけ?」
もちろん聞いたこともないし全く知らない。
そもそもさくらは運動が苦手だと思っていた。
知らないことがあってもおかしくはないが、何となく心の奥が騒ついた。
そしてテーブルには可愛いお皿に置かれたケーキが並べられ、食欲を掻き立てるコーヒーの匂いが部屋に充満する。
最近のお互いの仕事の話やこれからの事など中々会えなかった分溜まった話に花が咲いた。
どれだけ話しただろう。
事件の事など忘れ久しぶりの彼女との時間を噛み締めていた。
次の日、彼女の家から職場へ向かう車の中、僕は一人何かが引っかかりスッキリしない心持ちのまま車を走らせていた。
何が気になっているのかも全く分からず、職場に着いてからもそのことが気になって集中できずにいた。
須藤が何か言ってるが頭に入ってこない完全に上の空状態だ。
昨日の一連の流れを何度も何度も思い返してみるがピンとこない。
そして目に入ってきたのは、上司のポケットから無様にもはみ出した1枚のハンカチ。
それを見た瞬間にスッと胸のつかえがおりたような気がした。
そして僕は自分の目で確認するため、急いでさくらの家へと向かった。
途中で寄ったコンビニでタイミング良く携帯が鳴る。
着信相手は須藤だ。
捜査に進展があったと、嬉しそうに報告してくれる須藤の言葉を聞いた僕の頭の中には一つの計画が生まれた。
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