⑹彷徨う正義

「青っちいねぇ」




 立花が言った。

 馬鹿にされていることは分かったが、不思議と怒りは湧いて来なかった。


 葬儀場を後にした翔は、ミナと共に事務所に戻った。給湯室で手洗いとうがいを済ませたミナは、今はまたパソコンの前に座っている。




「こいつ、男だったぞ」

「そうだよ?」




 おかしそうに、立花は言った。

 机の上には吸殻の山と、新聞が広げられている。きっと、彼も全部知っていたのだ。知らなかったのは、自分だけ。




「アンタが姫って呼ぶから、勘違いしただろ!」

「嘘は言ってねぇ。俺はこいつに傷一つ付けるなって依頼されてんだよ」




 仕事を選ぶのはプロじゃねぇからな。

 立花はそんな風に言って、また笑った。




「こいつは切り札が欲しいって言ってたぞ。何の為に……!」

「そんなもんは直接訊けよ」




 なあ、ミナ!

 立花が呼ぶと、ミナが振り向いた。




「I don't know Japanese」

「嘘吐け!」




 翔が怒鳴れば、ミナは演技掛かった仕草で肩をすくめた。暖簾のれんに腕押しというか、この子供には恫喝どうかつの類が全く通じないことは分かった。


 立花は几帳面に新聞を畳みながら言った。




「こいつが語らない以上は、俺も何も話せねぇ。そういう契約だ」




 それも何処まで本当か分からない。

 ミナが不思議そうに尋ねた。




「What is a Hime?」

「It's a princess」

「Oh, I'm not a princess」




 ミナの英語も段々と胡散臭うさんくさく聞こえて来た。

 翔がにらむと、ミナは胸を張った。




「I am a hero!」

「はあ?」

「卵だけどな」




 立花がのどを鳴らして笑っている。

 よく分からない。

 新聞をゴミ箱に投げ入れ、立花が言った。




「殺し屋の元でどんなヒーローが育つのか、楽しみだろ?」




 ゲーム感覚なのだろうか。

 もう考えるのも追求するのも馬鹿らしくなって来て、翔は立ち上がった。




「Where are you going?」

「表、掃いて来る」




 だまされたとは言え、ミナは依頼に応えてくれた。

 それなら、自分も応えなければならない。


 何が出来るかは分からないけれど、出来ることから一つずつやって行こうと思った。






   






 2.正義の矛

 ⑹彷徨さまよう正義












 玄関先をいていると、ミナが何やら興奮した様子で飛び出して来た。何事かと思ったら、ウィローを追い掛けるのだと言う。


 ウィローとは、ドブネズミの名前だ。

 放っておくのも不安だったので、翔は付いて行くことにした。ミナは無邪気に笑って走り出した。


 携帯電話を頼りに、二人で繁華街を駆け回った。

 振り返るような過去なんてないはずなのに、何故か懐かしく感じられた。ミナがいつも被ってるフードはすっかり脱げていて、道行く人が振り返る。


 天使に見えるのだろう。

 その正体を知らなければ。


 繁華街を二周して、駅前に差し掛かった頃にはすっかり息が上がっていた。ミナがピンピンしているのは、子供だからなのか。




「ミナちゃん」




 突然声を掛けられて、翔は足を止めた。

 振り向くと、制服を着た桜田が立っていた。制服で交番の前じゃなかったら、事案だろう。


 ミナは親しげに挨拶をして、携帯電話をしまった。桜田は目敏めざとくそれを見ていたらしかった。




「何しとんの?」

「I was chasing Willow」

「うぃろー?」




 先程は気付かなかったが、桜田はなまった口調で話していた。関西出身なのかも知れない。そう思うと、ミナも英語圏の生まれなのかも。

 そんなことを考えていたら、桜田が喋り出した。




「霜山学館のこと、聞ぃたか? 人事部長と会計係がごっそり逮捕されたんやで」

「Really?」

「昨日変死した女社員が、幹部社員の汚職データを警察に流したんやて。女は恐ろしいなァ」




 ミナは興味無さそうに相槌あいづちを打った。

 桜田は腕組みをして、一人でうなずきながら話し続ける。




「その女社員、企画部だったらしいな。今回のことで開発中の教材が注目されて、馬鹿売れらしいやん」

「She is lucky!」

「そうやろ。その教材ってのがまた泣かせるんや。貧しい子供でも買える安価な学習ドリルでな、アホでも分かるくらい内容も分かり易いんやけど、題材がヒーローなんやって。勉強する程、ヒーローが強くなって、悪者をやっつけられんねん」




 子供の学習ドリルで、題材がヒーローか。

 彼女らしい。翔はひっそりと笑った。


 高梁世那は殺された。彼女の正義は依頼人を断罪し、その思いは報われた。諸手もろてを上げて喜べないのは、何故なのだろう。


 桜田は「そういえば」と視線を鋭くした。




「君、葬儀場におったやろ。何しとってん?」




 当然の疑問だった。

 嫌な予感が湧き出して来て、翔は下手なことを言うまいと口を結んだ。


 ミナはへらりと笑った。




「Sho knows her. Did you meet at the bicycle storage?」




 bicycle、自転車。

 というか、なんでそんなことまで知ってるんだよ。

 盗聴器でも付けられているのか?


 翔が困惑していると、桜田は目を眇めた。




「警察に届いたデータは茶封筒に入ってたんやって。其処には彼女の指紋が付いてたらしいんやけど、投函したのは殺された夜や。……なんか、気にならへんか?」




 警察に届いた茶封筒――。

 翔には覚えがあった。郵便を出して来て、と頼まれたのだ。ミナは高梁の掴んだ汚職の証拠を持っていた。

 ポストの前で迷っていた時、高梁が代わりに投函してくれた。だから、封筒には彼女の指紋が残っていた。


 あの時、ミナは依頼人に言った。

 彼女の正義がアンタを貫く、と。


 誰が彼女の正義を引き継いだのか。

 確証はないが、確信があった。


 桜田が言った。




「あの男、死んだんやで」




 死んだ?

 あの男が死んだとしても、それは当然の報いだと思った。だが、桜田は此方の反応を観察するかのような鋭い視線を向けている。




「拘置所で、毒を飲んだんや。上層部は自殺と考えとるけどな、俺は他殺やと思っとる」




 まさか、立花か?

 いや、立花ならきっと銃を使う筈だ。

 じゃあ、誰が。




「最近は物騒やで。この間も、高層ビルから会社員が転落死したんや。頭蓋骨は砕けとってんけど、その男の眉間には風穴が空いとった。それなのに、最終的には事故死扱いや。――なあ、恐ろしいやろ?」




 揶揄うような口調で、桜田は言った。


 自分達とあの依頼人を結び付ける線はない。怪しまれているようだが、証拠がない以上は疑えない。


 ミナは可愛らしく頭を傾けた。




「I am poor at your Japanese」

「ゆっくり話したれや。英語は苦手やねん」

「Sorry, I am weak in your Japanese, too」




 嫌な緊張感が漂った。

 水面下で腹を探り合っているかのようだ。

 ミナは天使の笑顔を浮かべたまま、眉一つ動かさない。明らかに、場慣れしている。


 息の詰まるような沈黙の後、桜田は溜息を一つ吐き出した。




「I must already go, Willow will go」

「……さよか。引き止めて悪かったな」




 ほな、と言って桜田は手を振った。

 ミナは背を向けると、再び携帯電話を取り出した。

 早足にその場を離れ、翔は小声で問い掛けた。




「大丈夫なのか? 何なんだ、あいつ」

「味方だよ。少なくとも、今は」




 やっぱり、日本語話せるんじゃないか。

 不穏なことを言っているが、自分が出る幕じゃない。




「あの依頼人は、自殺したのか?」




 ミナは考えるように空を見上げていた。




「拘置所の警備は厳重だ。毒を持ち込むことは難しい。もしもそれが警察内部の人間じゃないのなら」




 ミナの目がすがめられる。

 まるで、射抜くような眼光だった。




「殺し屋、じゃないかな」




 殺し屋――。

 立花の他にも、殺し屋が暗躍したというのだろうか。


 ミナはポケットから携帯電話を取り出した。三次元的な地図上に赤い印が高速で移動している。ウィローだろう。やはり、発信機を付けていたのだ。




「……この国は変だね」




 唐突に、ミナは言った。




「隣人への興味はほとんどないのに、遠くの人には下世話で、無礼だ。ドブに転がり落ちる人を見れば指を差して攻撃し、同情はするのに手を差し伸べはしない。それなのに、多くの人は自分を善人だと信じている」




 ミナは機嫌が悪そうだった。

 その口調は突き放すように冷たく、透明な眼差しには苛立ちが浮かんでいる。




「殺し屋を生み出したのは富裕層の打算や政治の腐敗じゃなくて、無関心な民間人だ。殺し屋が暗躍するなんて普通じゃない。でも、誰もそれに気が付かない」




 分かっている。

 この国の人は他人に無関心なのに、批判しても良い人身御供ひとみごくうを見付けると急に群れを作って攻撃を始める。


 転がり落ちるのは容易なのに、一度でも転落すればい上がることは酷く困難だ。無関心な他人は通り過ぎ、遠い世界の人は嘲笑あざわらって石を投げる。


 この世は理不尽で不条理で、欠陥だらけの欠陥品そのものなのだ。


 高梁も依頼人も死んだ。社会は法の下で守られ、人々は自分を正義と信じ、殺し屋は跳梁跋扈ちょうりょうばっこする。


 その中で、この子供だけが異端だった。




「……行いは必ず返って来るって言っていたな。それは、お前自身も?」




 翔には確信があった。

 警察にデータを流したのは、ミナだ。

 彼女が死ぬ前日に翔は彼に代わって郵便を出した。他の可能性を精査出来る程の情報を翔は持ち合わせていない。


 確信はあるが、確証はない。




「I don't know Japanese」




 ミナは綺麗な笑顔で答えた。

 分かっていた。問い掛けてもミナは答えないだろうし、翔にはその答えに見合うだけの報酬を支払えない。


 ミナは携帯電話をポケットに押し込むと、空を見上げながら何かを口ずさんだ。聞き覚えはあるけれど、思い出せない。何処か懐かしい鼻歌だった。




「スーパーに寄って帰ろう?」




 ミナは穏やかに微笑んでいる。


 彼の正体を知る度に、その人物像から遠去かる。それはまるで、砂漠に浮かぶ蜃気楼しんきろうのようだった。

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