第37話 束の間(表)

 




 最近、ナナさんと地華君の仲が良い。

 不自然なほど良い。

 仲が良いに越したことはないんだけど、呉に着いてもまだ自力で……歩くことはたぶんできるんだろうけど、軍医長の全治三ヶ月という診断結果に従った僕が歩くことを禁止しているナナさんが、地華君にもたれ掛かって髪を梳かされてる光景が不思議でしょうがない。


 「お前さぁ、もうちょっと身嗜みだしなみを気にしろよ。女だろ?」

 「地華がやってくれりゃあええじゃない」

 「ええじゃないってお前……オレがいない時はどうすんだよ」

 「歌にやってもらう」

 「オレも歌もいない時は?」

 「小吉にやってもらう」

 

 はい、喜んで。

 と、言いたいところだけど、生憎あいにくと僕は忙しい。

 仮住まいとして提供された呉鎮守府の司令長官官舎の庭先で、朝は動けないナナさんに代わって天音君にしごかれる沖田君を観賞する程度の余裕があるけど、もう少ししたら工廠のお偉いさんたちと会議&会議さ。

 内容はもちろん、工廠の規模縮小について。

 もっとも工廠のお偉いさんたちは、今は軍人ではなく民間人。しかも、戦後の不安定な状況をビジネスチャンスとらえている野心家たちだ。

 なので工廠を兵器工場ではなく、例えば商用船舶やその他諸々を作る工場として一新しようと考えているようだから規模の縮小自体は問題ない。

 問題が有るとすれば雇用。

 例えば軍艦を造るのとタンカーを造るのとでは、必要な材料と人員の数が違ってくる。

 その溢れた人たちをどうするかが、呉海軍工廠の規模を縮小する上で最も重要かつ、難関……だった。


 「まさか、ここで富岡君に助けられるとは思ってなかったなぁ」


 彼が日本に持ち込んだジーンズ。

 これを作業服ではなく私服として大々的に売り出し、その工場を各地に建てる案が意外なほどすんなり通った。

 本来の歴史では、今から約10年後の1956年くらいから輸入販売が開始されたはずだけど、今世では受託生産ではなく最初から純国産として作り、売り出す計画が進み始めている。

 まあ、その立役者となったのは地華君なんだけどね。


 「今思い出しても、お偉いさんたちの興奮っぷりは笑えるなぁ」


 体のラインをこれでもかと強調するジーンズは、地華君のスタイルの良さも相まって大好評だった。

 本来の歴史では、女性がジーンズを穿き始めるのは1970年代だったはずだけど、今の調子だとかなり前倒しされそうだ。

 いやむしろ、女性が穿くのが普通で、男性に普及するのが後になるかもしれないくらいの勢いだ。


 「地華さんって、意外と身嗜みに気を使ってますよね。肌とか、赤ちゃんみたいにスベスベでモチモチ。ねぇ、小吉お兄ちゃん。こう言うのって、何て言うんだっけ?」

 「女子力が高い」

 「そう、それ!地華さんって、見た目の割に女子力が高いです!」


 歌ちゃん、見た目の割にが余計。

 だけど、地華君は気にしてないようで「それほどでもねぇよ」と言って照れてる。

 ちなみに、意外なことに、見るからに身嗜みを気にしてそうな天音君はナナさん並みにズボラ。

 髪を地華君に梳かしてもらうのは当たり前だし、無駄毛処理までしてもらってるんだとか。


 「姉ちゃんがあんなだから、いつの間にかこうなっちまったんだよ」

 

 とは、ナナさんの髪を梳かし終わった地華君のお言葉です。

 ん?今度は正面に回って、ナナさんの足を揉み始めたな。


 「触った感じ、だいぶ治ってるっぽいけどまだ痛むか?」

 「痛みはないけど、小吉が動くなって言うけぇ動かん」

 「あっそ。うちの秘薬も飲んでるし、ナナ自身の自己治癒力も高いっぽいから、もう一週間も安静にすりゃあ普通にしても問題はねぇと思うんだけど……」


 と、言いながら地華君は僕に視線を移した。

 それにつられて、ナナさんと歌ちゃんも。

 これは、許可してやってくれってことかな?

 龍見家に伝わる治療法を疑う訳じゃないんだけど、こちとら根っからの現代人なわけで、民間療法に近い龍見家の治療法を信じきれてないんだよねぇ。

 だって草とか虫とかをすり潰して丸めた物を飲ましたり、患部を押したり伸ばしたりしてただけなんだよ?

 

 「じゃあ、一週間後にお医者さんに診てもらおう。その結果が良ければ、命令は解除ってことでどう?」

 「あたしはええよ。地華は?」

 「うちの治療法を信用してくれてねぇのは悔しいけど、大将がそれで納得してくれるなら良い」

 

 おっと、地華君が少し不貞腐れてしまった。

 でも、今の医療は戦争のせいもあってそれ以前よりも進んでいるから、昔ながらの民間療法よりも信頼性が高いのは事実。

 でも、実践と経験に裏打ちされた龍見家の治療法を疑う訳じゃない。

 だから、フォローくらいはしておくか。

 

 「そうだ。ちょうどその日に、ジーンズの宣伝用写真を撮ることになってるから、その帰りに夕飯でもどう?」

 「……オレが決めた店で良いなら」

 「うん、かまわないよ。なんせ、その日の主役は地華君だから」

 「ん?ちょっと待ってくれ大将。オレの写真を撮んのか?」

 「そうだよ?」

 「ちょっ、ええ……。写真ってアレだろ?撮られたら魂が吸いとられるとか言う……」

 「いや、迷信だからそれ」


 いつの時代の人間だよ。

 そんなことを言うから、龍見家の治療法を信用しきれないんだよ。

 と、言おうものなら余計に不貞腐れてしまいそうだな。

  

 「あ、小吉お兄ちゃん。ついでに、みんなで写真を撮ったりできない?」

 「できると思うよ。撮るかい?」

 「うん!撮りたい!」

 「わかった。じゃあ、みんなで撮ろう」


 思い出作りにもなるしね。

 あ、ちなみに「ねえ地華。写真って魂が吸われるん?」「らしいぜ?婆ちゃんがそう言ってた」なんて時代遅れな会話をしている二人は無視して沖田君と天音君の方を見てみたけど……。


 「沖田さん、そろそろ休憩にしませんか?」

 「まだまだぁ!もう一本!」


 こっちはこっちで、沖田君が暑苦しい。

 汗で透けたYシャツも、女性が着てたら魅惑的だけど男が着てたら不快なだけ。

 もう一時間近くやってるんだから、天音君が言う通り休憩すれば良いのに。

 

 「ねえ地華。ジュウゾウってなんで一本も取れんの?」

 「なあ?不思議だよな」

 

 いや、実力差が有りすぎるからじゃない?

 使ってるのは二人とも木刀だけど、天音君の本来の得物は男でも振るのに一苦労する大太刀。

 それと比べたらはるかに軽い木刀を使ってる天音君は、汗一つかいてない。

 

 「白い方も地華も、一人じゃ大して強ぉないよね?」

 「んなこたぁねぇよ。と、言いたいとこだが、一人じゃ沖田の旦那とどっこいだな」

 

 んなアホな。

 だったらどうして、沖田君は打たれまくって満身創痍になって、天音君は余裕綽々なんだろう?


 「じゃあ、なんで沖田さんは滅多打ちにされてるの?」

 「なんだ歌。気になんのか?」

 「うん、少し」

 

 僕も気になってたから、ナイス質問だ歌ちゃん。


 「遠子龍見流ってのは、二人一組で戦うのが大前提でよ。だから、一人で戦うのを想定してねぇんだ」

 「どういうこと?」

 「つまりな?技を出せば、大なり小なり隙が生まれる。その隙を互いに補いあって、隙を生まず大勢を相手に戦い続けるのが遠子龍見流の本領なんだ」

 「え~っと、だから一人になると、隙を補ってくれる人がいなくなるから……」

 「そこを突かれやすくなる。オレと姉ちゃんも、二人でなら術なしのナナより強ぇけど、一人だと一瞬で負けちまうだろうな」


 なるほど。

 沖田君が一本取れない理由はわからないままだけど、遠子龍見流の弱点と、地華君が思っていたより謙虚だってことはわかった。


 「白い方は大技を出したあと半歩引いて、小技を出したあとは逆に半歩踏み込んじょるねぇ。地華は、アレの逆なん?」

 「正解。オレと姉ちゃんじゃ領域が違うから、どうしてもそうなっちまうんだけどな」

 「領域って何?」

 「何て言えばいっかなぁ。敵の動きを感知できる範囲って言えば良いのか?オレは槍も届かねぇほど遠くにいる奴の動きを、例え真後ろにいたって敏感に感知できんだけど、槍の間合いの内側に入られると途端に鈍感になっちまう。姉ちゃんはその逆だな」


 ふむふむ。

 聞いた限りだと、領域は一人一人だとナナさんの厄除けの下位互換。

 二人揃って初めて同等って感じか。

 

 「沖田の旦那が一本取れねぇのは、姉ちゃんが女だから首から上を打つのを遠慮してんのと、単純に踏み込みが足りねぇからだ」

 「ん?でも地華君、天音君は君の逆で、相手との距離が近ければ近いほど相手の動きを敏感に察知できるんだろう?踏み込んじゃうと、逆に駄目なんじゃない?」

 「小吉、地華の話をちゃんと聞いちょった?」

 「え?僕、何か変なこと言った?」


 言ったんだろうな。

 ナナさんだけでなく、地華君まで呆れたような目をして僕を見てる。 

 キョトンって擬音が聞こえそうなくらい、不思議そうな顔で首を傾げてる歌ちゃんが僕にとっては唯一の救いだよ。


 「白い方は一旦離れたり近づいたりする癖がある。じゃけぇ、領域の外でその隙ができる瞬間を待って打ち込みゃあええだけじゃないね」

 「えっと、ナナはすごく簡単そうに言ってるけど……小吉お兄ちゃんはできる?」

 「無理無理。ナナさんや地華君は隙だらけみたいに言ってるけど、僕程度じゃ見つけられない……」


 と、言いつつ三人から目をそらして沖田君と天音君の方を見てみたら、僕たちの会話が聞こえてたのか沖田君は「なるほど」と言いながらニヤリとし、天音君は「余計なことを」と言いたそうな顔をしてナナさんと地華君を睨んでた。


 「で、では、休憩にしましょうか」

 「いやいや天音殿。休憩したら、せっかく温まった体が冷えてしまう。なので、このままもう一本」

 「いえ、私は疲れてしまいましたので……」

 「汗一つかいてないのに?」


 どうやら、形勢が逆転したようだ。

 今まで滅多打ちにされた恨みを晴らそうとしている沖田君に対し、弱点や癖を暴露された天音君は及び腰になっている。

 そんな二人を見ていたら……。

 

 「ねぇ、小吉」


 と、ナナさんに呼ばれたから振り向いたら、ナナさんは楽しそうに微笑んでいた。

 本当に、表情が豊かになってきてるな。

 心なしか声にも感情がこもってるように思える。


 「なんかええね。こう言うの」

 「そうだね。楽しい?」

 「うん、楽しいと思う。こんな日がずっと続けば良いのにって、思うよ」


 若干、殺伐としてるけどね。

 とは、ツッコメなかった。

 それはたぶん、僕も非日常の最中に不意に訪れる束の間の日常を、ナナさんと同じように楽しいと感じているからだと思う。

 

 

 

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