第22話 交渉(裏)

 



 大きな音で意識を引き戻されたあたりからだったかな。

 少しづつ、気分と体調が良くなってきた。

 小吉が「じゃあ僕と一緒に、死んでくれる?」と聞いてくる頃には、答えられる程度に頭もハッキリしていた。

 龍見の片割れが「この人を婿にしよう!」とかほざいた頃には、「小吉はあたしとレンアイ結婚するんだから、駄目に決まってるでしょ」と、頭の中でツッコむくらいはできるようになっていた。


 「沖田君。偵察機と、直接連絡は取れるかい?」

 「残念ながら、この電話は大和艦橋との直通回線ですので、一度大和を経由する必要があります」

 「そうだったね。じゃあ大和経由で偵察機に、敵集団を玄関前の広場に殺さずに誘導するよう伝えさせて。機銃くらいは、積んでるだろう?」

 「了解です」

 「ああそれと、巫女服を着た女性は味方だから、絶対に傷つけないようにと、注意もしといてね」


 なんだか、急に騒がしくなって来たわね。

 龍見姉妹が得物を持って出て行ってから小吉とジュウゾウも忙しそうにしてるし、もしかして襲撃でもされてるのかしら。

 だったらあたしの出番だけど、体調は良くなっているとは言え、まだ戦えるほどじゃない。

 でも、あたしが戦わないと小吉が……。


 「ナナさんは、ここで休んでてね」

 「え? 嫌じゃ……。置いてけぼりにせんといて……」


 死んじゃうのに、小吉はあたしを置いていこうとしてる。

 あたしは小吉の護衛なのに。

 あたしは小吉を護るためにいるのに、小吉は置いていこうとしてる。

 どうして?

 もしかして、あたしが体調を崩したから?

 殺すくらいしかできないあたしが、殺さなきゃいけない場面で役に立たないから、置いて行くの?

 嫌だ。

 それは嫌。

 小吉に置いて行かれたくない。

 小吉と離れたくない。

 小吉と一緒にいたい。

 なのに、小吉は……。


 「大丈夫。すぐに戻って来るから」


 そう言い残して、小吉はジュウゾウと一緒に出て行ってしまった。

 心地よかった小吉の膝枕が、無くなった。

 小吉の匂いが遠ざかっていく。

 小吉の気配が、殺気が渦巻いている方に消えていく。

 誰だ。

 あたしから小吉を奪ったのは誰だ。

 龍見姉妹か?

 いいや、違う。

 龍見姉妹は、殺気を撒き散らしている奴らと戦っている。

 じゃあ、あたしから小吉を奪ったのは、龍見姉妹と戦っている奴らか。


 「殺して……やる」

 

 さっきまで、吸い取られるように抜け出ていた殺意が、抜けた分を取り戻すかのようにちていく。

 それに呼応するように、身体にも力が満ちていく。

 小吉はあたしのだ。

 あたしが殺すんだ。

 小吉を奪おうとする奴は、誰であろうと殺してやる。

 

 「……いつもより、よぉ見える」


 龍見姉妹と似たような気配が30。

 コイツらは、大して移動していない。

 それらに向けられた殺気が11。

 コイツらは、少しづつこっちに近づいてる。

 たぶん、移動してない30がコイツらを誘導してるんでしょう。

 そして、龍見姉妹と戦っている奴らが12。

 玄関から5間も離れていない位置で、大立ち回りをしてる。

 この屋敷の裏から回り込もうとしてる奴が1。

 コイツには、あたし以外は気づいてないっぽいわね。

 空にも一つ気配があるけど、何をしてるかまではさすがに見えないか。

 それらを見渡せる位置、玄関を出た辺りに、小吉とジュウゾウの気配。

 どうも、龍見姉妹とその一派と、共闘してるっぽいわ。 

 

 「敵は24。回り込もうとしちょる奴以外を一ヶ所に集めて、一網打尽にするつもりじゃね。じゃったら……」


 あたしが殺ってやる。

 今のあたしなら、殺陣だって使える気がする。

 敵だけ斬るなんて細かい調整ができるかどうかはわからないけど、龍見家はあたしの敵だから別に構わないか。

 最悪、小吉だけ生きてれば良い。

 他がどうなろうと、知ったことか。

 と、考え、短刀を抜き、殺意を解き放つ準備をしながら玄関から出ると、小吉の背中が視界に飛び込んできた。

 いや、小吉の背中で、世界が塗り潰された。

 小吉の背中って、こんなに大きかったっけ?


 「やあ、ナナさん。体調はもう良いのかい?」

 

 あたしに気づいて振り向いた小吉は、いつもの笑顔だった。

 あたしを無条件で安心させてくれる、いつもの小吉だった。

 なのに、存在感が違う。

 死線が飛び交ってるのに、小吉は意に介していない。

 敵は隙あらば小吉を狙おうとしているのに、小吉は堂々と、矢面に身をさらしている。


 「起きたんなら手伝え小鬼!」

 「そうです。うちの畳で寝かしてあげたんですから、その分くらいは働いてください」


 龍見姉妹が何か言ってたけど、あたしの頭は意味を理解しなかった。

 あんな奴らに割く力は勿体ない。

 あたしは、小吉だけを見ていたい。

 小吉の声だけを、聴いていたい。

 なのに、周りが五月蝿うるさすぎる。

 龍見姉妹の得物が奏でる風切り音も、銃声も、敵の声も、飛行機のエンジン音も、全てが邪魔。

 あたしが小吉を感じるのを邪魔する全部が、憎くて憎くて仕方がない。

 もう、殺してしまおうかしら。


 「ナナさん」


 あ、小吉が、あたしに話しかけてくれた。

 もしかして、全員殺せって言うつもりかしら。

 だったら……うん、良いよ。

 殺ったげる。

 今のあたしはすこぶる調子が良いの。

 いつもより遠くまで気配を感知できるし、今までで一番、殺意も研ぎ澄まされてる。

 今のあたしなら、父様や兄様にだって負けない。


 「敵のみを、狩場で拘束して。できるよね?」


 え? そんなことで良いの?

 殺さなくて良いの?

 殺せるんだよ?

 できたことはないけど、今のあたしなら殺陣が使える。使える自信がある。

 なのに、狩場で良いの?

 そりゃあ、いつもより広範囲に狩場を展開できるわよ?

 でも、それじゃあ小吉の敵は減らないのよ?


 「殺さんで……ええの?」

 「うん。殺しちゃ駄目」

 「どうして?」

 「僕にとって、彼らが必要だからさ」


 敵が、必要?

 なんで、敵が必要なんだろう。

 あたしよりも必要なの?

 もしかして、愛想がないあたしに嫌気がさしたの?

 大事な時に動けなかったあたしに、見切りをつけたの?

 だから、あたしの代わりにあいつらを雇うつもりなの?


 「違う。君は僕にとって最も大切な人だ。だから、そんなに悲しそうな顔をしないで?」


 言われて顔に触れてみたら、あたしの顔が歪んでた。

 頬が強張ってた。

 唇が震えてた。

 視界がボヤけてると思ったら、目から水が流れてた。

 あたしの顔が、表情を作ってた。


 「小吉は、あたしを捨てない?」

 「捨てるわけないじゃないか。どうして、そう思ったんだい?」

 「だって小吉は、敵が必要だって……殺さんでええって……。あたし、殺すしかできんのに」

 

 小吉の姿が見えない。

 ぬぐっても拭っても目から水が出るせいで、小吉をまともに見れない。

 身体がこんなになったのが初めてで、どうしたら治まるのかがわからない。

 

 「わからん! 小吉がわからん! あたしがわからん! あたしは殺すしかできんのに、なんで殺すなって言うん! なんで、目から水が出るん! なんで……!」


 こんなに、感情が制御できないの?

 ずっとやってきたのに。

 感情を抑え込んで生きてきたのに、小吉と会ってからそれが難しくなった。

 ここに来てから、それがもっと酷くなった。

 溢れ出る感情に引っ張られて、身体の制御も利かなくなった。

 そんな、初めての状態に混乱してたあたしを、小吉は優しく抱き締めてくれた。

 胸に、顔を埋めさせてくれた。


 「大丈夫。落ち着いて、深呼吸しよう。深呼吸、わかるよね?」

 「わか……らん」

 「そっか。じゃあ、僕の真似をして」


 言い終えるなり小吉は、胸を膨らませながら、大きく息を吸い込んで一拍置いて吐き出した。

 あたしも真似をしたら、「そうそう、その調子」と言って、頭を撫でてくれた。

 呼吸の拍子をあわせると、小吉と一つになれたような気がして、胸の奥から温かくなった。


 「落ち着いたかな?」

 「うん……少し」


 何度か繰り返したら、あたしの頭は冷静さを取り戻していた。

 感情も、ちゃんと制御できてる。


 「狩場で拘束すりゃあ、ええんじゃね?」

 「うん。お願いするよ。ナナさん」

 「任せちょいて」


 あたしは小吉から離れて、龍見姉妹の方へ歩き始めた。

 もっと長く小吉に抱き締められていたかったけど、今は小吉のお願いを叶えてあげたい欲の方が強い。

 欲が薄いはずのあたしが、欲望に忠実になっている。


 「あ、そうだ。ナナさん」

 「何?」


 さあ、やることをやってしまおうと思ったら、小吉に呼び止められた。

 なんだろう?

 やっぱり殺してって、言うつもりかしら。


 「泣き顔も魅力的だったけど、次は笑顔が見てみたいな」

 「笑顔?」


 あたしの笑顔なんか見て、小吉は何が面白いんだろう。

 そもそも、できるかどうかもわからないし。

 でも、小吉が見たいって言うなら、見せてあげたいと思う。

 今は無理だけど……。


 「そのうち……ね」


 と、答えて、再び小吉に背を向けたあたしの目尻は下がり、頬は弛んでた。

 あたしはたぶん、この時笑ってたんだと思う。

 

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