第20話 邂逅(裏)

 




 気分が悪い。

 小吉にその気はなかったとは言え龍見家、その本家と思われる場所に連れて来られたのと、やたらと飛び回ってる飛行機の音のせいもあるんでしょうけど、純粋に気分が悪い。

 龍見姉妹と名乗った二人が隠れてた鳥居を潜ってからは、体にまで影響が出始めたわ。

 さらに母屋と思わしき家屋かおくの門とでも言わんばかりに立ってた二つ目の鳥居を潜ると、気分も体調も一層悪くなった。

 あたしの中から、何かが抜けて行ってる気さえする。

 今はまだ我慢できてるし、小吉やジュウゾウにも気取られていないけど、このまま母屋に入ったら、最悪動けなくなるかもしれない。


 「随分と、気分が悪そうだなぁ。暮石の小鬼」

 「べつに」

 「そうかぁ? 今にも倒れそうなくらい、顔が真っ青だぜ?」


 龍見姉妹の口が悪い方が、母屋に入るなりそう言ったせいで、小吉とジュウゾウに気づかれた。

 顔色が変わるくらい、あたしの体調は悪くなってるのか。玄関でこれじゃあ、奥に行けば予想通り動けなくなるかも。


 「ナナさん、無理は良くない。沖田君もいるし、車で休んでいた方が……」

 「嫌じゃ」

 「でも……」

 「絶対に嫌じゃ」


 ジュウゾウは刀を持ってるし、たぶん懐に拳銃も隠してる。でも、何やら大荷物を背負ってるじゃない。

 そんな状態のジュウゾウじゃあ、小吉を守りきれない。

 いえ、そもそも龍見相手じゃ、ジュウゾウじゃあ相手にならないはず。

 だって、暮石流呪殺法を創始したばかりの頃とは言え、ご先祖様が三人がかりで、一人殺すのがやっとだった奴らよ?

 あたしが片手間にあしらえる程度のジュウゾウじゃあ、数秒ももたないでしょ。


 「大人しく、ご主人様の言うことを聞いといた方が良いぜ? 奥に行けば行くほど、結界は強くなるからなぁ」

 「結界?」

 「ああ、お前ら暮石の天敵である、瓶落水からみの結界さ」


 なるほど、それであたしだけ体調を崩したのね、

 でも、うちに天敵がいるって話は初耳だわ。

 もしかして、あたしが聞かされてないだけ? は、後回しで良い。

 

 「結界に籠らにゃいけんちゃあ、龍見は臆病なんじゃねぇ。うちが怖ぁて、瓶落水に結界を張ってもろぉたんか?」

 「なんだと? 足元もおぼつかない奴が、随分と強気じゃねぇか」

 「強気になる必要もないじゃろ。引きこもりの相手なんぞ、ジュウゾウでもお釣りがくるくらいじゃわ」

 「上等だよ小鬼。ここで、その毛の生えた心臓を貫いてやる」


 おっと、挑発しすぎた。

 口が悪い方は槍の穂先をあたしに定めて、いつでも突ける体勢。

 対するあたしは、自分が立ってるのかどうかも認識できないほど、意識が朦朧としてる。

 当然、死線も見えないわ。

 

 「そこまでにしなさい地華。うちの廊下を、けがらわしい小鬼の血で汚す気ですか」

 「でも、姉ちゃん!」

 「聞き分けなさい。今日は我が家にとっても転機になるかもしれないのです。なのに、小鬼風情にかかずらって話自体が無くなっては、父上の苦労が水の泡になるでしょう?」

 「チッ、わかったよ。父ちゃんを出されたら引くしかねぇ。命拾いしたな、小鬼」


 小鬼小鬼とやかましい。

 あたしを呼びたきゃ名前を呼べ。

 そうすれば、最低限の礼儀をもって接してあげるから……って、そういえばあたし、コイツらに名乗ってないんだっけ。


 「着いたようだよ、ナナさん。座れるかい?」

 「う、うん……」


 着いた? 何処に?

 ああ、大広間か。

 いつの間にここまで来たんだろう。

 口が悪い方と少し揉めた後から今までの記憶が曖昧で、自分がどうやってここまで来たのかが思い出せないし、どうして小吉に身体を支えられているのかもわからない。


 「では、改めまして。現龍見家当主、姉の天音と……」

 「妹の地華だ。アンタが父ちゃんが言ってた、油屋小吉で間違いねぇな?」

 「ああ、僕が油屋小吉だ。どうやら、僕が辰見少将を通して君たちにアポイントを取るのは、そちらの計画だったと考えて良いようだね」

 「ええ、相違ありません。父上から将来有望な若者がいると聞いて、不自然じゃない程度に取り入ってもらいました」

 「なるほど。僕はまんまと、君たちの計画に嵌められたわけだ。おっと、話を続ける前に……」


 話が全く頭に入ってこない。

 もしかして、耳が聴こえてない?

 いや、何を言ってるかはわからないけど小吉の声は聴こえるから、耳が駄目になったわけじゃないみたい。

 駄目になったのは、あたしの頭の方か。

 でも、我慢しなきゃ。

 気持ち悪いのも、頭が痛いのも、胃の中身を全部吐き出してしまいそうなほどの嘔吐感も我慢して、せめて状況だけでも把握しておかなきゃ、いざと言う時に動けない。

 え~っと、ジュウゾウはあたしの後ろで、龍見姉妹はあたしの前に並んで座ってる。

 小吉は……あれ?

 小吉はどこ?

 前にも後ろにもいない。左にもいない。

 じゃあ、右?

 あ、これは小吉の腿だ。

 たぶん、胡座あぐらを組んでる。

 そして頭の左側が温かくなったと思ったら、小吉の右腿が近づいてきた。

 

 「僕の膝枕じゃあ寝心地が悪いだろうけど、少しは楽になったかな?」

 「たぶん……」


 膝枕って、何だっけ。

 ああ、これか。

 この、頭が触れてる場所から全身に伝わる、この温かさが膝枕か。

 この温かさに身を委ねていると、何もかも忘れて眠りたくなってしまう。

 熟睡なんてしたことがないあたしが、深い眠りの心地よさを思い出そうとしている。


 「熱々じゃねぇか油屋の大将。そんなに、その小鬼が大切かい?」

 「ああ、大切だよ。だから、腹が立っている」

 「小鬼をそんなにされてか? 言っとくが、結界は暮石に対する防御策だ。それをとやかく言われる謂れは……」

 「勘違いしないでくれ地華君。僕が腹を立てているのは君たちにではなく、迂闊だった僕自身だ」


 小吉が怒ってる。

 他は何も、身体の感覚さえ希薄なのに、小吉の怒りだけはハッキリと感じる。

 でも、不思議。

 怒りは憎悪や殺意に繋がる、始まりの悪感情。

 なのに、嫌じゃない。

 ずっと感じていたいと思うほど、小吉の怒りは気持ちいい。


 「一つ、確認しておきたいんだけど、君たちが二つの名字を使い分けているのは何故だい? もしかして、暮石への対抗策の一つかな?」

 「おっしゃる通りです。ちなみに、我が家と暮石の関係については……」

 「昔、先祖同士が殺し合ったことくらいしか知らない。辰見の方は差し詰め、余所行き用の名字ってところかな?」

 「その通り。暮石は自分にも他人にも興味がないせいか、字が違う程度で対象を判別できなくなるんです」

 「その、一族の特徴を突いたような対抗策は、瓶落水から教わったのかい?」

 「ええ。暮石と瓶落水は、元が同じ一族だったため似通った特徴がありますので」

 「元が、同じ?」

 「あら、それはご存じなかったのですか? 暮石と瓶落水の創始者は、とある一族の兄弟だったそうです」


 なんだか、難しい話をしている気がする。

 暮石の名前も何回か聞こえたから、あたしの話をしているのかしら。

 それなら少し気になるけど、眠気が酷くなってるからうまく聞き取れない。


 「興味深い話だ。何故、二つに別れたんだい?」

 「私も詳しくは存じませんが、暮石が扱う術を極めるために、暮石家の初代は弟以外の一族を皆殺しにして出奔しゅっぽんしたそうです」

 「皆殺しに? 瓶落水は、暮石の天敵なんだろう?」

 「瓶落水の者から聞いた限りですと、瓶落水に伝わっている……と、言うより、残されていた術が、暮石が扱う術と対を成していたそうです。呪詛に対しての呪詛返し、とでも言えば良いのでしょうか」

 「なるほど、要はカウンターか」

 「ええ。瓶落水の術の前では、暮石の術は効果が激減。この家のように結界を張れば、暮石の者は力を吸われて、身動き一つ取れなくなるようです」

 「ようです? まるで、今まで知らなかったかのような言い方だね」

 「あなたに膝枕をされて気持ち良さそうにしている小鬼を見るまで、ここに暮石の者が来たことがありませんでしたから半信半疑だったんです。そもそも、術やまじないなどというモノの存在自体、今日まで信じていませんでした」

 「龍見家には、例えば暮石家に伝わっているような術はないのかい?」

 「先祖代々伝わっている武術はあります」

 「それで、君たちの先祖は暮石の人間を三人も撃退したと?」

 「ええ、そう聞いています」

 「にわかには信じがたいな。暮石の力は常識外れだ。それを、武術程度で対抗できるのかい?」


 話が長い。

 それに、相変わらず飛行機の音はうるさいし、頭がまともに働かないせいで内容が全くわからない話は耳障りでしかない。

 眠気も益々酷くなってるから、いっそこのまま寝ちゃおうかしら。

 ああでも、それだと小吉の声が聞こえなくなっちゃうなぁ……。


 「油屋の大将よぉ。そりゃあちょっとばかし、馬鹿にし過ぎじゃないかい? ご先祖様の片方がやられたのは暮石を甘く見すぎてたからであって、それがなけりゃあ暮石なんか敵じゃねぇよ」

 「へえ、そんなに、龍見家に伝わってる武術は凄いのかい?」

 「ああ、凄いさ。オレらが使う遠子龍見流とおこたつみりゅうの秘技の前じゃあ、暮石どころか軍隊だって敵じゃねぇ」

 「それは言い過ぎよ、地華。精々、陸軍の一個中隊程度です」

 「そりゃあ恐ろしい。なら、君たちを相手にするには、それ以上の戦力が必要な訳だね」

 「そうなるが……うちと敵対する気か? 父ちゃんからは、うちの傘下に入るって聞いたが?」

 「傘下? 冗談にしては、笑えないな」


 小吉の怒りの炎が、規模はそのままに静かになった。

 小吉って、こういう怒り方もできたんだね。


 「傘下に入るのは君たちの方だ。僕はここに、君たちを服従させに来たんだよ」

 「それこそ笑えない冗談だなぁ、油屋の大将。小鬼がそんな様なのに、オレらに喧嘩を売ろうってのかい?」

 「喧嘩? そんな程度の低い認識じゃあ困る。僕がやろうと……いや、やっているのは戦争だ」

 「では、龍見家と争うと?」

 「おいおい、君たち、耳の掃除はしてるのかい? 僕は君たちを、服従させに来たと言ったんだ」


 小吉の怒りをはらんだ声は心地良い。

 心地良すぎて、あたしは本格的に寝そうになっていた。

 なのに、あと少しで眠れそうだったのに、聞いたこともないほど巨大な、空間そのものが震えたんじゃないかとも思える巨大な二つの音で、あたしの意識は無理矢理引き戻された。

 

 

 

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