第18話 修羅場(裏)

 




 春は嫌い。

 花や木、虫や動物、そして人が、抑圧して溜め込んでいた活力を解放するように騒ぎ始めるこの季節が、あたしは大嫌い……だった。

 でも、今年は違った。

 太陽に照らされた風が暖かくなるように、あたしの心も温かくなっていった。

 小吉と出会う前は真冬のように冷えきっていたあたしの心が、草花が芽吹くようにはしゃぎ、冬眠から覚めた動物がかてを得ようと走り始めるように猛った。

 小吉と出会って、あたしの心に春が来た。

 はずだったのに……。



 「……」

 「……」


 小吉が自動車から降りるなり、「お帰りなさい! お兄ぃ~ちゃん♪」と、ほざいて抱きついた子供が、あたしの心の春を奪った。

 あたしの心を、一瞬で凍てつかせた。

 

 「どけ、クソガキ。宿に入れんじゃろうが」

 「あら、お客様は小吉お兄ちゃんとお付きが一人と、伺っていますが?」


 今日ほど、表情が作れず声に感情を乗せることができない自分が、歯痒いと思ったことはない。

 あたしが少し、仮縫いにも届かないほど少ない殺意でも解放すれば、この子供を黙らせられる。

 でも何故か、それじゃあ負けな気がする。

 鬼のような形相で、獅子の咆哮ほうこうのような怒声で圧倒しなければ、あたしの勝ちにはならない気がしてる。


 「油屋大将、あなたって人は……」


 落ち着くのよナナ。

 鼻血を逆流させて吐血した小吉を抱き抱えているジュウゾウは無視。

 今は、目の前の敵の情報を得て、少しでも優位に立たなければ。


 「小吉。このガキは何ね」

 「え~っと、その子は……」

 「ガキガキと失礼でしょ。この、方言丸出しの田舎者が」


 田舎者とは失礼な。

 いえ、確かにあたしは田舎者。

 自然が豊かで災害が少ないこと以外は特筆すべき事がない、正真正銘の田舎生まれで田舎育ちのあたしは、この子が言う通り田舎者。

 それは認めてあげるわ。

 でも、それはアンタだって同じでしょ?

 何も無いじゃない。

 温泉街から離れてるここは、小吉が言うには知る人ぞ知る秘湯らしいけど、その代償に何もない。

 これなら、あたしの地元のほうがよほど物も人も有るわ……は、ひとまず置いといて。


 「ガキをガキ呼ばわりして何が悪いんね」

 「またガキって言った! 言っときますけどね、私はこれでも大人なの!」


 どこが?

 背は、高いほうじゃないあたしよりさらに低いし、身体に凹凸おうとつもない。

 スカートをはいてなかったら、男の子と見間違えてたかもしれないくらいの子供じゃない。

 それとも、その成りであたしよりも歳上だって……。


 「私は小吉お兄ちゃんと寝たことがあるの。朝まで過ごしたんだから!」


 言うつもり? かと思ってたら、訳のわからないことを言い出した。

 小吉と寝たら大人?

 朝まで一緒に過ごしたら、大人になるの?

 なんて疑問に思うほど、あたしは子供じゃない。

 つまりコイツは、暗に小吉とまぐわったと言ってる訳……ね!?

 え? 本当なの? 小吉。

 本当に、あたしでも恐れをなしたあの凶悪なモノをこの子に捩じ込んだの!? と、言うが如く小吉に視線を移したけど、「何の話?」と、言わんばかりにポカーンとしていた小吉は……。


 「あの日のお兄ちゃんは、獣でした」

 「やってない! 僕は無実だ!」


 と、子供が言ったことを否定するように叫んだけど、本当?

 子供の方は顔を赤らめて恥ずかしそうにしてるわよ……とか思ってたら、また女が出てきた。

 しかも、着物姿。

 彼女が出てきた途端に、小吉は「助かった」とでも思ってるように、安心しちゃったけど……誰?


 「歌」

 「は、はい!」


 たった一言で、子供が大人しくなったってことは、この女は子供の母親か。

 このまま、客であるあたしを田舎者呼ばわりした失礼な子供に説教でもする……。

 

 「もっと足を出しなさいと言ったでしょう。そんなんじゃあ、いくら小吉さんが幼女趣味でも落とせませんよ?」

 「すみませんお母様。でも、これ以上短くするには切るしか……」

 「じゃあ切りなさい。いえ、いっそ脱ぎなさい。そうすれば、小吉さんは盛りのついた猿にように飛び付いてくれるでしょう」


 わけないか。

 でも、落とすってのが、よくわからない。

 母親が言った通り、小吉が幼女趣味なら、子供がスカートを脱いだら天にも昇る気持ちでしょうよ。

 だから、落とすじゃなくて昇らせるが正しいんじゃない?


 「ところで、小吉さん」

 「は、はい。なんでしょうか」

 「そこのお嬢さんは、小吉さんとはどういったご関係で? うちの放蕩ほうとう息子は、二人を同部屋にしてくれと言ってましたが?」


 そこのお嬢さんって……あ、あたしのことか。

 どういう関係もなにも、あたしは小吉の護衛。

 それ以上でもそれ以下でも……ない。

 うん、ない。

 なんだか嫌な気分になったけど、それは子供の物言いにムカついてるからね。


 「まあ、千歩譲って同部屋は良いでしょう。小吉さんも男性ですから、摘まみ食いしたくなることもあるでしょうし」


 摘まみ食い云々はよくわからないけど、小吉と同じ部屋になるのはありがたい。

 だって、わざわざ小吉の部屋まで移動する手間が省けるんだもの。

 ああでも、小吉は毎朝困ったようにあたしを見るし、こういう時くらいは一人にさせてあげた方が良いのかしら。

 いやでも、それだとあたしが落ち着かない。

 小吉に我慢しろと言われたらするけど、そうでないならしたくはないわね。


 「歌。あなたを専属の世話係にしますから、これからの一ヶ月で確実に落としなさい。手段は問いません」

 「はい! お母様! 絶対に、お兄ちゃんを落としてみせます!」


 だから、どこに落とすの?

 もしかしてこの二人、小吉をどこかから落として殺そうとしてるの? だったらあたしの敵だから、ここで殺っちゃうわよ?

 

 「油屋大将に尽くして苦節五年。ようやく、ようやく油屋大将にも本格的に春が……くっ!」


 ジュウゾウはジュウゾウで、相変わらず訳わかんない事を言ってるわね。

 何が「……くっ!」よ。

 何に感極まったのよ。

 と、子供のせいで無駄に溜まってしまった鬱憤うっぷんを、脳内でジュウゾウを5~6回ぶっ殺して我慢してたあたしは、「あなたはこっちに来て」と言う子供に連れられて風呂場に来てた。

 どうして、あたしだけ風呂に?

 しかも、なんでアンタは服を脱ぎ始めたの?


 「何してるの? 入るわよ」

 「嫌じゃ。小吉のところに行く」

 「あなたと腹を割って話したいことがあるのよ。だから、少しだけ付き合って」


 腹を割ったら死ぬでしょ。

 とは言わない。

 いくらあたしでも、それが本音で話そうって意味だってことくらいは知ってる。

 でも、あたしと何を話すの?

 あたしとアンタが出会ったのは、ついさっきよ?


 「田舎者は察しが悪いわね。小吉お兄ちゃんのことで、あなたと話をつけておきたいのよ」


 なるほど、小吉絡みか。

 だったら、話さないわけにはいかないわね。

 

 「ちょ、ちょっと! 服くらい脱ぎなさいよ!」

 「なんで?」

 「なんでって……。お風呂に入るからに決まってるでしょ! 頭おかしいんじゃない!?」


 いや、おかしいのはそっちでしょ。

 どうして話をするのに、風呂に入る必要があるのよ。

 あたしは入るつもりがないから、アンタは遠慮せずに入りなさいな。


 「良いから脱げ! 腹を割って話す時は、お風呂で裸の付き合いをしながらが普通なの!」

 「そうなん?」

 「そうよ! だって、猛お兄ちゃんがそう言ってたんだから!」


 いや、それって出鱈目を吹き込まれてるんじゃない?

 少なくともあたしは聞いたことない……けど、あたしの知識は片寄ってるから当てにはならないか。

 だったら、ここは従うとしましょう。

 たしか、郷に入っては郷に従えって言葉があったはずだし。


 「髪の毛くらい、結ってから入りなさいよ」


 だから従って入ったのに、今度は髪に文句をつけてきた。

 まあ、お湯に髪の毛が揺らめいたり肌に貼り付いたりして鬱陶しいと言えば鬱陶しいけど、アンタに迷惑はかけてないから良いじゃない。

 まるで、小さいジュウゾウと一緒にいるみたいだわ。


 「いちいちうるさいねぇ。アンタ、猛おじ様の妹じゃのぉて、ジュウゾウの妹なんじゃない?」

 「あなたがうるさく言わせるんでしょうが!」


 ほら、やっぱりだ。

 いつかのジュウゾウと同じ台詞を言ってるじゃない。


 「いちゃもんつけちょらんと、さっさと話とやらをしてくれん? 長湯はあんまり得意じゃないんよ」

 「ああそう、じゃあ直球で行くわ。あなた、小吉お兄ちゃんとどういう関係?」

 「あたしは、小吉の護衛」

 「護衛……ね。その割には、小吉お兄ちゃんが私の言葉でデレデレになってるのを見て、妬いてたじゃない」

 「焼いていた? あたしは、何も焼いちゃおらんよ?」

 「それ、本気で言ってないわよね? ボケただけよね?」


 ボケたとは失礼な。

 あたしはいつだって本気だし、真剣よ。

 でも、この子があたしをボケた呼ばわりしたってことは、ヤイタは焼いたじゃなくて別のヤイタ。

 あたしが知ってる限りだと、当てはまるのは妬いたくらい。

 つまり、この子はあたしが……。


 「アンタに嫉妬しちょった。って、言いたいんか?」

 「そうとしか、見えなかったけど?」

 「それはおかしい」

 「どうして?」

 「あたしが、育ちのせいで感情を表に出せんけぇよ」


  だから、仮にあたしが嫉妬していたとしても、この子にわかるはずがない。

 ずっと一緒に暮らしてた父様や兄様でも、あたしが何を考えてるかわからなかったんだから。


 「あのねぇ。いくら無表情で台詞が棒読みだからって、あれだけ敵愾心てきがいしんをむき出しにされたらわかるわよ」

 「むき出し? あたしが、感情を?」


 あり得ない。

 たしかに、小吉と出会ってからあたしの感情は不安定よ。

 でも、こんな子供に悟られるほど、制御に支障をきたしているわけじゃない。

 それなのに、この子はあたしの感情を察知して、それに応じた態度を取ったって言うの?

 そんなの……。


 「信じられない。って、思ってる?」

 「ええ、どうやって、あたしの心を読んだ?」

 「簡単よ。あなたと私は同じだもの」

 「同じ?」


 あたしと、この子供が?

 じゃあこの子も、あたしみたいな歪んだ環境で育ったの? あたしが知らなかっただけで、大和家も暮石と同じくらい異常な家系だったの?


 「ええ、同じ。私は小吉お兄ちゃんが好き。そしてあなたも、小吉お兄ちゃんに恋してる。だから、わかるのよ。あなたは同じ人に恋い焦がれる、私の恋敵なんだから」

 

 そっか。

 ジュウゾウが前に言った通り、やっぱりあたしは小吉にコイしてたのね。

 それを、会って早々敵になったこの子に再認識させられるなんて、なんとも皮肉な話だわ。


 「小吉お兄ちゃんの、どこが好きなの? 見た目? それとも、地位や財産かしら」

 「どれでもない。強いて言うなら、在り方かねぇ」

 「在り方?」

 「そう。上手くは言えんけど、小吉は、強くて優しいから」


 あたしは、小吉のことを少ししか知らない。

 あたしと出会う前に何をしてきたのか、これから何をしようとしているのかも知らない。

 でも、優しい人だと言うことはわかるし、あたしよりも心が強いのもわかる。

 あたしは厄除けの扱いが上手いおかげか、人の感情の機微には敏感なんだけど、きっとそれがなくても、あの人のことならわかる気がする。


 「へぇ、見る目があるじゃない。田舎者のクセに」

 「アンタこそ、その成りで大したもんじゃないね」

 

 この子と話して、玄関先で言ってた『落とす』の意味がようやくわかった。

 以前、ジュウゾウが言ってたことに当てはめるなら、この子は小吉をコイに落とそうとしている。

 自分に、コイさせようとしている。

 いや、少し違うのかしら。

 この子は小吉とのコイに、とっくに落ちてる。

 だから小吉を、同じ場所まで落とそうとしてるんだわ。

 小吉に嫌われてるんじゃないかと不安になってばかりのあたしより、この子の方がよほど小吉のことを想ってるじゃない。

 でも……。


 「名前、教えて」

 「私の?」

 「そう、アンタの名前」


 不思議な気分。

 あたしは初めて、心の底から負けたくないと思ってる。

 それなのに、この子は小吉を巡って争う敵なのに、何故か親しみも感じてる。仲良くなれたらとも思ってる。

 それだけじゃない。

 あたしは家族と小吉以外の人間を顔だけで判別できないのに、この子の顔をすでに覚えてる。

   

 「私は大和 歌。あなたは?」

 「暮石 七郎次。ナナでええよ」

 「うん、わかったわ。ナナ」


 そう言って歌は右手を差し出し、あたしは何の抵抗もなく握り返した。

 敵なのに憎くなく、敵なのに殺したくないと思った、コイ敵の右手を。

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