第16話 日常(裏)
小吉と暮らすようになって、あっという間に二ヶ月が過ぎた。
山の木々や町並みにまだ変化は見られないけど、あたしは自分でもわかるくらい色々と変わったわ。
見えるところで一番変わったのは、人との会話が増えたことかしら。
ここで暮らし始めるまで、あたしは他人と意識して話さなかった。
家族とすら、必要最低限の会話しかしなかったわ。
まあそれは、父様が無口だってのもあるし、兄様の言うことが理解できなかったってのもあるんだけどね。
でも、ここの人たちとはそうじゃない。
ジュウゾウとは小吉絡みで毎日のように口喧嘩をするし、松は世間話……いや、これは松が一方的に喋るだけか。するし、「油屋家の嫁に
まあ、逃げてるけど。
でも、最初みたいに猫を被って標準語ではなく、素で話せるようになったわ。
ただ、それらと反比例するように、小吉との会話は減ってるのが何より寂しいし、悲しい。
それが、見えない部分で一番変わったところ。
あたしは、それまで人を寄せ付けなかったし、寄ろうともしなかったのに、小吉に対しては真逆のことをしている。
最たる例が……。
「ナナさん。いい加減、僕の布団に潜り込むのはやめてくれないかい?」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃあ……」
これ。
あたしは毎晩、小吉が寝たのを見計らって布団に潜り込んでいる。
小吉の匂いや体温、鼓動を感じたくて、家の中でも服を着ろって言いつけを破ってまで、全身で小吉を感じてるわ。
起きた時の反応が面白いってのも、あるけどね。
「ナナさんってさ。下着、持ってないの?」
「下着って、何?」
今日は下着について言及してきたか。
いや、知ってるのよ?
確かにあたしんちの教育は片寄ってるから、一般常識に疎いところが多々ある。
でもさすがに、着たことはないけど下着くらいは知ってるわ。
なのに知らないふりをしたのは、そう言えば小吉がおかしな事を言うかもしれないって、猛おじ様に以前言われたから。
「下着、買いに行く?」
「いらん」
「いや、要るよ。必要だし重要だよ」
いやいや、要らないでしょ。
だって、動きにくくなるじゃない。
本当なら、服も着たくないのよ?
それでも服を着てるのは、家族と小吉以外には極力肌を見せたくないから。
だから、ジュウゾウや他の軍人さんたちがこの家で寝起きするようになってからは、家の中でも服を着てるの。
だってあの人たちは、寝泊まりしているだけだから住んでる訳じゃない。
故に、家族じゃないもの。
ああでも、小吉からの贈り物なら、貰うのはやぶさかじゃないか。
「じゃあ、小吉が選んで。小吉が選んだ下着なら……着る」
「うん。うん?」
え? どうして不思議がるの?
あたしじゃあ、どんな下着を買えば良いのかわからないから、小吉に選んでって言ったのよ?
だから、小吉が選んだ下着ならどんな物でも着ける。
例え小吉が、猛おじ様が危惧していた通り……、
「ふんどしとか……どう?」
って、言い出しても……って、ええ!?
本当にふんどしって言ったわこの人。
いやそりゃあ、別に変なことではないのよ?
ふんどしは下着として普通だけど、猛おじ様が言うには変態でもない限り、小吉は女にふんどしをつけろとは言わないはず。
なのに、あたしにふんどしをつけろって言ったってことは、小吉は変態なの?
あ、べつに変態でもあたしは良いのよ?
仮に小吉が、特殊な嗜好を満たすためにふんどしをつけろって言ったんだとしても……。
「小吉がつけろって言うなら……」
つけても良い。
でも、猛おじ様が言ったことも気になる。
さっきも言ったけど、ふんどしは下着として普通。
地元の近所の女連中も、ふんどしや
なのに、女にふんどしをつけろって言ったら変態?
どうして……あ、もしかして小吉は、ふんどしその物が好きなのかしら。
ふんどしを眺めたりニオイを嗅いだり舐めたり口に含んだりするのが好きなのなら、猛おじ様が言った通り……。
「小吉って、やっぱり変態なんじゃね」
「なんで、そうなるの?」
「なんでって……。猛おじ様が、小吉があたしにふんどしをつけろって言ったら変態だって……」
言ってたんだもん。
だからそう言ったのに、小吉はそれでへそを曲げたのか、不自然に尻を後ろに突き出した格好のまま、部屋から出ていった。
その反応が不思議でしょうがなかったあたしは……。
「どう思う? ジュウゾウ。小吉はやっぱ、変態なんかねぇ」
「変態……呼ばわりされて……はぁはぁ、喜ぶ男がいるか馬鹿者」
朝食後の腹ごなしついでの稽古の最中に、大の字に寝転んで息を整えようとしているジュウゾウに聞いてみた。
やっぱり、思いやりの欠片もないあたしの言葉で、小吉はへそを曲げちゃったのか。
「あたし、小吉に嫌われるような事ばっかり言うちょるね」
「それはそうだが、少しは稽古に集中してくれないか?」
「え? 無理」
今も電話で誰か……たぶん、猛おじ様だと思うんだけど。と、話してる小吉の方が気がかりだもの。
稽古を始めて二ヶ月経ってるのに、いまだに木刀を振り切ることもできないジュウゾウなんて片手間で十分。
実際、あたしがジュウゾウを殴りまくってるのは適当に拾った木の枝だしね。
「お前は油屋中将……いや、もう大将か。の、ことをどう思ってるんだ?」
「どう……とは?」
「好きなのか。と、聞いているんだ。お前は一応、今時の若者なのに恋の一つも知らないのか?」
「コイ? コイって……」
何?
もしかして、魚の鯉?
あれは臭みが強くて毒もあるから、ちゃんと調理しないと病気になるって聞いたことがあるから食べたことがない。
どうして小吉を好いてるかって話で、鯉が出てきたんだろう。
「暮石家が特殊なのはこの二ヶ月で嫌と言うほど思い知ったが、まさか恋も知らないとは……」
「知っちょるよ? 魚じゃろ?」
「字が違う。こう、なんと言うか。お前は油屋大将と話したり触れたりしたいと思わないか?」
「思うよ? 今も」
「それが恋だ。お前は自覚がないだけで、油屋大将に惚れているんだ」
ちょっと何言ってるかわかんない。
確かにジュウゾウが言った通り、あたしは小吉ともっと話したいし、触れたいし触れてほしい。
だから、毎晩布団に潜り込んでるんだしね。
でも、それがコイとか言うモノなのかどうかは疑問。
だってあたしがやってることは、暇さえあればあたしの身体をベタベタと触っていた、兄様の真似なんだもの。
「お前は、油屋大将が嫌いか?」
「嫌いなわけないじゃないね。嫌いじゃったら、とっくの昔に殺しちょる」
「極端だなお前は! ん? と、言うことは、俺のことも嫌ってはいないと言うわけか?」
「ジュウゾウはうるさいから嫌い」
「だが、殺してないじゃないか」
「殺すほど嫌いじゃないってだけ」
あんまりしつこいと
は、冗談として。
ジュウゾウが言ったコイが、小吉と話したり触れ合いたいと思う気持ちのことなら、あたしは小吉にコイをしてるんだと言える。
でもそれだと、兄様もあたしにコイしてるってことにならない?
コイする気持ちは、兄妹同士でも生まれる感情なのかしら。
「ジュウゾウは、コイしたことがあるん?」
「そりゃあ、あるさ。俺と女房は恋愛結婚だからな」
「レンアイ? それも、コイと同じなん?」
「少し違う。これは俺の解釈だが、恋とは相手を強く求める気持ちだ。それに安心感や信頼感が加わると、愛に変わる。いや、昇華される。恋愛とは、その二つを一纏めにした言葉だよ」
あたしは小吉を求めてる。
だから、あたしのこの気持ちはコイ。
でも、小吉に嫌われると思うと気が気じゃない。安心できない。
だから、あたしの気持ちはアイに達していない。
そう考えると、理解できる気がする。
するけれど、何か腑に落ちない。違和感がある。
それはどうして?
こんな気持ちになるのが、初めてだから?
それとも、そもそもあたしには、理解できない感情なのかしら。
「まあ、そのうちわかるさ。お前の言葉を借りるなら、恋とは習うものじゃなくて、落ちるものだからな」
「コイに……落ちる?」
落ちたら死ぬんじゃない?
いやでも、ジュウゾウもコイをしたことがあるって言ってたから、落ちたのよね?
なのに生きてるから、落ちても死なない高さから落ちるのかしら。
「お前、何か勘違いしてないか?」
「しちょらん。ジュウゾウがコロコロ言い方を変えるけぇ、訳わからんくなったんよ」
「そりゃあ申し訳ない。じゃあ気分転換代わりに、稽古を再開するか?」
「うん、ええよ」
それからしばらく、ジュウゾウが動かなくなるまで稽古を続けた。
続けたけど……ジュウゾウが弱すぎて、悩みは解消されなかった。
いえ、悩みすぎて不安に変わった。
だってジュウゾウは、レンアイ結婚したって言ってた。
と、言うことはよ?
あたしのコイがアイに変わったら、小吉と結婚することになるのよね?
それはつまり、あたしのこの手で小吉を殺すことと同じ。
小吉との子を生み、
何故なら肉親は、憎しみを植え付けるのに最も適した
実際、兄様は母様が死んでからおかしくなったし、あたしもそれ以来感情を表に出せなくなった。
母様を無惨に殺した父様を恨むあまり、胸の内に鬼が生まれた。
過去四代に渡って、暮石家が繰り返してきた儀式を受けて、あたしは暮石の小鬼になった。
そしてたぶん、あたしが当主になったら同じことをする。
子供にあたしと同じ思いをさせたくないなんて、何故か考えられない。
やらなきゃいけない。
時期が来たら子供の目の前で、小吉を
そうしなければならないと、あたしは思ってる。
きっとこれは、暮石の人間の本能。
もしくは、呪い。
あたしはきっと、暮石の業からは逃れられないし、そうしようとも考えられない。
そんな自分が、殺したいほど嫌いなのに……。
「
あたしは何の気なしに、我が家に伝わる唄を口ずさんでいた。
小吉を殺したくなんてないのに、このままこの感情が育ってしまえば殺すことになってしまうと不安になっていたのに、唄が終わる頃には落ち着いていた。
もし、あたしのコイがアイに変わったら、彼を殺してあたしも死のう。
そう、考えていた。
考えたら、不安は無くなった。
いえむしろ、楽しみになってきた。
だって彼と一緒に死ぬことが、あたしにはとても素敵なことだと、思えてしまったんだから。
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