第15話 日常(表)

 


 ナナさんが来てから、僕の日常は著しく変化した。

 まずは職場環境。

 学生服の他に服を持っていないナナさんを海軍省に連れて行くわけにはいかないから、仕事場を自宅に移したし、周辺の警備をさせるために一般人に変装させた海兵も配置した。

 まあ、ここは大した問題じゃあない。

 問題は私生活。

 特に……。


 「ナナさん。いい加減、僕の布団に潜り込むのはやめてくれないかい?」

 「どうして?」

 「どうしてって……」


 裸だから。

 そりゃあ、沖田君や他の海兵たちも一緒に寝起きするようになったからか、家の中では制服か寝間着用に与えた浴衣を着てくれるようになったよ?

 でも、僕の布団に潜り込む時は必ず脱ぐんだ。

 いやホント、見事な脱ぎっぷり。

 スッポンポンさ。

 しかも、しかもだよ?

 脱ぎ散らかしてあるのは浴衣だけなんだ。

 これがどういう意味かわかるかい?

 先に言った通り、僕の布団の中にいるナナさんはスッポンポン。つまり、全裸だ。

 なのに、脱ぎ散らかしてあるのは浴衣だけ。

 そう!

 つまりナナさんは、家の中では下着を着けてないんだよ!

 いや待て。

 改めて考えると、本当に家の中だけなのか?

 もしかして、外でもそうなんじゃないだろうか。

 だって松さんが洗濯物を干している時に、女性物の下着を見た覚えがないんだ。

 男の目にふれないように、松さんが違う場所に干している可能性はなくもないけど、替えと思われる学生服は普通に干していた。

 よって、下着を一枚も持ってない可能性の方が高い。


 「ナナさんってさ。下着、持ってないの?」

 「下着って、何?」


 はい、持ってません。

 下着の存在すら知りませんでした。

 え? どうすんのよこれ。

 ナナさんとの生活が始まってそろそろ二ヶ月が経つって言うのに、まだこれ程のサプライズが残ってるとは思ってなかったよ。

 しかも、このサプライズは放置しておくわけにはいかない。

 何故ならば……。


 「下着、買いに行く?」

 「いらん」

 「いや、要るよ。必要だし重要だよ」


 普段からノーパンノーブラだって知ったせいで、僕の理性が音をたてて崩壊する寸前だから。


 「じゃあ、小吉が選んで。小吉が選んだ下着なら……着る」

 「うん。うん?」


 今、何て?

 僕が選んだ下着なら着る?

 それって、僕が選んだ下着を着てくれるってことだよね?

 マジっすか!?

 僕って童貞のクセに、黒で透け透けのTバックが好きなんだけど、僕が選んだらはいてくれるの……ぉっと、落ち着け小吉。

 今が何年か思い出せ。

 今は昭和22年だぞ?

 この時代の女性下着は、下はズロースと呼ばれるトランクスの親戚みたいな物で、上はただでさえ色気が少ないスポーツブラからさらに色気を無くしたような物。

 故に、いくら探しても僕好みの下着は見つけられない。

 だがしかぁぁぁぁし!

 僕も愛用している……。


 「ふんどしとか……どう?」


 これだ!

 ふんどしなら着け方によって、前から見たら急角度のショーツにも見え、後ろから見ればTバックにも見える!

 女性に「ふんどしつけない?」とか、普通なら口にした途端に殺されても文句が言えないくらいの暴言だけど、ナナさんは僕が選んだ下着なら着ると言ってくれた。

 故に、セーフで……。

 

 「小吉がつけろって言うなら……」


 ある!

 いやぁ、言ってみるもんだなぁ。

 確か今くらいから、洋装化に早く馴染んだ若者からズロースをはき始めるんだけど、六尺ふんどしなどの昔からの下着を愛用する女性もまだいるんだよね。

 故に、ふんどしは男性用って認識が浸透してる平成の世なら「女にふんどしつけさせようとか、変態じゃないの?」と、言われかねないけど、この時代ならOK……。


 「小吉って、やっぱり変態なんじゃね」

 

 じゃないの!?

 まあ確かに、僕はスケベだよ? 押しも押されぬムッツリスケベさ。

 だけど変態じゃない。

 僕は純粋に、ナナさんの下半身のセキュリティレベルを上げるためにふんどしをお勧めしたのであって、けっしてスケベ心からではない。

 なんなら、神様に誓っても良い。


 「なんで、そうなるの?」

 「なんでって……。猛おじ様が、小吉があたしにふんどしをつけろって言ったら変態だって……」

 

 ふむ、どうやら猛君は、日に一回のナナさんによる報告時に、有ること無いこと吹き込んでいたみたいだね。

 よろしい、ならば戦争だ。

 陸軍を潰そう。

 幸いなことに現存する部隊、特に横鎮所属の部隊への命令権を持つ現横須賀鎮守府司令長官は僕のシンパ。

 だから、僕が命令すれば仇敵である陸軍を喜んで攻撃してくれるだろう。

 具体的には陸軍省だね。

 そこを艦砲射撃からの絨毯爆撃で更地にしてやる。

 と、朝の一悶着を何とかやり過ごした日の晩に、馴染みの料亭で顔を突き合わせた猛君に言ってやったら……。


 「馬鹿かお前は」

 

 と、呆れ顔で言われたよ。

 ええ、馬鹿ですが何か? と、返したら怒るだろうか。


 「いくらお前でもまさか言わないだろうと思っていたら、本当にナナにふんどしをつけさせようとするとは……。裏切られた気分だぞ」

 「そっちかよ! 陸軍省はどうでも良いのかい!?」

 「俺はとっくの昔に陸軍省を離れているからな。今さらあそこがどうなろうと知ったことか」


 ああ、そうですか。

 そうだよね。

 猛君はどうでも良いよね。

 だって君は、朝鮮戦争が終わったら退役して、本格的に政界に打って出る準備に奔走する気なんだもんね。


 「後ろ楯は決まったのかい?」

 「マッカーサーの副官の一人として来日している同志に、広田さん外、複数人が軽い刑になるよう根回ししてくれと頼んでいる」

 「広田さんって、広田弘毅ひろたこうき元総理かい? ちょっ、ちょっと待ってよ! 君、東京裁判の判決にまで干渉する気なのかい?」

 「そのつもりだが?」

 「だが? じゃない!裁判で裁かれる予定になっているA級戦犯たちは、各国の世論を納得させるために泣く泣く史実通りにした生け贄だろう? なのに干渉して予定を変えたら、他の同志たちが敵になりかねない!」

 「だが、俺が成り上がるためには必要だ」

 「相変わらず君は……!」


  やり方が強引だ。

 君が干渉して予定を変えようとしている極東国際軍事裁判。通称、東京裁判は、史実通り1946年五月三日から始まった、連合国が戦争犯罪人と指定した日本の指導者などを裁く一審制の軍事裁判だ。

 話に出てきた広田弘毅も、裁かれる者の一人。

 詳しくは割愛……と、言うより覚えてないけど、彼は他のA級戦犯たちと違って文官であり、軍部を抑えきれなかったとはいえ非戦派だった人だ。

 仮に、彼は非戦を唱えていたが、軍部の強硬な姿勢と実力行使によって、軍部を抑えきることができなかった。とでも弁護人に発言させて、さらに軍部の実力行使の証拠をでっち上げて同情を誘い、情状酌量を認めさせるよう演出すれば、彼の政治家としての地盤はさほど傷つかない……と、思う。

 そうなった彼を後ろ楯、もしくは、その一人にするのは有りだとは思う。

 思うけど、A級戦犯たちと結果は、各国の同志たちと綿密に話し合い、仕方なく史実通りにしたんだよ?

 それを、今さら……。


 「他の同志たちは、何て?」

 「六割方、俺に賛同してくれた。残りの四割も結果が俺の望む通りになれば、辻褄が合うよう動いてくれるだろう」

 「六割も……」


 なら、今さら僕がどうこう言っても変わらないか。

 変わらないけど、納得は……。


 「納得はしなくても良い。元より、お前は賛成してくれないと思ってたからな」

 「だから、僕を蚊帳の外にして根回しを?」

 「ああ、その通りだ」

 「そうかい。じゃあ、一つだけ聞かせてくれないか」

 「なんだ?」

 「ナナさんを僕の護衛につけた一番の理由は、根回しが終わるまで僕の気をそらしておくためかい?」

 「……そうだ」

 

 やっぱりか。

 確かに僕は、あちこちから命を狙われている。

 そのままナナさんを雇ってなかったら、今ごろ暮石兄妹に殺されていたかもしれない。

 だから、僕の身を心配してナナさんを護衛につけてくれたのは本当なんだろう。

 でも、それは理由の半分。

 もう半分は僕を仕事に専念させつつ、女性慣れしていない僕がナナさんの一挙手一投足で慌てふためいて、それら以外に目が向かないようにさせるためだったんだろう。


 「じゃあいつも通り、殴るよ」

 「ああ、思いっきりやれ」


 僕と猛君には、ある取り決めがある。

 取り決めなんて大仰な言い方だけど、要は殴るだけ。

 僕、もしくは猛君の行動でお互いが納得し合えなかった場合、ことを起こした方が殴られる。

 まあ、僕はいまだに、一度も殴られた事がないんだけど……。


 「……ね!」

 

 と、変な掛け声とともに、渾身の力で猛君の左頬を殴り付けた。

 うん、今回も良い具合に決まった。

 僕は殴り合いの喧嘩をした経験は少ないけど、猛君の左頬を殴った経験だけは人一倍ある。

 だから、いくら面の皮が厚い猛君でも、僕に殴られたらしばらくは立てないよ。


 「あ、相変わらず、殴り方が上手いな」

 「上手くなるほど殴らせた猛君が悪い」

 「そりゃあ、そうだ」

 「そうだ。じゃないよ。殴られれば何をしても良いと思ってない?」

 「思っているわけがないだろう。お前に殴られ過ぎて……ほら、見てみろ。左の方の歯はほとんど無くなってるんだ。顎を骨折したことだって、一度や二度じゃないんだぞ?」


 あ、本当に左の犬歯から先が、上下ともにない。

 それでいつの頃からか、殴った感触がおかしくなっていたのか。

 

 「それよりも、お前の方は順調なのか? 大将には、無事昇進出来たんだろう?」

 「海軍艦艇の件かい? 順調と言えば、順調だね」

 「その言い方だと、問題もあるみたいだな」

 「うん、それと言うのも……」


 僕が各鎮守府、各泊地の解体に先駆けて行っているのは、目に見えてわかりやすすぎる戦力である艦艇の削減。要は、解体だ。

 最低限の自衛力を保持するという名目の上で、現存する海軍艦艇の7割を解体すれば良いことになっている。

 ただし、問題が一つ。

 ある程度は、史実通りの戦闘をした方が良いのではないか。と言う各国同志達との話し合いの末に起こした海戦の一つで、大和型戦艦の二番艦、武蔵はシブヤン海海戦で沈めた。

 問題は、天皇陛下も招いて横須賀鎮守府で行われる式典後に退役する予定の、一番艦の大和。

 史実では認知度は皆無と言って過言じゃなかった大和を、今世での戦争ではプロパガンダとして利用し、沖縄戦が起きなかったせいで坊ノ岬沖海戦も起きず、沈める機会を失ってしまった。

 それどころか、ろくに戦闘も経験せずに生き残ったため、無傷で戦争を戦い抜いた奇跡の戦艦とまで呼ばれているよ。

 そのせいもあってか、大和が建造された呉を中心として、解体に反対する運動が起きてしまったんだ。


 「戦艦三笠のように、記念艦にしてはどうだ?」

 「その手もあるけど、それで得られる収入と記念艦への改修費や維持費と、釣り合いが取れるかどうか疑問なんだ」

 「ならいっそ、記念艦に改修しなければ良い。港に係留して直接乗り込めるようにすれば、工事費も安く済むはずだ」

 「そんな適当な……」

 「適当ではないさ。お前も三笠を見に行って、艤装のちゃっちさに驚いていたじゃないか」

 「だから、本物のまま観光地にしろと?」

 「そうだ。それに大和は、後々さらに有名になることがほぼ決まっている。観光地としての収入と維持費は、十二分に釣り合うと思うぞ」


 本来の歴史通りになれば。って、但し書きはつくけどね。

 でも、猛君の言うことも一理ある。

 だって大和は、海軍艦艇に興味なんてなかった僕でも知ってたくらい、平成の世では知られていたんだから。

 まあ、宇宙戦艦として、だけど。


 「じゃあ、とりあえずそう動いてみるよ。戦後間もないのに、揉め事は起こしたくないからね」

 「そうしろそうしろ。ついでに、呉を観光でもしたらどうだ?」

 「今の呉に、観光すべき所なんてあったけ?」

 「知らん」


 なら言うな。

 まったく、猛君は適当すぎる。

 僕と同じで今世の方が前世より長くなっているのに、まだ前世の感覚で物を言うんだから。


 「おっと、観光で思い出した。お前、うちの旅館に来ないか?」

 「猛君の家に? どうしてだい?」


 ちなみに猛君の今世での実家は、江戸時代から続く老舗旅館。その名も『大和旅館』。

 初めて聞いたときは、もうちょっと捻れよって言った記憶がある。


 「戦争直後で、泊まり客がいない」

 「だから、僕に金を落とせと?」

 「そう言うことだ。ナナと同部屋にしてやるから、遠慮せず一ヶ月くらい連泊しろ」

 「書類をまとめるくらいしかしばらく仕事はないから連泊は構わないけど、どうして、そこでナナさんが出てくるんだい?」

 「どうしてって、お前とナナは恋仲だろう?」

 「違うよ?」


 なんで、そんな話になってるの?

 たしかに、僕はナナさんに惹かれて……いや、こういう言い方は卑怯だな。

 うん、僕はナナさんに惚れてる。

 好きだ。

 だけど残念ながら、ナナさんは僕を嫌ってる……と、思う。

 僕の布団に全裸で潜り込むのは、実家での生活習慣故であって、けっして僕を好いてくれてるからじゃないし、僕の言うことを素直に聞いてくれるのは、僕が雇い主だからだ。

 そう思って行動しないと下手を打つ。

 彼女も僕を好きだと思い込んで失敗した経験は、嫌になるくらいあるんだから。


 「なら、ついでに距離を縮めると良い。幸いなことに、うちの旅館は家族風呂と謳った混浴があるしな」

 「いやいや、入らないから」

 「ああそれと、俺の妹を覚えているか?」

 「たしか、うたちゃん……だったっけ」


 フルネームは大和歌。

 文字通り、日本固有の定型詩、長歌、短歌などをさした大和歌から取られている。

 どうも大和家は、ヤマトから始まる言葉を名前につける習慣があるらしい。

 猛君なんて、ヤマタケルノ命からとられてるしね。

 で、くだんの歌ちゃんは今年で12か13になる、年の離れた彼の妹だ。

 しかも、猛君に似ず美少女。

 ハッキリ言って僕の……もとい。

 前世での僕の好みにドストライクな女の子さ。


 「あいつもお前に会いたがってる。だから、近いうちに行ってやってくれ。あそこからなら、も近い」

 「わかった。スケジュールを調整して行くよ」


 断っておくけど、好みにドストライクな歌ちゃんに会えるから、大和旅館のお世話になることを決めたわけじゃない。

 だって、僕はナナさん一筋だ。

 そのナナさんに嫌われているからと言って、会いたいと言ってくれている歌ちゃんに浮気したりはしないよ。

 当たり前だろう?

 僕は純粋に、日頃から殺し屋に狙われているストレスの解消と、苦労をかけているナナさんと沖田君も骨休みをさせてあげたいから快諾したんだ。

 けっして、よこしまな考えからではない。

 なかったんだけど……。

 この選択が、僕の日常を修羅場に変えることになるとは、この時の僕は微塵も思っていなかった。








 なんて、修羅場フラグが立たないかなぁと思いながら、猛君との会食に戻った。

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