第14話 取引(裏)

 



 小吉と出会って、もう二週間だっけ。

 まだまだ短い付き合いだけど、小吉の人となりはそれなりにわかった。

 この人は根っからの善人。

 困っている人を見たら放っておけない人。

 他人のために、自分の命を危険に晒せる人。

 病院で小吉が寝てる間にジュウゾウに聞いた話では、戦争中も誰かの代わりに傷つくことを繰り返していたらしい。

 まあそのおかげで、小吉は部下から慕われているそうよ。

 ジュウゾウも、その一人。

 何でも、乗っていた船が空襲された時に、逃げ遅れたジュウゾウを小吉が助けたんだってさ。

 そんな事を繰り返したから、小吉の身体は傷だらけなんだとか。

 以前、風呂場で見た時は傷なんて目に入らなかった……のは、アレのせいか。

 うん、間違いなくアレのせい。

 アレが凶悪過ぎて、傷が目に入らなかったんだわ。


 「その考えでいくと……」


 お? 小吉が喋った。

 小吉が家で仕事をするようになってから、あたしは小吉のそばにずっといる。

 少し動けば触れられる距離で、小吉が仕事をしているのを見るこの時間が、今のあたしにとっては一番落ち着く時間。

 稀に、声が聴きたくなって指でつついたりはするけど、それ以外は黙ってじっとしてるわ。

 なのに、ジュウゾウは……。


 「何度も言わせるな七郎次! そこにいたら、油屋中将の仕事に支障が出るだろうが!」

 「ジュウゾウこそ、何べんも言わせんでくれん? ナナって呼んでって、何べんも言ったじゃろ」

 「俺の名は源蔵だ! 何度言ったら覚えるんだ!」

 「あ~はいはい。わかったけぇ、静かにしてくれんかねジュウゾウ。アンタの声は大きいけぇ、小吉の仕事の邪魔になるじゃろうが」

 「お前が言わせているんだろうが! それと、俺は源蔵だ!」


 ジュウゾウがいちゃもんをつけてくる。

 そりゃあ、あたしだってジュウゾウの名前をちゃんと覚えてあげられない事を、悪いとは思ってるのよ?

 悪いと思ってるから、間違った覚え方だけど覚えた。

 なのにジュウゾウは、何回言ってもあたしのことを七郎次って呼ぶし、小吉本人が邪魔だって言わないのに、あたしが邪魔だって決めつける。

 ジュウゾウがそんなだから、あたしも意固地になってこの場から離れられないのよ?

 まあ、小吉に邪魔だって言われたら、あたしも素直に言うことを聞くわ。

 でも、小吉は優しい。

 優しいから、仮にあたしが邪魔でも……。


 「ナナさん。沖田君が言う通り、そこにいられると気が散るから……」


 言わないと、思ってた。

 嫌われてない限り、邪魔だと言われることはないと思ってた。

 それなのに、小吉はあたしが邪魔だと言った。

 それは、つまり……。


 「小吉は、あたしが嫌いなんか?」

 「嫌いなわけじゃないよ。ただその……」


 何よ。

 嫌いなら嫌いって、ハッキリ言ってよ。

 嫌いだって言われるのを想像するだけで、何故か心臓が張り裂けるんじゃと心配になるくらい痛むし、目頭も熱くなるけど、我慢する。

 だから、嫌いならそう言って。

 言ってくれたら、あたしはもう小吉に近寄らない。

 護衛に支障がない距離を保って、小吉には近寄らないようにするから。

 

 「油屋中将は女に慣れていない。だから、お前がそこにいるだけで気が散るんだ。これも、何度も言っただろうが」


 女に慣れてない?

 それだと、どうなるの?

 小吉は申し訳なさそうにあたしを見てるけど、女に慣れてないとこうな……。


 「おい! 聞いているのか七郎次!」

 「うるさいねぇ。わかったけぇ静かにしてくれん?」


 わかってないけど……ね?

 あれ、何か違和感が……。

 部屋に変わったところはないし、あたしやジュウゾウにも変わったところはない。

 しいて変わったと言えば……。


 「小吉。なんで体の向きが変わっちょるん? ねえジュウゾウ、小吉は前を向いちょったよね?」

 「言われてみれば、確かに……」


 小吉はさっきまで、絶対に前を向いていた。

 ジュウゾウとドアに背を向けて座っていた。

 なのに、今は逆を向いている。

 まずいと言いたげな顔をしているけど、その姿勢は無駄に偉そう。

 まるで、さっきまで誰かと話をしていたようにも見える。

 でも、それが違和感の正体だとは……。


 「ナナさん。沖田君の下の名前は源蔵だよ? いい加減、覚えてあげてよ」


 いや、今はジュウゾウの名前なんてどうでも良いけど、小吉に話しかけられるのは嬉しいから……  


 「じゃけぇ、ジュウゾウじゃろ?」


 と、返した。

 そうしたら小吉は、体ごとあたしの方を向いて……。


 「ゲ・ン・ゾ・ウ。はい、言ってみて?」


 口をゆっくり、大きく動かして、あたしに教えてくれた。

 なのに、あたしは……。


 「ジュ・ウ・ゾ・ウ」


 小吉の真似をして言ってみたけど、やっぱり覚えられない。

 どうして?

 小吉の声は聞き逃していない。

 口の動きだって、目に焼き付いてる。

 なのに、あたしの頭は言葉の意味を理解しなかったみたい。

 きっと、あたしの頭は言葉の意味よりも小吉の声を、小吉の動きの一切を残さず記憶するために、意味を理解することに力を割かなかったんでしょうね。


 「お前の頭は空っぽなのか? ゲンゾウとジュウゾウじゃあ全然違うだろうが!」


 ああ、もう。

 せっかく小吉と話せたのに、またジュウゾウが邪魔をした。


 「似たようなもんじゃないね。ジュウゾウは男のクセに細かい」

 「お前が大雑把過ぎるんだ!」


 うるさい。

 その無駄にでかい声をどうにかしないと仮縫いで黙らせ……るよ?

 あ、そうか。

 違和感の正体がわかった。


 「まあ、それはこちらも同じなんだけどね」

 「何か言うたか? 小吉」

 「いいや、何も言ってないよ」


 言った。

 確かに言った。

 こちらも同じだと、小吉は言った。

 その言葉で、確信した。

 きっと、兄様が来てた。

 あたしとジュウゾウを眠らせて、小吉と話をしていたんだわ。

 じゃないと、小吉が生きていることに説明がつかない。

 だって、いくら兄様が殺気を放った瞬間に反応できるよう、あらかじめ自分に暗示をかけていたと言っても、数瞬の遅れが出る。

 その数瞬があれば、兄様なら小吉を殺せる。

 いえ、そもそも、あたしと違って殺陣さつじんが使える兄様なら、この場にいるすべての人を一瞬で殺せたはず。

 なのに、話をしただけで帰った。

 いいや、違う。

 きっと、兄様は小吉と何か取引をしたんだわ。

 そして、その取引には……。

  

 「あたしも、関係してるんだろうな」


 と、思えた。

 何故か、少し怒ってる小吉を見てたら、そう思ってしまったの。

 小吉を問い質せば、この疑問も解消できそうだけど……。


 「少し、外の空気を吸ってくるよ」

 「では、わたくしどもも……」

 「いや、一人になりたいんだ。10分ほどで戻るから」

 「ですが……」

 「大丈夫。心配しなくても、今日は何も起きないよ」 

 

 と、ジュウゾウに言い残して、部屋を出て行ってしまった。 

 今日は何も起きない……か。

 小吉があんな言い方をしたってことは、やっぱり兄様が来てて取引なりしたってことね。


 「七郎次。気づいてるか?」

 「……ジュウゾウが気づくことに、あたしが気づかんわけないじゃろ?」

 「じゃあ、お前の兄が……」

 「来ちょった」

 「そうか」


 あら、意外。

 お前がいながら、小吉を危険な目に遭わせたのか。くらいは、言われると思ってたのに、それで終わり?

 ジュウゾウだって同じじゃろ。

 って、言い返してやるつもりだったのに、肩透かしだわ。


 「七郎次。頼みがある」

 「何? 言うちょくけど、あたしの雇い主は小吉じゃけぇ、報酬は別に貰うよ?」

 「わかっている。何が良い? 金か? 甘味か?」

 

 どうして報酬に甘味を?

 もしかして、あたしがジュウゾウと決闘する報酬に、ぷりんなんちゃらを要求したから?

 あれ? と、言うことは、ぷりんなんちゃらって甘味なの? は、取り敢えず頭の片隅にでも放り投げといて……。


 「何を、あたしに頼みたいの?」

 「人の殺し方を、教えてくれ」

 「は?」


 いや、何を言ってるの?

 ジュウゾウって軍人で、戦争にも参加してたんでしょう? なのに、人の殺し方も知らないの?


 「お前の疑問はもっともだ。だから、言い方を変えよう。人の斬り方を、教えてくれ」

 「人の斬り方なんて、教えてもらうようなことなの?」

 「お前、その反応が普通じゃないことくらいは……」

 「自覚しちょる。それでもあえて言うけど、人の斬り方なんて習うもんじゃない。慣れるもんよ」

 

 ジュウゾウの様子を見るに、これも普通の考え方じゃないんでしょうね。

 でも、あたしは間違ったことを言ったつもりはない。

 

 「素人だって、刃物を当てりゃあ人を斬れる。それくらいは……」

 「わかるさ」

 「じゃあ、斬れるじゃないね。ジュウゾウは剣道……何段じゃったか忘れたけど、素人よりは上手く斬れるじゃろ」

 「それが問題なんだ」

 「どう、問題なん?」

 「俺と初めて会った時に、お前は『道に成り下がった武』と、言ったな」

 「うん、言った」

 

 ああ、それでか。

 ジュウゾウは剣道家。

 しかも、かなりの手練れ。

 でも、ジュウゾウは人を斬るために剣道を習った訳じゃない。

 こう言ったら怒られるかもしれないけど、たぶんジュウゾウにとって剣道とは、肉体と精神を鍛練するための手段でしかない。

 だから、人を斬れない。

 そもそも竹刀の振り方じゃあ人は斬れないけど、それは大した問題じゃないの。

 要は、覚悟の問題。

 単に試合で勝つための振り方を、人を斬る振り方に変える覚悟があれば、剣道しか経験がない人でも人は斬れる。

 文字通り、振り切ればいいんだから。


 「空き時間ができた時で、ええの?」

 「ああ、かまわない。俺に可能な限り、実践形式の稽古をつけてくれ」

 「ええけど、あたしは加減なんてできんよ?」

 「むしろ、望むところだ」

 「わかった。ええよ、やっちゃげる」

 

 とは言ったけど、兄様がいつ狙って来るかわからないから、小吉にも付き合ってもらわなきゃね。

 良いって言ってくれるかなぁ。

 だってこれは、完全に依頼の範疇にないし、護衛に支障がでかねない。

 それを、小吉が了承してくれるかどうか……あ、小吉が戻って……。


 「話は聞かせてもらった。人類は滅亡する」

 「「は?」」


 来るなり変なことを口走ったもんだから、ジュウゾウと声を揃えて「は?」って言っちゃった。

 どうして、あたしがジュウゾウに稽古をつけたら人類が滅亡するんだろう。


 「一度、言ってみたかったんだ」

 「はあ、そうですか」

 「あれ? そういう話をしてたんじゃないの?」

 「どうしてわたくしが、七郎次と人類の滅亡について議論しないとならないのですか?」


 まったくその通り。

 もしかして、兄様と話したせいで頭がおかしくなったのかしら。それとも、変な暗示でもかけられた?


 「油屋中将! 折り入ってご相談が!」

 「うん、良いよ」

 「ありがとうございます!」

 

 いや、はしょりすぎじゃない?

 ジュウゾウは相談の内容を言ってないのに、どうして小吉は許可したの?

 ジュウゾウも、どうして「さすがです!」って言いたげな顔をしてるの?


 「六郎兵衛君はしばらく気にしなくていいから、空いた時間で稽古をつけてもらってよ。あ、庭を使って良いからね」

 「さすがは油屋中将。わたくしの考えなどお見通しと言うわけですね」

 「まあ、君は単純だから」


 ああ、なるほど。

 小吉はジュウゾウの考えを読んだだけか。

 たぶん小吉は、少しの違和感から兄様が来ていたとジュウゾウが気づき、あたしに稽古をつけてくれと頼むと予想して部屋を出た。 

 そして折を見て戻り、あたしとジュウゾウが話していたのを見て、予想通りになったと確信して内容も聞かずに許可を出したんでしょう。

 

 「小吉」

 「ん? なんだい? ああ、報酬の件かい?」


 あたしが、ジュウゾウに報酬を要求したことまでわかってるのか。

 大したものね。

 小吉はあたしやジュウゾウに比べたら遥かに弱いのに、あたしたちより遥かに強い。

 いえ、こう言うと正しくないわね。 

 戦ってる場所が違う……とでも、言えば良いのかしら。

 小吉は武力が無い分、知力を駆使して戦ってるのよ。

 そんな小吉を見ていたら……。


 「小吉って、格好良いね」


 自然と、そう言えた。

 何を言ってるんだ?

 って、不思議がられると思ったけど、無愛想なあたしが感情の籠ってない声で言った言葉で、小吉は「そ、そんなことないよ」と言って、照れてくれた。

 そんな小吉を見ていたら、何故か胸の奥が温かくなった。

 



 

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