第13話 取引(表)

 


 小野一等兵による……いや、ナナさんの兄である六郎兵衛が画策したと思われる襲撃から、もう二週間か。

 時間が経つのはあっという間だ。

 それどころか、年々時間が過ぎるのが早くなっている。

 こう言うのって、確かジャネーの法則って言うんだっけ。

 僕の記憶が確かなら、これは「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」という考え方で、その名の通りジャネーって人が発案した法則だ。

 要は、年を取るにつれて自分の人生における一年の比率が小さくなるから、体感として一年が短く、時間が早く過ぎると感じられるようになるんだってさ。

 

 「その考えでいくと……」


 体感的な人生の半分は二十歳前後だったかな。

 でもこれ、前世も含めると五十年近く生きている僕にも当てはまるんだろうか。

 それと言うのも、前世で十代だった頃と比べて、今世の十代は明らかに早かった。

 親の仕事を手伝ったり、学校に通って充実していたからか?

 それとも前世での二十年が加算されて、三十代の体感時間になっていたんだろうか。

 まあ、どっちでも良いから……。


 「何度も言わせるな七郎次! そこにいたら、油屋中将の仕事に支障が出るだろうが!」

 「ジュウゾウこそ、何べんも言わせんでくれん? ナナって呼んでって、何べんも言ったじゃろ」

 「俺の名は源蔵だ! 何度言ったら覚えるんだ!」

 「あ~はいはい。わかったけぇ、静かにしてくれんかねジュウゾウ。アンタの声は大きいけぇ、小吉の仕事の邪魔になるじゃろうが」

 「お前が言わせているんだろうが! それと、俺は源蔵だ!」


 早く、この時間が過ぎてくれないだろうか。

 横鎮で必要な書類を集め、沖田君以外のシンパたちに指示を出して家に戻ってからと言うもの、この二人はずっとこの調子なんだ。

 いや、仲は良いんだよ?

 沖田君がうるさく言うのは仕事中だけだし、ナナさんだって、普段はうるさく言われるほど僕にくっついたりしない。

 だから、二人ともいい加減にやめて。

 僕は色々な手続き関係の書類をまとめるので忙しいんだから。


 「ナナさん。沖田君が言う通り、そこにいられると気が散るから……」

 「小吉は、あたしが嫌いなんか?」

 「嫌いなわけじゃないよ。ただその……」


 僕の書斎の机、その左角で、組んで枕代わりにした腕に左頬を預けた様は大変可愛らしい。

 表情があれば、僕は正気を失ってルパンダイブをしていたかもしれないくらい魅力的だ。

 でもやめて。

 見てるだけで何をしてくるわけでもないんだけど……。

 

 「油屋中将は女に慣れていない。だから、お前がそこにいるだけで気が散るんだ。これも、何度も言っただろうが」


 そういうこと。

 僕は女性に対する免疫がない。

 故に、ナナさんが真横で僕を見ているだけで、僕は簡単に平静を保てなくなるんだ。

 いや、嬉しいんだよ?

 襲撃の件で嫌われてしまったと思ってたナナさんが、僕の真横を陣取るばかりか、たまに「相手をしてくれ」と言ってるかの如く、指でツンツンしてくれるのは嬉しいんだよ? 嬉しいんだけど、さっきも言った通り僕は仕事中。

 だからここは、心を鬼にし……て?

 なんだか、急に静かになったな。

 ナナさんは元から静かだけど、寝落ちしたのか目蓋を閉じている。

 僕の横で寝ようものなら、沖田君が烈火の如く怒るはずなのにそれもない。

 ナナさんが昼間から寝落ち? 護衛中なのに?

 しかも、それを沖田君がとがめない。

 明らかに不自然だ。

 異常事態だと言っても良い。

 ならば当然、この異常を引き起こした奴がいる。


 「いるのかい? 六郎兵衛君」

 「おや? バレていたのかい? 七郎次ほど、隠れるのは下手くそじゃないんだけどなぁ」

 「気づいちゃいなかったよ。カマをかけただけさ」


 うおぉぉぉぉ!?

 マジでいた! マジでいたよぉぉぉぉ!

 猛君の真似をしてカマをかけたら、マジで六郎兵衛がいたよぉぉぉぉ!

 と、声を大にして叫びたいけど今は我慢。

 唯一対抗できそうなナナさんが寝ちゃって大ピンチだけど、今は冷静になるんだ小吉。

 慌てず、冷静に、六郎兵衛の真意を少しでも探り出すんだ。


 「今は殺す気がない。と、思ってもいいかな?」

 「うん、良いよ」

 「そちらを向いても?」

 「構わない」

 「なら、遠慮なく」


 と、断って椅子ごと振り向いたら、黒のYシャツの上に真っ白なスーツを着込み、真っ赤なネクタイを締めた二十代前半くらいのイケメンが、スーツと同じく真っ白な中折れ帽を左手で押さえ、ドアに体重を預けてジョジョ立ちしていた。

 へぇ、ジョジョ立ちってこの時代からあったんだ……とか、殺し屋なのに派手な格好だなぁ……とか、沖田君が白目を剥いて立ったまま気絶してるなぁ……とか、嘘臭い笑顔だなぁ。なんて感想は置いといて。

 

 「取引の内容は?」

 「君って、以外とせっかちだね。殺さない理由とか、他にも色々聞くことはあるでしょ?」

 「そんなわかりきってる事は聞かないよ。時間の無駄だ」


 六郎兵衛が僕を殺さない理由は簡単。

 僕に何かしらの取引を持ち掛けようとしているからだ。そうでもなきゃ、ナナさんと沖田君を行動不能にしたのに、僕を殺さないことに説明がつかない。


 「単刀直入にいこうじゃないか。僕はこう見えて多忙なんだ」

 「あのさ。僕の気まぐれ一つで命を失うのに、どうしてそんなに強気なの?」

 「舐めるなよ、若造。僕はこれでも海軍軍人だ。死が目前に迫っている状況なんて、飽きるほど経験している。その僕が、この程度でビビるわけがないだろう。それに、君が僕を殺そうとしたら、その瞬間に君の妹が飛び起きるんじゃないかい?」


 嘘です。

 腕組みどころか足まで組んで偉そうな事を言ったけど、滅茶苦茶怖いです。彼が本当にいた時点で少しチビりました。

 でも、僕のハッタリは効果があったようだ。

 六郎兵衛はジョジョ立ちをやめて、それだけで人を殺せそうなほど鋭い視線を、僕に向けている。

 

 「なるほど……ね。そんな君だから、七郎次があんなになってしまったのか」

 「ナナさん? 彼女が、どうしたって言うんだい?」

 「独り言だから、気にしなくてもいいよ。じゃあさっそく、取引といこうじゃないか」


 さあ、ここからが本番だ。

 正直に言うと、彼が何を取引したいのかなんて全く予想がつかない。

 陸軍の待遇が悪いから、海軍に鞍替えさせてくれ。とでも言う気か?

 それとも、妹と争いたくないから、僕に軍縮を諦めろとでも言うつもりなのだろうか。


 「七郎次を人にしてくれ。それができたら、僕は依頼をなかった事にしよう」

 「……意味がわからないな。彼女は、歴とした人間だよ?」

 「人間? 七郎次が? おいおいおいおい、失望させないでくれよ小吉。七郎次はもちろん、僕だって人とは呼べない。人の皮を被った人でなしだ」


 なるほど……ね。

 つまり彼は、ナナさんを普通の人みたいに、泣いたり怒ったり笑ったりできるようにしてほしい訳だ。

 それができたら、依頼人を殺害でもして依頼をなかったことにしてくれるんだろう。

 でも、真意が分からない。

 ナナさんを人らしくしてくれと言ったのは、彼が妹想いだからか? それとも、それが暮石家にとって必要な事だからなのか?

 

 「僕はね、小吉。暮石家の悲願を成就させたいんだ。この、僕の手でね」

 「暮石家の……悲願? それはいったい……」

 

 何だ?

 某有名ゲームみたいに、術を極めて根源にでも至りたいのだろうか。

 そのために、ナナさんを人らしくする必要があると?


 「とう様は七郎次を出来損ないと言っているけど、僕はそう思ってない。七郎次こそ、悲願を成就させるために最も重要な要素だと、僕は考えている」

 「それは、どうしてだい?」

 「七郎次が、女だからさ」

 「やはり、意味がわからないな。彼女に子供でも生ませるつもりかい?」

 「ああ、そのつもりさ。七郎次には、僕の子を産んでもらう」


 おっと?

 冗談で言ったら、とんでもない爆弾発言が飛び出したぞ。

 まあ、気持ちはわからなくもない。

 だって、ナナさんは美人だ。

 もういくつか歳を重ねれば同性ですら誘惑してしまう色気を帯びて、誰もが平伏したくなるような美女になるだろう。

 そんな彼女の血縁と言うだけで、彼は不幸だと言えるかもしれない。

 でも近親相姦は、殺人と食人に並ぶ、人類の三大タブーの一つだよ?

 僕も、直接ではないにしろ、その一つを犯している。

 だから、彼がさらにもう一つタブーを犯したって責める権利はない。

 ないけれど、賛成も協力もしたくはない。

 

 「ちなみに、断ったら?」

 「君と親しい者を、順番に殺していく」

 「なるほど。つまりこれは、取引ではなく脅迫って訳だ」

 「取引だよ。ちゃんと、交換条件を言っただろう?」


 六郎兵衛は、暮石家の悲願とやらを叶えるために、ナナさんとの子を望んでいる。

 でも、そのためにはナナさんを人らしくする必要があり、それを僕ができると思っているようだ。

 故に彼は、僕を殺せない。

 殺さないのではなく、殺せない。

 そうでなければ、親しい者を順に殺すと脅迫までして、僕に協力させようなんてするはずがない。

 だったら、付け入る隙はある。


 「取引には合意が必要だ。残念だけど、君が依頼を反故にする程度の条件じゃあ、合意できない」

 「命が、惜しくないと言うことかい?」

 「いいや。今はまだ惜しい。でも正直、僕が死んでも軍縮は進む。そうなるように、根回しは万全だ。だから、僕の命は交換条件としては弱いんだよ」


 はい、ハッタリです。

 そんな根回しはしていないし、今はどころかもっと先まで死にたくない。

 だって僕、まだ童貞だよ?

 べつに男色家でも不能でもないのに、童貞のまま死ねるか。


 「だから、条件を一つ追加する」

 「内容による」

 「まあ、そうだろうさ。でも、安心してくれて良い。大した条件じゃないから」


 彼との取引は、ナナさんには悪いけど僕にとってはチャンス。

 何故なら常識はずれな暮石家の人間を、条件付きとは言えもう一人味方にできるのだから。


 「可能な限りで良いから、僕を殺そうとしている者の情報を教えてほしい。ああもちろん、君の依頼主については言わなくても良い。あくまで、陸軍以外の情報だ」

 「かなり労力がいる要求だね。僕個人は、この業界じゃあ新参だよ?」

 「でも、暮石家の威光は使えるだろう?」


 彼の言葉を信じるなら、現当主は彼を次期当主にする腹積もりだ。ならば当然、暮石家が培ってきたコネや情報網は、すでに彼の手中にあると考えても良いはず。

 それがどれほどの規模かはわからないけど、少なくとも小野一等兵と名乗る兵隊崩れを見つけ、殺し屋デビューさせられる程度はある。 


 「まったく、これは予想外だ。こんなことなら、小野を自爆なんてさせるんじゃなかった」

 「失敗したら自爆して、自分の口を塞げ。と、暗示をかけておいたのかい?」

 「ええ。彼の口から僕の存在が知れたら、後の仕事に支障がでかねなかったんでね」

 「だったら、自爆させたのは正解では?」

 「それはそうなんだけど……。でも彼、自分を小野一等兵だと思い込んでいた以外は問題なかったんだ。小間使にしとけばよかったと、後悔しているよ」


 小野一等兵だと思い込んでいた、だって?

 じゃあ、本人じゃなかったってことか……は、今さらどうでも良いし、確かめる術もない。

 今は、この取引を成立させるのが先だ。

 取引さえ成立させてしまえば、四六時中彼に怯える必要がなくなるし、対策を練る時間も得られる。


 「それは、取引が成立したと受け取って良いかな?」

 「かまわない。ただし、期限をもうけさせてもらう」

 「良いだろう。どれくらいだい?」

 「半年」

 「短すぎる。せめて、二年は欲しい」

 「長すぎる。最長でも一年。これが限界だ」


 正直に言うと、二年でナナさんをどうにかできる自信なんてないし、方法もわからないから二年でも短い。

 でも彼からすれば、依頼人を黙らせつつ、僕を殺そうとしている他の者の情報も集めなければならないから、二年では長いのだろう。

 だったらここは……。

 

 「わかった。僕が折れよう。その代わり、今日から一年間は……」

「小吉を殺さないし、小吉を殺そうとしている者の情報を流す。これで良いかい?」

 「ああ、取引成立だ」


 そう言って握手を求めたけど、彼は僕の手を握ってはくれなかった。

 その代わりなのか、彼は……。


 「おい! 聞いているのか七郎次!」

 「うるさいねぇ。わかったけぇ静かにしてくれん?」


 ナナさんと沖田君に、何事もなかったように会話を再開させて、姿を消した。

 まったく、恐ろしいなんてものじゃないな。

 彼と邂逅した今なら、猛君が無理をしてナナさんを僕の護衛につけたのが正解だったと思える。

 例え対抗できなくても、ナナさんが僕と出会って何かしらの変化を起こしてくれたおかげで、僕は今もこうして生きていられるんだから。


 「小吉。なんで体の向きが変わっちょるん? ねえジュウゾウ、小吉は前を向いちょったよね?」

 「言われてみれば、確かに……」


 あ、まずいなコレ。

 さっきまで意識がなかった二人からしたら僕が急に、それこそ、場面が飛んだかのような不自然さで後ろを向いたように見えてるだろう。

 遅かれ早かれ気づかれるだろうけど、少しだけ外の空気を吸いに行きたいから……。


 「ナナさん。沖田君の下の名前は源蔵だよ? いい加減、覚えてあげてよ」

 「じゃけぇ、ジュウゾウじゃろ?」

 「ゲ・ン・ゾ・ウ。はい、言ってみて?」

 「ジュ・ウ・ゾ・ウ」


 どうしてそうなるの?

 は、良いか。

 話をそらして、時間が稼げたみたいだからこれで良い。

 まあそのせいで、また沖田君とナナさんが……。


 「お前の頭は空っぽなのか? ゲンゾウとジュウゾウじゃあ全然違うだろうが!」

 「似たようなもんじゃないね。ジュウゾウは男のクセに細かい」

 「お前が大雑把過ぎるんだ!」


 と、喧嘩を再開しちゃったけどね。

 日常を再開させたのは、六郎兵衛なりの友好の証なんだろうか。

 もっとも、それでも彼に、良い感情は抱けない。

 彼の笑顔は薄っぺらだった。

 きっとアレは、表情筋を駆使して無理やり作った笑顔、仮面だ。

 さらに今回の取引で、僕がナナさんを人らしくできたら依頼をなかったことにするとは言ったけど、僕を殺さないとは言っていない。

 つまり、今の依頼を反故にして別の依頼を受けて僕を殺す可能性もあるし、依頼なんか関係なく僕を殺す可能性だってある。

 いや、そもそも、この取引は口約束。しかも、僕と彼しか知らない。

 故に、彼の気分次第で、簡単に破ることができる。


 「まあ、それはこちらも同じなんだけどね」

 「何か言うたか? 小吉」

 「いいや、何も言ってないよ」


 僕は彼との取引に応じた。

 だから可能な限り、ナナさんを人らしくする努力はする。だけど、その先は妨害するつもりだ。

 タブーがどうとか関係ない。

 ナナさんを、自分の目的のために利用しようとしている彼の性根が気に食わない。

 ナナさんを、子供を生ませるための道具くらいにしか思ってないような奴に、抱かせたくない。

 

 「いや、それは方便だな」


 僕だってナナさんを利用している。

 なのに、六郎兵衛に対して怒っているのは、きっと僕が、ナナさんに惚れているからだろう。

 そう、ナナさんのことが好きなんだ。

 だから、あんな奴に渡したくない。

 僕みたいな非モテの童貞が何をと言われるかもしれないし、ナナさんに受け入れてもらえないかもしれない。

 でも、嫌だ。

 誰に何と言われようと、ナナさんにフラれようと、アイツにだけは渡さない。

 気づいてるかい? 六郎兵衛。

 君は僕に取引を持ちかけ、成立させたとしか思っていないようだけど、僕は違う。

 僕は君に宣戦布告され、それを受諾したんだ。

 そう、これからの一年間は、ナナさんを巡って争う、僕と君との戦争なんだよ。


  



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る