第12話 困惑(裏)
困ったことになった。
これは大問題だと言ってもいいわ。
阿呆なことをした代償に、大怪我をした小吉がヨコチンの医務室に運び込まれてから早三日。
あたしはずっと、溢れ出しそうになっている感情を抑えつけるのに注力しっぱなし。
だから、じっとしてる。
小吉が寝ていた二日間も、起きてからもずぅぅぅぅ……と、お手洗いに行く時以外は椅子に座ったまま。
でも、不思議と退屈はしなかった。
寝ている小吉や、ゲン……あれ? ジュウ……だっけ? とにかく、何とかゾウと仕事の話をしている小吉や、顔を真っ赤にして身体を拭かれたり下の世話をされてる小吉を見てたら、何故か退屈しなかったの。
「あのぉ……ナナさん?」
故に、話しかけられても答えない。
いや、返せない。
だって、少しでも口を開いたら、あたしには理解できないこの感情が飛び出てしまいそうだし、反応がないあたしを見て苦笑いしたり、泣きそうになったり、落ち込んだりする小吉の反応が面白いからしない。
「ん? 誰か……」
来たわね。
覚えのあるこの気配は……猛おじ様か。
でも、変ね。
妙に殺気立ってると言うかイライラしてると言うか、とにかく心境は穏やかじゃあないみたい。
だったら、とりあえず隠れよう。
猛おじ様が小吉の敵になる可能性は低いけど、あの人は小吉と違って人を道具扱いできる人。
いくら小吉が友人だと言っても、必要なら切り捨てるでしょう。
だからあたしは、
ゲン……いや、ジュウ……もうジュウゾウでいいや。が、ドア越しに「お客様がお越しになりました」と言った声に紛れるよう、「あたしはここにはいない」と、猫の子も散らせない程度の殺意を声に乗せて呟き、気配を消した。
「どうぞ……って、猛君か」
「随分な物言いだな小吉。せっかく俺が、針のむしろになりながら見舞いに来たと言うのに」
「いまだに海軍と陸軍は仲が悪いのに、こんな所に来るからだよ。で? お見舞いって言ったくらいだから、何かしら持ってきたんだろう?」
「ああ、沖田少佐に頼まれた、小野一等兵と名乗った襲撃者の情報を持ってきた」
な~んだ。
単にヨコチンの軍人さんの態度が気に入らなかったから、猛おじ様は機嫌が悪かったのか。
猛おじ様も堪え性がないねぇ。
そんな事で警戒させないでよ。
あたしは兄様と違って、コレは あまり得意じゃないんだから。
「結論から言おう。沖縄守備軍に、小野と言う人物はいなかった」
「それ、本当かい?」
「本当さ。史実通り、存在が確認できなかった」
ん? 猛おじ様の話を聞くなり、小吉が黙り込んで何か考え始めたわね。
しかも、ほんの少しだけ、猛おじ様に敵意を向けている。
「先の襲撃。
「何故、そう思う?」
「僕たちの行き先を予想して網を張ることが出来る人物が限られているからさ。横鎮に僕が出向くのは兎も角、プリンアラモードを食べにホテル ニューグランドに行くのは沖田君とナナさん。そして両者の性格を知り、ナナさんにプリンアラモードのことを教えた君にしか予想できない」
ああ、そういうことか。
小吉って、真面目な話もできるんだ。
しょっちゅうあたしの方を見てるから、助平なことばっかり考えてるんだと思ってた……は、置いといて。
さて、小吉に襲撃の元締め呼ばわりされた猛おじ様の反応はと言うと、腕を組んで目を閉じ、椅子に体重を預けて何やら考えてる。
言い訳でも考えているのかしら。
考えるのはいいけど、早く弁明しないと腰の拳銃を抜こうとしてるジュウゾウに何かされるわよ?
当然、あたしにも。
「やられたな」
「やられた? それはどういう……」
「どうもこうもない。小野一等兵を雇った奴の目的はお前の暗殺ではなく……」
「僕たちを仲違いさせるのが目的。かい?」
仲違い?
二人を仲違いさせたら、何か得になることでもあるのかし……いや、何だか嫌な予感がしてきた。
いやいや、予感どころじゃない。
小吉と猛おじ様を仲違いさせようとした奴はたぶん、小吉と交遊関係、友好関係にある人を、小吉から遠ざけようとしたんだと思う。
小吉を襲撃した時に被害に遭わないようにするんじゃなくて、小吉が助けを求められる先をなくすために。
そんな回りくどい事をしそうな人に、あたしは残念ながら心当たりがある。
「小吉。お前の疑問を解消してやろう」
「できるのかい?」
「できる。そして、小野一等兵へ依頼した奴にも察しがついた。だが、その前に……」
猛おじ様に察しがついたってことは、あたしの嫌な予感も当たりかな。
は、良くはないけど今は良い。
どうして猛おじ様は、あたしの方を気にしてるの?
もしかして、あたしが猛おじ様の後ろで、首筋をいつでも斬れるようにしてるって気づいてる?
「俺は敵じゃない。だから、短刀をしまえ。ナナ」
「あら、気づいちょったんじゃね。さすがは猛おじ様」
「気づいていた訳じゃあない。病室に入ってもお前の姿が見えなかったから、敵かもしれん俺の首筋をいつでも斬れる準備をしてるんだろうと、カマをかけただけだ」
なんだ、カマをかけられただけか。
隠れ方が下手になったんじゃないかって、少しだけ不安になったじゃない。
でもまあ、今ので小吉とジュウゾウにもバレたから、短刀はしまって定位置に戻るとしますか。
「そして、これが答えでもある」
「答え? 僕たちがナナさんに気づけなかったのが、今回の件にどう……」
あたしの行動が答え?
と、言うことは、やっぱり兄様か。
確かに兄様なら、あたしはもちろん他の誰にも気づかれずに行動をともにするなんて朝飯前。
それどころか、今この場にいるかもしれない。
「ナナさんの兄。六郎兵衛が、小野一等兵の雇い主か」
「おそらく、そうだ。暮石家の人間に本気で隠れられたら、例え目の前にいても気づくことはできん。それこそ、殺されてもな」
「なんとも常識はずれな一族だね。でも、気配を消したくらいで、そんな事ができるのかい?」
「実際、ナナが俺の後ろにいたのに気づかなかっただろう?」
「そうだけど、納得ができないんだよ」
「だったらナナに聞け。俺は暮石の人間が使う術名と効果はある程度知っているが、詳細までは知らないんだ」
もしかして、あたしが小吉に説明する流れ?
それは面倒ね。
でも、小吉がどうしてもって言うならしてあげなくもな……え? ちょっ……小吉って、こんなに凛々しい顔立ちだったっけ? こんなにも、頼りがいのある空気を身に纏ってたっけ?
「あの、ナナさん?」
「……」
あ、思わず顔を背けちゃった。
変に思われたかしら。
でも、小吉の顔を直視できそうにない。
しようとすると、何故か顔が熱くなる。
どうして? 猛おじ様が来るまでは、小吉の顔を見ても面白いくらいにしか思わなかったのにどうして?
あたし、どうなっちゃったの?
もしかして、あたしは小吉相手に……。
「ナナ、お前まさか、照れているのか?」
「照れちょらん」
「だがお前……」
「照れちょらん。小吉の顔を見とぉないだけ」
そう、けっして照れてない。
単に、三日も小吉の顔を見続けたせいで飽きたのよ。だから、もう見たくないと思い、そう言ったの。
うん、そういうことにしておこう。
じゃないと、平静を保てそうにないわ。
「ナナ。小吉がトラウマを刺激されたのか、今にも死にそうな顔をしている。後生だから、面と向かって話をしてやってくれ」
「……」
死にそうな顔?
それは少しだけ気になるから、ちょっとだけ横目で……あ、見るんじゃなかった。
何? この気持ちは。
咄嗟に目をそらせたけど、小吉は思わず慰めてあげたくなるような顔をしてた。
大の大人が、あたしより一回りも歳上の小吉が、さっきまであたしを変な気分にさせるほど凛々しかった小吉が、今にも泣き出しそうな子供みたいな顔をしてる。
あんな顔をした小吉を見続けてたら、あたしは本当に変になってしまうかもしれない。
だから我慢して、見ないようにしなきゃいけないのに……。
「ナナ。顔が…」
「赤ぉなんかなっちょらん」
「いや、自覚があるんじゃないか」
「なっちょらん」
「だが……」
「なっちょらんって、言うちょるじゃろうがね。ちぃとしつこいんじゃない?」
小吉を見続けてしまった。
しかも、真っ直ぐ。
おかげで、猛おじ様に変な事を言われちゃったし、顔の熱も増したような気がする。
これはまずい。
顔だけじゃなく、身体まで熱くなってきたわ。
心臓なんて、かつて経験したことないほど鼓動が速くなってる。
「OKわかった。ナナさんの顔は赤くなってない。猛君も、それで良いね?」
「いや、しかしだな小吉。ナナのこれは……」
「い・い・ね?」
「う……わかった。今は
あ、また助けてくれた。
猛おじ様の追及なんて放っておいても……面倒くさいけど、放っておいてもよかったのに、小吉は助け船を出してくれた。
どうして小吉は、あたしを助けてくれるんだろう。
暗殺者なんて、小吉たちからすれば使い捨て道具でしかないはずなのに……は、ひとまずおいとこう。
まだ顔も身体も熱いけど、小吉が助けてくれたおかげで気分は落ち着いたから……。
「まずは……え~っと。ああ、そうそう。小吉にも何回か見せた柳女の説明からじゃね」
「ヤナギメ? それが、さっきのアレかい?」
よし、問題ない。
いつもの、可愛げのないあたしの声だ。
この調子を保って説明すれば、いつもの人でなしに戻れる。ナナではなく、七郎次に戻れる。
「そう。さっきのは、正確には応用じゃね。柳女は本来、気配を囮として残し、逃げたり近づいたりする術なんじゃけど、それに暗示を上乗せするとさっきみたいな事ができる」
「暗示?」
「そう、暗示。こう言っちゃあ身も蓋もないんじゃけど、暮石流呪殺法……いや、その元となった、我が家の家名の由来ともなった
「催眠術だって? それでどうやって、あんなにも常識はずれなことが……」
何故か、できるのよ。
あたしだって原理までは知らないし、興味もない。
でも、出来てしまう。
呼吸をするように、手足を動かすように、暮石の人間は
呪法を作った遠い遠いご先祖様は、何かやらかして京の都を追放された陰陽師だって父様から聞かされたから、
我がご先祖様ながら、女々しいとさえ思っちゃうくらい未練がましいわ。
でも、今の説明になってない説明でも、小吉は……。
「……理解、してくれたようじゃね」
「大まかに、だけどね。じゃあ、君のお兄さんが僕たちに気づかれずに、僕たちのすぐそばで会話を聞くことは……」
「できる。特に兄様は、柳女の使い方が抜群に上手い。『自分はここにはいない』と暗示をかけた上で気配を消しゃあ、あたしや父様ですら兄様を見つけることはできん。仮に、今この場に兄様がおってもな」
「それは……恐ろしすぎるね」
「ああ、怖い。でも安心せぇ。兄様が柳女の扱いが上手いように、あたしは厄除けの扱いが上手い。あたしの目が届く範囲におりゃあ、兄様が小吉を殺そうとした瞬間に居場所が割れる」
逆に言えば、殺そうとしない限りあたしでも見つけられないんだけどね。
まあ、これは言わなくても良いか。
言っちゃったら、小吉を無駄に不安にさせてしまうかもしれないし、あたしも、小吉の顔を見続けるのが限界みたいだから……。
「……」
再び、顔をそらした。
ええ、それはもう勢い良く、首がポキッってなっちゃうくらいの勢いでそらしたわ。
「小吉」
「ん? なんだい? 猛君」
「ようやく、春が来たな」
「いや、今が何月か知ってる? 末とは言え十一月だよ? まだ、冬になったばかりだよ?」
まぁ~た、猛おじ様が訳のわからないことを言い出した。
まぁ~た、猛おじ様が訳のわからないことを言い出した。
まぁ~た、猛おじ様が訳のわからないことを言い出した。
と、あたしは頭の中で何度も同じ台詞を繰り返して、猛おじ様の言葉の意味を理解しないようにした。
両手で両膝にかかるスカートの
なのに小吉は、あたしの努力なんて考えもせずに……。
「ナナさん」
「な、なに?」
「今のナナさんは、とても可愛いよ」
トドメを刺した。
小吉の一言は、あたしの内側で大暴れしているこの感情に拍車をかけた。
あたしの頭を、大混乱に陥れた。
あたしの身体と心を、今で経験したことがないほど、熱くした。
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