第10話 襲撃(裏)
腹減った。
腹減ったから、飯食いたい。
字余り。
と、心の中で一句詠んでしまったのは、あたしことナナちゃんです。
普段のあたしなら、少々腹が減ったくらいで一句詠んだりしないんだけど、今日は事情が少し異なる。
と、言うのも、昨日、あたしの目の前で
そのせいで、小吉に言われた通り体には一切傷をつけず、かつ何十回も殺して完勝したのに、ぷりんなんちゃらを食べることができなかったの。
「さすがに、あれはやりすぎでは?」
何が?
昨日が駄目だったから今日食べに行こうって話になって、あたしが夕飯どころか朝食も食べなかったから?
な、訳ないわね。
小吉が言ってるのはたぶん……。
「でも、術は一切使っちょらんぞ?」
昨日の決闘のことだと思って、そう返した。
そう、小吉に言われた通り、あたしは一切術を使っていない。
修行の過程で身に付いた体さばきのみで、軍人さんを殺して殺して殺しまくったわ。
10回を越えた時点で、数えるのはやめたけどね。
「アレは術とは別に、暮石家が
「いんや?あたしも兄様も、術に関すること以外は何一つ教わっちょらん」
あたしが小吉返すなり、軍人さんが「そんな馬鹿な!」と、叫んだけど、あたしは本当の事しか言っていない。
決闘の直後に、「達人級の剣道家でも、あんな動きは無理だ」とも言ってたけど、あたしに言わせればあの程度の事もできないの?って感じよ。
でもまあ、小吉も納得できてないようだから……。
「あたしが使う暮石流呪殺法の修行法は、簡単に言えば拷問なんよ。その過程で、兄様は防御がやたらと上手ぉなったし、あたしは避けるんが上手ぉなった。当たらにゃあ、どうっちゅうことないけぇね」
「いやいやいやいや……」
と、説明してあげたのに、小吉は納得するどころか冷や汗をかいた
本当なんだけどなぁ。
そもそも、暮石の人間にとって武術とは後付けのオマケ。
肉体的、精神的苦痛に耐え、恨みや憎しみなどの悪感情を表に出さず、心の内に溜め込む修業の過程で勝手に身に付くモノなの。
だからあたしや兄様はもちろん、父様だって特別な事をしているとは思っていない。
そりゃあ、素人が振る刃物と達人が振る刃物じゃあ怖さが違うように、武術を身につければ術の効果は上がるのよ?
それでも、暮石の人間にとってはオマケ以上の価値がない。
だって暮石の人間の前じゃあ、素人も達人も大差ないんだから……は、良いとして。
「それより、ぷりんはまだかいね。アンタが
「ちょっ……こら!もうすぐ着くから、シートを蹴るんじゃない!」
だから、本当に早くして。
聴こえるほどの音は出てないけど、すでにお腹が鳴ってるのよ。
空腹に耐える修行はしてるし、もう一日くらいは我慢できるけど食べられるなら早く食べたい。
だってほら、空腹だと身体の動きが鈍るから、小吉の護衛にも支障がでるかもしれないでしょう?
だからもっと速く車を走らせろ……と、車が激しく左右に揺れるのも気にせずに蹴り続けていた最中にふと小吉を見たら、車の天井を貫通して小吉の頭へと伸びる、薄い赤い線が伸びているのに気づいた。
「あれ?ナナさん、どうかしたのかい?」
間違いない。
あれは死線だ。
伸びている先にあるのは、およそ150間先の民家、その屋根ね。
どんどん色が濃くなっているから、もう十数秒で小吉の頭がどうにかなる。
「小吉」
「なんだい?」
「そこにおったら死ぬ」
「へ?」
だからあたしは、小吉の頭を胸元ヘ抱き寄せた。
その直後に、さっきまで小吉の頭があった場所の斜め上部の天井を貫通して、座席に何かがめり込んだわ。
今のはたぶん、銃撃ね。
威力的に、あのままだったら小吉の額に風穴が開いていたと思う存分。
「軍人さん」
「わかっている!緊張感がなくなるから、もう少し声を張ってくれ!」
それは無理。
と、言おうとしたけど、民家の屋根から殺し屋と思われる奴が飛び降りて、二輪車に股がったのが見えたからやめた。
あれは、追ってくる気だね。
だったら……。
「軍人さんや、適当なところに逃げてくれんか?」
「言われなくてもそうしている!お前は黙って、油屋中将の盾になっていろ!」
「あたしの身体じゃあ、銃弾なんか防げんぞ?」
「それでも無いよりはマシだ!」
そりゃあそうだ。
と、思いつつ、あたしは後ろから痛いくらい飛んでくる殺気の主を考察。
怒ってるね。
それに加えて焦っている。
たぶんアイツは、さっきの一撃で小吉を仕留めるつもりだったんじゃないかしら。
なのに失敗したから、怒って焦ってる。
だから、姿まで
殺し屋としては三流かな。
今回の仕事が初めてで、依頼主に良いところを見せて
「ナナさん。さっきの狙撃がどこからかわかるかい?」
「さっきの位置から100
それが、アイツが確実に目標を仕留められる最長距離なんだと思う。
射程だけなら、あたしよりも上ね。
あたしの最大射程は、弾斬りの30間前後。
あたしの得物を、対象が視認出来る距離が限界だもの。
「沖田君。200メートル圏内から、移動する対象の頭を撃ち抜くことができる狙撃手に心当たりは?」
「わたくしが知っている限りではいません」
へぇ……。
改めて思ったけど、やっぱり小吉は軍人なのね。
普通の人なら混乱して発狂しててもおかしくないはずなのに、小吉はあたし並み……いや、もしかしたらあたし以上に冷静で、かつ敵を分析してる。
「ごめん、ナナさん。プリンはまたの機会に」
「しゃあないねぇ。追って来ちょるみたいじゃし、今回はアイツで
殺気の距離から考えると、追い付かれるのは時間の問題外ね。
3人乗った自動車より、二輪車の方が速いみたい。
「沖田君、敵はどんな奴?」
「陸軍の物と思われる軍服姿。さらにバイクに乗って、我々を追尾しています。ゴーグルをかけているので顔は見えませんが、油屋中将がおっしゃったように狙撃兵のようです。肩に九九式短小……いや、九九式狙撃銃を担いでいます」
「たしか、猛君が……。存在しないはずの狙撃兵……か。まさか不死身の分隊長まで、僕を殺しに来たりは……」
二人の会話は半分も理解できなかったけど、今のやり取りで小吉は敵の目星ついたみたい。
これは、小吉の評価を改める必要があるわね。
助平な童貞から、助平な童貞だけどやる時はやる童貞に格上げしておこう……ん?後ろから飛んで来てた殺気の向きが変わった。
車内じゃなくて、小吉の尻の下あたりに向いたわ。と、言うことはそこを撃とうとしてる?
でも、小吉の尻の下なんか狙ってどうする……あ、そういうことか。
「うぉぉお!?」
「ちょ、ちょ、ちょ!どうした沖田君!撃たれたのかい!?」
「撃たれました!わたくしではなく、タイヤをですが!」
敵の狙いはタイヤだったか。
う~ん、これは迂闊だったわ。
あたしって、普段から
例えば、今のこの状況。
敵がもし、軍人さんを狙ったのなら狙った瞬間に忠告なり、座席ごと蹴り倒すなりできた。
でもタイヤを狙われたせいで、敵の思惑を理解するまで時間を要しちゃったのよ。
まあ、これは後の課題にするとして、良い感じに回転してるから、この回転を利用してドアを開いて外に出よう。
もちろん、ハーネスで右腿に固定している短刀を抜くのも忘れずに。
「あ、いた」
あたしが自動車から飛び降り、銃を構えようとしていた敵を牽制するために睨みをきかせ……表情は変えられないけど殺気を飛ばして牽制した十数秒後、回転が止まった自動車のドアから、小吉が顔を覗かせた。
もうちょっと頭を引っ込めた方が良いんだけど……敵の殺気は、今のところあたしに向いてるから注意はしなくて良いか。
「退け、女。お前にも運転手にも用はない。自分が用があるのは、そこで身を縮めている臆病者だけだ」
「嫌じゃ。あたしはあん人の護衛なんでね。じゃけぇ、ここを退くわけにゃあいかん」
それ以上に、目撃者を生かして帰すなんてほざくような三流の言うことを聞きたくない。
アンタ、ちゃんと証拠とか
そんな目立つ格好で、しかも銃ぶら下げてあたしたちを追い回して、人の記憶に残らないとでも思ってるの?
ちなみに、あたしはちゃんとしてるわ。
東京駅の時だって、ちゃんと
あたしが刀を振り回してるところなんて、小吉くらいしか見てないはずよ。
さらに、見られても問題ない。
だって
例えあの時あの場にいた人の誰かが、学生服の上にコートを羽織った女が刀を振り回していたのを見たって証言しても証拠にはならない。
それでもいちゃもんつけられたら、「軍刀を見せてもらって、ついついはしゃいじゃいました~テヘ♪」とでも言っとけば大丈夫よ。たぶん。
「ならば名乗れ。名も知らぬが者を殺すなど、自分の流儀に反する」
「あたしの名を聞きたきゃあ、まずは自分から名乗りんさいね。それが礼儀じゃろう?」
「……確かに、そうだな」
いや、礼儀云々の前に、殺し屋が名乗り上げなんかするな。
と、普通の殺し屋なら言うのかしら。
でも残念ながら、暮石家は普通じゃない。
これはうちの特徴の一つなんだけど……何故かこういうノリが大好きなのよ。
普段はやらないんだけど、名乗れと言われたら名乗りたくなっちゃうのねぇ……あたしも例に漏れず。
「元沖縄守備軍、第32連隊所属。小野一等兵」
「……暮石家五代目当主候補。暮石 七郎次」
「暮石?噂の暗殺者一族か。実在していたとは驚きだ」
そうでしょうともそうでしょうとも。
なんせうちに依頼できるのは、陸軍でも限られた者のみ。
猛おじ様はうちと陸軍との連絡役だったから、父様が仕事を始めた頃から暇さえあればうちに来てたらし……は、置いといて。
「そんな
「お前こそ、そんな短刀でどうする気だ?その距離では、自分には決して当たらんぞ」
そりゃあ当たらないわよ。
この短刀が30間も離れてるアンタに当たると思う?どう考えても当たらないでしょうが。
ん?でも、そう言われると当ててやりたくなったわね。
ギリギリ射程内だから魂斬りで事は済むし、必要もないのに当ててやりたくなったわ。
だったら……。
「小吉、よう見とってね」
小吉に、あたしの実力をわかってもらうためにもぶった斬ってやる。
でもそのためには、アイツに近づく必要がある。
だから、あたしは歩いたわ。
何の構えもとらず、変に力も入れず、散歩にでも出るように自然な動きで、あたしは歩を進めた。
当然、アイツは発砲。
でも、銃弾はあたしに当たらない。
ずっと額に狙いを定めているのなんてわかってたから、発砲するより前に狙いを外してやったわ。
これが……。
「暮石流呪殺法、段外の
その、一番基本的な使い方。
なぜ段外かと言うと、これは術と言うよりは暮石家の人間に生来備わっている本能に近いモノだから。
それはもう一つの段外である柳女も同じ。
あたしたち暮石家の人間は、映像として見てしまうほど死に敏感で、気配を
「どんな……手品だ?」
「種も仕掛けもありゃあせんよ。単に、アンタの攻撃がわかりやすすぎるだけいね」
嘘は言ってないし、手品でもない。
それでも、アンタが撃った五発の銃弾を撃たれるよりも前に躱し、距離を詰めるのには十分。
このまま柳女で、今のあたしにアイツの視線と意識を注目させて距離を詰め、右腕なり落とせば勝負ありなんだけど……せっかくだから、もう少し演出するとしますか。
「弾切れかい?ええよ。弾を込めるなり、腰の物を抜くなりしんさい。それまで、待っちゃる」
気配だけ……ね。
あたしは柳女で気配だけを残して、狙撃銃を投げ捨てつつ右手を腰の拳銃へ伸ばしているアイツの真横へと、再び歩を進めた。
歩を進め真横に陣取り、拳銃を抜こうとしている敵の右腕、肘から先を斬ってやろうと短刀を持った右腕を振り上げようとしている最中に、違和感に気づいた。
この気持ちは何?
嬉しい?違う。
じゃあ楽しい?これも違う。
強いて言うなら、その両方。
心臓は鼓動を早くしようとしているのに、あたしはそれを押さえつけてる。
もしかしてあたし、ワクワクしてる?
何に?
殺しに?いや、それはない。
殺しはあたしにとって日常。
夕飯にするために野草をつんだり、銀杏を拾ったりするのと同じ行為。
じゃあ、戦い自体に?
これも違う。
あたしにとって、戦いとは余計なモノ。
戦いになる前に殺すのが普通だと、教え込まれた。
だから、先の二つにワクワクしてるんじゃない。
だったら、何に?
「ば、馬鹿な!いつの間に……!」
「敵の言うことを信じるなんて、アンタは阿呆か?」
考え事をしつつも、あたしの体は敵の右腕を斬り落とした。
今は仕事中。
考え事は後にしなさいナナ……いえ、七郎次。
今あたしがすべきことは、血が
あれ?あたし今、コイツを憎んでる?
どうして?
「そいつを殺すな小娘!尋問して依頼人を吐かせる!」
「何であたしがアンタの言うことを聞かにゃあいけんのね。小吉がそうせぇっちゅうならそうしちゃるが、そうでないなら殺す」
突然大声を出すな
おかげで、何を考えてたか忘れちゃったじゃな……おいお前、何をしてる?
「ナナさん!今すぐ殺して!」
迂闊。
あたしとしたことが、反応が遅れた。
アイツは小吉へ向かって駆け出し、腰に括っていたと思われる……手榴弾ってヤツかな?を、取り出して、すでにあたしと小吉の中間点に至っている。
もしかして、小吉ごと自爆する気?
そんなことはさせない。
後ろからだから、あたしの魂斬りじゃあ仕留められないけど、このまま追えば首、もしくは心臓を狙える。
あたしは腕力がないからあまり胴体は狙いたくないけど、体当たり気味に刺せば妨害にもなる。
だから刺した。
敵の左に移動し、突き飛ばすつもりで真横から心臓を刺した。
これで、敵は即死。
あとは、手榴弾が爆発する前に逃げるだけ……だったのに、左目の端に小吉の姿が映った。
どうして、そこにいるの?
どうして、あたしに体当たりなんてしたの?
どうして、あたしを抱き締めるの?
それじゃあまるで、あたしを守ろうとしてるみたいじゃない。
「痛たたた……」
小吉があたしを抱き締めた数瞬後に、手榴弾が爆発した。
あの距離じゃあ爆発圏内から逃げ切れてない。
きっと、背中を怪我してる。
なのに、小吉は呑気だ。
痛いはずなのに、苦笑いをして何でもない風を装ってる。
考えてやってるのかどうかはわからないけど、大したはことないと必死に取り繕っている。
そんな小吉を見てたら、かつてないほどの怒りが胸の内に渦巻いた。
怒りすぎたからか、悲しみまでこみ上げて来た。
その感情の
「こん……ド阿呆が!なして、あんな事したんや!」
「いやその、体が勝手に……」
怒鳴っていた。
あたしは、生まれて初めて怒鳴った。
でも、不思議と驚きはない。
むしろこのまま、感情の流れにに身も心もまかせてしまいたいと思い、そうした。
「勝手過ぎるわい!あんなに勝手なことされちゃあ、守れるもんも守れん!そんくらい、軍人なんじゃけぇわかるじゃろうが!」
「ごめん……」
謝るくらいなら、最初からやるな!
とも、言ったと思う。
馬鹿とか阿保とか童貞とか助平とか、思いつく前に口から罵詈雑言が飛び出ていた。
そんなあたしを、小吉は優しい目で見ていた。
年下の小娘に好き勝手言われているのに、小吉は怒るでもなく呆れるでもなく、ずっと見つめてほしいと思ってしまうくらい優しい瞳で、あたしを見ていた。
そして、小吉は……。
「ちょっ……!小吉!?」
あたしの頭を、胸に抱いたまま寝息を立て始めた。
軍人さんに「油屋中将!無事……の、ようですね」と呆れられても、あたしに「小吉……。あの、苦しい。苦しいけぇ離して」と言われても、意識を完全に失うまで、あたしを抱き締めてくれた。
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