第3話 青い手

<【】は魔族語。人語は「」>


 サッと草むらを薙ぎ、鈍く光る穂先が突き出され、ハラハラと幾筋もの緑を散らした。


【ぎぎぃっ! 見ろよっ!!】


【げひゃひゃぁっ!! とんだ間抜けだぜっ!!】


【が、ガキの足跡だ! こりゃ、絶対ガキだぜぇっ!!】


 黄色い歯茎をむき、歯をガチガチ鳴らす三つの黒い影は、我先に駈け出そうとするのを押し合い圧し合い掴み合う。


【馬鹿野郎っ!! この腐れ尻穴が!! 見つけたのは俺だっ!! 俺が先ず頭と腸だっ!!】


【や~かましいっ!! 捕まえた奴が一番ウマイとこだっ!!】


【い、い、いっちばぁ~~~んっ!! げへっ! げひゃへっ!!】


 ガランと兜を叩く乾いた音に、ピシリと鋭くやり返す。

 パッと離れた二匹は、やるかとばかりに投げ槍を構え、片や弓に矢を番え、その切っ先を向け合った。


【お~、やっちょれやっちょれっ!】


 残る一匹が、これ幸いとひょこひょこ先に走り出し、慌ててこれを追いかけた。


【き、きったねぇっ!! きったねぇっ!!】


【くせえっ! くせえ奴だっ!!】


【知るかっ!! お袋の穴にでも聞けっ!!】


 そう罵りながら、一歩先んじたジャダガバは、鼻を目一杯膨らませ、その辺に残る良い臭いを嗅いだ。直感で、どうもメスらしいと思った。それも、若いメスだ。もしかしたら、子を産む前のメスかも知れない。そう思うと胸が高鳴った。柔らかい肉だ! 柔らかい肉だ! 脳も内臓もみんな俺のもんだ!!

 そう思うと、どうやったらこの二人から肉を独り占め出来ないものか、足跡と臭いを追いながら、そればっかりが頭を支配するようになった。

 それは、後を追う二人も同じ気持ちだった。



 生い茂る草の間から、黒い影がちらちら見え出した。


 おぞましくも醜い姿。昼間は森や洞窟の奥深くに潜み、夜になると集団で村や旅人を襲うと言うゴブリン鬼に違い無い!

 手に手に物騒な武器を持ち、顔の見える黒い兜と、何かの毛皮をまとい、黒い肌の上に描かれた白い文様までが見てとれた。


(どうして!? お日様が出てないから!?)


 雨は止んだものの、空は相変わらずに黒い雲がかかっている。陽光降り注ぐ真昼間には、太陽を恐れて表には出て来ないと聞いていた。

 アーリアは、そっと音を発てない様に荷物へ手を伸ばし、その中から小さな金属片を取り出すと、それ以外は小脇に抱えた。

 手の内には小さな小さなナイフ。拳と同じ位の刃渡りで、厚みも随分と減っている。何十年と、人の手で砥がれて使われて来たナイフ。それがアーリアの唯一の武器だ。


 ゆっくりと後ずさるが、ゴブリン達の歩幅は圧倒的に広く、ずんずん近付いて来る。

 流れにのって流されれば助かるかも知れないけれど、リュートは絶対濡らしたく無かった。先生の形見のリュートだけは。

 反対側に駈け出しても、後ろから追いかけられて、あの槍を投げつけられたらどうなるだろう?

 万が一に賭けて走ろうか。

 走るべきか。

 走ろう!


 ナイフで戦って、とても勝てる気がしない。


 そう思って、水辺から上がろうと腰をあげかけた時、小川の流れが不意に変化した。

 まるで、足元をすくわれる様に、ひょいと、本当にひょいっと。

 ふんばりが効かなくなって、呆気なく水の中へ。


「へ? ひゃはぁっ!?」


 思わずもがこうとしたら、両脇の下から何かがにゅうっと突き出して、青い手がアーリアの顔を、とくに口の辺りを覆った。


(リュ、リュートぉぉぉぉっ!!!)


 水底深く引きずり込まれる視界の隅に、私の荷物が。


(第一、私、泳げないんだからぁ~っ!!!)


 死んだな……

 全てが終わった。そんな虚脱感が私を支配する。


 思えば短い一生だった。

 英雄様みたいに、華々しい人生を送りたいなんて、これっぽっちも望んじゃおりませんでした。

 せめて、せめて、家を持って、子供や孫に囲まれて、幸せな一生を過ごしましたとさと老衰で幽界へ旅立ちたかった……


 さあ、こうなったら、瞳を閉じておとなしく幽界へ旅立とう!


 半日遅れなら、先生に追いつけるかも知れないし。

 願わくば、次に生まれて来る時は、貴族か役人か、商人か職人か、少なくとも子供を手放さなくても良い家庭に生まれたいかな?


 それだけ心の内を整理した瞬間、耳や鼻から水が入ってびっくり! 思わず、ぶはっと口の中の空気も吐き出して、代わりに口の中へ何かもじゃもじゃぐにぐにごりごりした苦いものが飛び込んで目を白黒。


「死ぬーっ!! 死ぬーっ!! 今すぐ死んだーっ!!」


 そう絶叫してのた打ち回ったアーリアは、おぼれ死ぬという感覚が余りに苦しく無い事に、ふと不思議に思った。


「ああ、きっと、もう死んじゃったから、苦しくないんだ!」


 簡単な事だ。

 人間、生きているから苦しいんだ。死んでしまったら、苦しむ事なんか無いんだ。あ~さっぱりした!



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