レベル0 ~ぱんぴー~

第2話 気配

 淡い風に乗り、涼やかな流れる水音が耳をくすぐると、もう我慢出来ない!


「水! 水! 水ぅ~っ!!」


 堪えていた衝動が堰を切った。


 弾ける様に駈けると、マントが大きく膨らんでバタバタ叫ぶ。

 野原に走る獣道をじぐざぐに突っ切って、アーリアの小さな影がぽ~んとかっとんだ。

 大気を掻き分け、それすらも泳ぐ気分でこれから始まる至福の瞬間を夢想し、歓喜に打ち震えるのだ。


「おお風よ! 風よ! 私をあの水辺へ運んでおくれ! 水鳥の羽ばたきの如く! 軽やかに! 速やかに! 鮮やかに!」


 まるで風に後押しされるみたいに、アーリアは水辺の草むらに着地すると、くるっと一回転。目の前の光景に目を輝かせた。


「あっぶな~い! もう少しで転げ込むところだったわ~」


 ハッと息を吐き、青い瞳をぱちくり。


 水草生い茂る小川は、アーリアが一跨ぎ出来そうな程に小さかったが、少し前まで降っていた雨の性か、水底は軽く膝くらいまではありそうに見える。


「という事は、もうちょっと深いかも?」


 う~んと唸りながら、更に川の様子を伺った。


 ゆらゆらとたゆたう青い水草には小さな白い花が幾つも咲き、その間を数種類の小魚達がつーんつーんと流れに逆らう様に泳いでいる。


(どうやら、変な魔物が棲みついている様な、物騒なものではないみたいね)


 平穏そうなその様子に、ほっと一安心。

 その場にぺたりと座り、深々とおじぎをした。


「水の精霊達よ、どうかその流れで身を清めるお許しを・・・貴方がたのお住まいを、僅かに騒がすお許しを……」


 一息つく。


 その間、返事は無いみたい。ただただころころと笑う様な水音だけが響いている。


「という事は、オッケーって事よね~♪」


 パッと起き上がると、キルトのマントを脱いで四角く畳む。続いてベルトを緩めて、上着から。

 脱いでから臭いをくんくんと確かめて、顔をしかめた。重労働で汗をたっぷりかいたから、これはもう駄目。


 手早く脱いだ物を畳むと、手の届く場所にそろえた。

 当然、誰かに見られていないか、辺りを警戒する事は忘れません。


(よしよし、大丈夫大丈夫と……)


 我ながらほっそりとした白い手足。こんなので、これから大丈夫~?


「せめて、ドワーフさんやノームさんくらいがっしりしてればな~……」


 ぐっと腕を曲げて力こぶを作ってみるけど、これはもう絶望的に……それどころか、筋肉痛でむっちゃくちゃ痛い!


「うう~……い、痛いのは生きてる証拠~!」


 とほほな面持ちで、川面を覗き込むと、確かに疲れたような青い目の女の子が、ぐにゃぐにゃに歪みながらこちらを見つめていた。


 こんにちは、と言えばあちらもそう言ってるみたい。


「それにしても、酷い顔ね。アーリアさん」


 そっとその中に手を差し入れてみる。すっごく冷たい!


 それでも、先ずは土でがさがさの指から、もみもみ。指と指の間から土気色の流れが、糸の様に散っていく。


 散っていくんだな~……


 ハッと我に返って、思いっきり変な顔を洗った。きっと、ものすごく変な顔をしてたから。


「よ~し、気合よ! 気合!」


 ぐっと両手で拳を握るけど、実際握力は馬鹿になってて、全然力が入らない。

 それでも両脇しめて、左の爪先からそっと、そっと……


「くぅ~っ!!」


 冷たくて冷たくて身がよじれちゃう!

 それでも我慢!

 我慢よ! アーリア!!


 汚いまま、臭いまま、宴席に呼ばれる訳無いじゃない!

 せめて小奇麗に! それでも小奇麗に! 出来るだけ小奇麗にしておくの~っ!!


 震えながら、最後にぬいだ下着にがっと手を伸ばす。

 洗え! 洗うのだ、アーリア!!

 私の中で、何かが強大な使命感となって突き動かす。

 先生! 私、洗います!!


 何か間違った方向に突き動かされている感覚もある事ながら、これが私の生きる道~とばかりに手もみ洗いを始めようとした瞬間、がさり、何かの気配が、少し離れた草むらの向こうから響いた。そんな気がした。


(の、野うさぎかなんかだよね?)


 凍りついた気分で、身を川面に沈めつつ、ゆっくりと浮上させる。その向こうに何があるかを、そっと確かめようと……


 そこへ、余り聞き慣れない耳障りな声が。


(三人っ!? しかもこれって……)


 只でさえ凍りつきそうなアーリアの体から、いつもより余計に血の気が失せていく。

 荒そうな造りの槍らしき穂先が、空を指して揺れている。それが徐々にこちらへと近付いて来る、そんな気がした。


(ゴ、ゴ、ゴブリン鬼~っ!!?)


 汚物でも叩き付け合う様な、そんな汚い響きが、まるでアーリアを目指しているみたいに、次第に大きくなってきていた。


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