第18話 戦いの狼煙

「どういうことじゃ?」


 普段の師匠から想像のつかない静かな声がもれた。冷淡な口調とはうらはらにその顔は真っ赤に染まっている。まるで煮えたぎる胴汁を飲み干したかのように。

 ゆっくりとタイガージとの距離を詰めていく。

「ワシはおまえに一ヶ月後に来いと言ったはずじゃが?」

 師匠が足を止める。ふたりが向かい合った。

 小学生のように小さい師匠、その3倍はあろうかという巨躯のタイガージ。圧倒的な体格差だ。遙かに大きいはずのタイガージがなぜか小さく見える。

「話がちがうのぉ?」

 師匠が相手の顔を見上げながら言った。

 タイガージ顔は動かさない。視線だけが師匠に向いている。

 せっかちだとは聞いていたが、まさかここまでせっかちだとは思わなかった。どうせまた前回のように叱られて帰ってゆくのだろう。

 しばしの沈黙のあとにタイガージが口を開いた。

「話が違うってんなら……あんたもだぜ」

 師匠の肩がほんのわずかに動いた。

「五道転輪王の手引きじゃな……」

 はじめて聞く名前だった。閻魔大王と同じく王を冠した名前。

「答える必要はねぇ」

 タイガージの体躯からは似つかわしくない、押し殺した声が聞こえた。

 それを聞いて師匠は黙った。

 タイガージもそれ以上なにも言わない。

 沈黙が苦しい。

 俺は為す術なく、ただふたりの様子を眺めていることしかできなかった。

 風にゆられる木々の音が急にうるさく感じられた。


「……好きにするがよい」

 師匠はそう言って相手に背を向けこちらに戻ってくる。

「いいんですか師匠。完全にあいつナメてますよ!」

 師匠の肩を掴んだ。

 ここでタイガージを追い返してくれないと困る。

「鬼獄界が十王のひとり、五道転輪王。あやつの差し金じゃ……」

 師匠が首を振る。

「戦って勝つならばたやすい。しかし政治であやつに勝る者はいないんじゃ」

 肩を掴む手に力が入った。

「そ、それじゃあ……」

「ワシがどうこう言おうとタイガージは納得するまい……」

 申し訳なさそうに師匠が言った。

 こんな師匠を見たのははじめてだった。

 それは戦いは避けられないという意味でもあった。

「こんなことになるならば分身体ではなく、無理矢理にでも本体で来るべきじゃった……」

 師匠のその言いようからそれができなかった理由がなにかあるのだと察せられた。

 だから仕方なく分身体で人間界に来た。

 下を向いたままの師匠を見つめる。

 師匠が分身体で来たことにもなにか意味があるように俺には思えた。

「顔を上げてください師匠。分身体だからってなにも悪いことばかりじゃないですよ」

 師匠が俺を見る。

 一週間前までは目の前の恐怖にただ震えることしかできなかった俺を。

「俺は強くなりましたよ」

 目と目が合う。

 師匠の目が大きく見開かれた。

「いや、悪いことばかりじゃ……」

 師匠が顔をしかめて言った。

「思い出すんじゃ。おまえはなぜ三途の川へ行った。おまえはなぜボロボロになるまで岩ゴリラと戦った。おまえはなぜ危険を侵し顔面でボールを受けた。おまえはなぜビルの爆破に巻き込まれた。おまえはなぜ戦術兵鬼と戦った」

 師匠の言葉を聞き、この数日間が頭のなかに流れる。

「思い出しました。俺はなぜ命拾いして鬼力を手に入れられたか。俺はなぜ岩田先生に殴り勝てたか。俺はなぜ150kmのボールを至近距離で避けれたか。俺はなぜ伝説の刀を手に入れて生き残ったか。俺はなぜ熊より強い戦術兵鬼を倒せたのか」

 自信をもって断言できる。

「全部、師匠のおかげです」

「おまえは……孫太郎は……ワシの……」

 師匠の瞳が光っているように見えた。

「弟子です!」

 俺は力強く答える。

「はじめての弟子じゃ……」

「え?」

 師匠の言葉にあっけをとられる。弟子が何人もいるとかも嘘なのかよ。

「なんか……『ワシはエンマじゃ。嘘はつかん』とか言いませんでしたっけ?」

 師匠の目が泳いでいる。

「ワシは嘘つきじゃ……舌を引っこ抜くか?」

 舌をちょろっと出して目が笑っている。

「……抜きませんよ」

 そう答えた。

 それを聞いて師匠がどんな顔をしていたかはわからない。

 俺は別の顔を見ていたからだ。

「まずはそこの嘘つき野郎の舌を引っこ抜きます!」

 俺の目には怒りに満ちた表情のタイガージが映っていた。


「ぺちゃくちゃ喋ってやがるから待っていてやれば……」

 タイガージが地べたから勢いよく立ち上がった。

「おまえ……強い言葉を使ったな……俺様より……」

 逆立った髪の毛がわなわなと揺れている。

「俺様より弱い癖に! 強い言葉を使ったな!?」

 タイガージの叫びと鈍く重い音が森林に響いた。

 いっせいに鳥たちが羽ばたく音をかき消すように樹木が倒れていく音がする。まるでドミノ倒しのように何本もの樹木が一直線に倒れていた。

 タイガージの一発のパンチによって。


 忘れていたわけではない。しかし初めてタイガージをみたときのことを思い出す。

 ヤツには銃弾も効かない。戦車の砲弾も効かなかった。戦車を素手でバラバラに破壊していた。

 俺がこれから戦う相手。エニグマ・タイガージの規格外の強さをあらためて思い知った。 

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