本当の願い

 それから3時間ほど喋り続けたところで女子会はお開きになった。表情筋を使い過ぎたせいか、終わった頃にはくたくたになっていた。電車の関係から加奈と由美とは途中で別れ、葵と2人で帰路につく。2人と別れた時にほっとしていることに気づき、そんな自分にまた罪悪感を抱いた。

 帰りの電車は空いていて、智子は葵と並んで座ることが出来た。暮れなずむ空を見上げながら、智子は1日の終わりを感じていた。小説を書いていた頃は、作品を書き進められた達成感や、心地よい疲労感に包まれたものだけれど、今はただ気を遣った徒労感や、漫然と休日を過ごしてしまった罪悪感が生じているだけだ。だが、それが普通のOLなのだと自分に言い聞かせることにした。

「はー、いっぱい喋って疲れちゃったな。でも、久しぶりにみんなと会えて楽しかった!」

 智子があえて大声で言った。だが、葵は固い表情で智子を見ると尋ねてきた。

「智子……ホントに今日楽しかったって思ってる?」

 智子はきょとんとして葵の顔を見返すと、努めて明るく言った。

「あったりまえじゃん! みんなの色んな話聞けて面白かったし……」 

「ホントに? 智子、話聞いてる時もぼーっとしてたけど、実はあんまり興味なかったんじゃないの?」

 葵の鋭い指摘に智子は言葉を呑み込んだ。さすが、他の2人よりも親しいだけある。

 智子は少し迷ったが、正直に告白することにした。

「……うん、そうかも。あたしも25歳なんだから、結婚とか考えなきゃとは思うんだけど、いまいち関心が持てなくて……」

「そっか。じゃあ、逆に智子は今何に関心あるの?」

 葵のその一言に、智子は心が揺さぶられるのを感じた。自分が今関心のあること。それは言うまでもない。

 だが、それを言葉にしてしまってもいいものだろうか。1年半前から執筆に打ち込んでいて、今も作家を目指している。そんな本音を吐露とろして、葵は受け入れてくれるだろうか――。

 智子が逡巡している間にも電車は走り続けている。このまま隠し通すことは難しくはない。下手に作家志望であることを告白して、いつまでも夢見心地であることを指摘されて傷つくくらいなら、いっそ黙ったままでいた方がいい。加奈や由美の前でそうしたように。

 だけど――智子の中の何かが、今ここで葵に真実を打ち明けることを切望していた。

 誰にでも気軽に言えるわけではない。それでいて、心を許した相手には知ってほしい、自分の根幹とも言える部分。文才のなさに打ちひしがれ、何度も挫折しそうになりながも、何とか足掻あがいて作品を完成へと近づけていく。それほどまでに心を砕き、心血しんけつを注ぐものの存在を智子は知ってほしかった。

 共感や理解を求めているわけではない。応援や賞賛を求めているわけでもない。ただ、自分という人間を形作っている、その根底に流れるものを知ってほしかった。

「……実はあたし、小説を書いてるんだ」

 その一言を口にするのに随分時間がかかった。途端に自分が丸裸にされたような感覚に襲われる。

「小説?」

「うん、学生の頃からずっと書いてた。就活の頃から止めてたんだけど、最近になってまた書き始めて。

 で、こないだ初めて新人賞に応募したんだけど、結果は一次落ちで……」

 決意が揺らがないうちに智子は一気に言った。そうして本心を言葉にすると、不思議とき物が落ちたような感覚があった。

「そうなの? 全然知らなかったんだけど、何で言ってくれなかったの?」

 葵が尋ねた。責めているのではなく、単純に不思議がっている口調だ。

「だって……この歳になって作家目指してるとか恥ずかしいじゃん」

「そんなことないと思うけど……。1日何時間くらい書いてるの?」

「休みの日だと半日はざらかな。下手したら1日書いてる時もあるし」

「え、そんなに!? もう仕事並みだね。もしかして最近あたしの誘い断ってたのも、小説の方が忙しかったから?」

「……うん、実はそうなんだ。週に2日しか休みないから、ちょっとでも書き進めたくて。葵には申し訳ないと思ってたんだけど……」

 智子は葵の顔を盗み見た。葵は視線を落としたまま何も言わない。怒っているのだろうか。 

「……すごいね」

 やがて葵がぽつりと言った。智子は目を瞬いてその顔を見やる。

「社会人になると仕事以外のことは後回しって人多いけど、智子は仕事を言い訳にしないで、目標に向かって頑張ってるわけでしょ? それ、すごいことだよ?」

「……そうかな」

「そうだよ! しかも智子の会社って働きやすそうだし、このまま続けた方が楽だって思うじゃん? なのに智子は、楽な方に流されないで夢追っかけてるんでしょ? なかなか出来ることじゃないよ?」

 葵が心から感心したように言った。気休めではないその言葉に、ほんのり心が慰められるような感覚が芽生える。

「でも……加奈や由美見てると、自分1人だけいつまでも成長出来てない気がするんだよね……」

「そんなことないよ。智子は自分がやりたいことわかってて、それに向かって頑張ってるわけじゃん? あたしらは何も目標ないし、適当に時間潰しながら生きてるだけだもん。逆に羨ましいよ」

 羨ましい。そんなことを言われるとは思わなかった。告白する前は拒絶されるかもしれないと思い悩んでいたのに、温かい言葉をかけられ、智子は何だか泣きそうになってきた。

「ね、その小説ってさ。ホームページとかに載せてるの?」葵が不意に尋ねてきた。

「ううん。パソコンに放置してる」

「そうなの? もったいないね。せっかく書いたんだから公開すればいいのに」

「えー、でも落選した作品なんて読む人いるのかな?」

「わかんないよ? 少なくともあたしは読みたいな! 智子が書いた小説!」

 葵が身を乗り出してきたが、智子は逡巡しゅんじゅんした。

 作品を人に見せるのは内面をさらけ出すも同じだ。自分にそれほどの勇気があるのだろうか。たった一度の失敗でこれほど打ちひしがれているのに、再び作品を日の目にさらして、また自分を傷つけることにならないだろうか。

 ――でも。そこで智子は、自分の心から湧き上がってくる思いがあることに気づいた。

 本当は読んでほしい。自分が心血を注いで書き上げ、傑作だと自信を持って送り出した作品。それを読んで、誰か1人でも面白いと言ってくれる人がいたら、その時は報われたような気持ちになる。自分が生み出したものが誰かの心に届き、少しでも誰かを幸せにすること。それは創造者にとって至宝しほうの喜びと言えた。

「……わかった」

 やがて智子はぽつりと言った。

「小説投稿サイトがあったはずだから、そこにアップしてみる。それから葵にもURL送るわ」

「本当!? わー楽しみだな! 読んだらちゃんと感想送るね!」

 葵がはしゃいだ声を上げた。お世辞でなく楽しみにしてくれていることがわかり、心がほんのり暖かくなる。

 何だ、受け入れてもらうのってこんなに簡単だったんだ。自分が臆病になっていただけで、世界はもっと優しいものだったのかもしれない。

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