人並みの生き方

 選考結果を知ってから2週間後の日曜日。智子は学生時代の友人に会うためにレストランに向かっていた。かつてのサークル仲間だったあおいから誘いを受けたのだ。


『智子、久しぶり! 今度加奈と由美と集まることになったんだけど、よかったら智子もどう?』


 加奈も由美も同じサークル仲間だ。少し前までの智子なら、友人との時間よりも執筆を優先し、心苦しさを感じながらも断っていただろう。

 だが、今の智子は一も二もなく快諾した。少しでも心の隙間を埋めるものが欲しかったのだ。

 レストランに着くと、他の3人はすでに来ていた。智子の姿を見ると、一様にぱっと顔を明るくして手を振ってきた。

「智子、久しぶりー! 会うのいつ以来だっけ?」

 葵が尋ねてきた。智子はその隣に腰を下ろす。

「えー、いつだろ? 1年前とか? 加奈と由美は卒業してから会うの初めてじゃない?」

 智子はそう言って3人の顔を見回した。1年前と言えば、ちょうど応募する小説を書き始めた時期だ。あの頃は執筆に邁進していて、友達と会う時間さえも惜しく感じたものだが、今からすれば虚しい努力だったとしか思えない。

「確かにそうかも! なんかプチ同窓会みたいだね。

 でもあたしらはともかく、葵とも1年会ってなかったって意外。智子、そんなに忙しかったの?」 

 加奈が不思議そうに尋ねてきた。同じサークル仲間と言っても、その距離感は微妙に異なる。4人で一緒にいても、智子と葵、加奈と由美とで分かれてしまうことはよくあった。

「うーん、仕事は普通なんだけど、あんまり出掛ける気になれなかったっていうか」

 智子はお茶を濁した。学生時代も今も、自分が執筆に勤しんでいたことは3人には話していない。変に思われるのではないかと思い、自分の胸にしまっておいたのだ。

「わかる。社会人成り立ての時は出掛けなきゃもったいないって思ってけど、今はそれより寝てたいって感じだよね」

 由美が我が意を得たりといった顔で頷いた。何も説明していないのに納得してくれて、智子は内心ほっとする。

「ま、今日はせっかく集まったんだしぱーっと行こうよ!」

 葵が場を仕切るように言い、テーブルにメニューを広げた。たちまち智子以外の3人の意識はそちらに引き寄せられる。智子もさも興味を惹かれたような顔をしてメニューを覗き込んだが、実際のところ何を食べたいとも思わなかった。

 注文を終えた後でしばらく近況報告が続いた。話しているのはほとんど加奈と由美で、仕事の愚痴やら同僚の結婚やら、その年頃の女性らしい話題が次から次へと繰り広げられた。葵は葵で、2人の話に何度も頷きながらしきりに相槌あいづちを打っている。

 そんな風にお喋りに花を咲かせる3人を、智子は遠巻きに見つめていた。あぁ、普通のOLはこんな風に休日を過ごすんだ、と思いながら。誰とも会わずに家にもって、1日パソコンに向かうことに喜びを見出す自分はやはり変わっているのだろう。

 そんなことを考えると、智子は自分が生き方の本流ほんりゅうから外れているような気がしてきた。世間の25歳は、仕事や結婚といった現実的な事柄で頭を悩ませているのに、自分が悩むことと言えば小説に関することばかりだ。みんなは社会人として地に足をつけた生活を送っているのに、私だけが何も変わっていない――。

「智子、どうかした? やけに静かだけど」

 葵が不意に尋ねてきた。加奈と由美もお喋りを止めて自分の方を見つめている。智子は慌てて笑顔を取り繕った。

「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてたみたい」

「そうなんだ、大丈夫?」

 加奈が心配そうな視線を向けてきた。大丈夫大丈夫と受け合いながら、智子は自分が恥ずかしくなった。いつまで過ぎたことを引き摺っているのだろう。

「そう言えば、智子は仕事どうなの? 嫌な上司とかいない?」

 由美が尋ねてきた。智子の羞恥心しゅうちしんに気づいた様子はない。

「うちは特にいないかな。職場の人みんな親切で、質問したらすぐ教えてくれるし」

「マジで? いいなー! あたしんとこみんな忙しそうでさ、あんまり質問できる雰囲気じゃないんだよね」加奈が嘆いた。

「結婚の方はどう? 社内で出会いないの?」由美が興味津々の様子で尋ねてきた。

「うーん、若い人は多いけど、恋愛対象として見たことないかも」

「えー、もったいない。うちの会社なんかオジサンばっかだよ。誰か紹介してほしいくらい」

「あたしんとこもそう。ホント、智子の会社っていいよね。あたしももっと就活頑張ればよかったかなー」

 加奈が心底羨ましそうに言った。そんな2人の会話を聞いているうちに、智子は居たたまれない気持ちになってきた。

 そうだ、自分は恵まれている。仕事は安定していて、職場の先輩は優しくて、これ以上何を望む必要があるだろう。

 それなのに、自分はまだ何かを手に入れようとしている。与えられた環境に満足せず、作家になるなどいう荒唐無稽こうとうむけいな夢にしがみついている。

「……そうだよね。あたしはラッキーなんだよね。だから今の会社で頑張らないとね」

 智子は自分に言い聞かせるように言った。加奈と由美は頷くと、また別の話題を展開した。智子も内心を悟られないよう、熱心に相槌を打ち始める。

 これでいい。どこからどう見ても女子会を楽しんでいるOL4人組だ。自分もいつまでも小説のことなんかで頭を悩ませていないで、人並みの生活を楽しめるようにならないといけない。幼い頃からの夢なんて持ち出すから苦しくなる。もっと目の前の現実を受け入れて、与えられた環境に満足すればいい。そうすれば、現実に適応できない自分自身にもだえ苦しむこともなくなるのだから。

 その時の智子は体裁を取り繕うのに必死で、周囲に気を配る余裕がまるでなかった。

 だから気づかなかった。さっきまで2人の会話に関心を寄せていたはずの葵が急に黙り込み、疑るような視線を自分に向けていたことに。

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