18 無情な声
七光りの上司――以前、そのような話を猫太朗はめいから聞いていた。成瀬川という名前がさりげなく発覚したが、そんなことはどうでもいい。
(その上司とやらは、一時的なものではなかったのか?)
猫太朗の中でそんな疑問が浮かんでくる。それを尋ねようとした瞬間――
「あ、切れちゃった」
スマホの震えがピタッと止まり、不在着信の通知がスリープ画面に出ている。しかしすぐさま、再び着信の震えが始まった。
「また同じ人から来てますが……」
「でしょうねぇ」
めいは特に驚きもせず、ただげんなりとするばかりであった。
「それ、スピーカーにして通話ボタン押してもらえますか? 私が話しますので」
「え、でも……」
「ここで出ないと、後で絶対面倒になりますから」
「……分かりました」
納得はしきれていないが、とりあえずここはめいの言葉に従うことにした。病院では使える場所が限られているが、ここは個室であるため、スマホの通話も大丈夫であることは分かっている。
猫太朗はめいの耳元にスマホを置き、通話ボタンを押してすぐさまスピーカー状態にする。
「――もしもし? 西園寺ですが」
『あぁ、やっと繋がった。連絡もなく欠勤するなんてダメだよ?』
「すみません。実は――」
めいは弱弱しい声で、事情を包み隠さず話した。
すると――
『入院? しかもついさっき目が覚めたばかりだって?』
「はい。なのでしばらく会社には……」
『急に困るよ! 突然倒れるだなんて、迷惑以外の何物でもないじゃないか!』
成瀬川の声に『労り』という言葉は含まれていない。あるのは怒りと苛立ちだけであった。
それは黙って聞いている猫太朗でさえ、すぐに分かってしまうほどだった。
『キミって、社会人何年目? 体調管理の一つもできないなんて、恥ずかしいにも程があることぐらい、ちゃんと分かってほしいんだけど』
「す、すみませ――」
『大体ね。ちょっと仕事が立て込んだくらいで大げさなんだよ。キミほどの腕ならササッと済ませて然るべきだよね。なのにこんなたくさん残業するなんて……キミは会社から出るお金を何だと思っているのかな? ここ何日かの勤務表に記した残業時間は、こっちで修正させてもらったよ。ちゃんとしていれば、もっとたくさん減らせたはずだからね』
「…………」
説教に混じって、さりげなく伝えられた事実に、めいは思わず絶句する。何も間違ったことはしていないし、ちゃんと承認もされていた。それを自分の都合のいいように改ざんしたと、成瀬川は言ったのだ。
心の底から悪いと思わないまま――
『ん? 返事が聞こえないよ? もしかして聞こえなかったのかな?』
「……申し訳ございません」
『なんだよ、さっさと返事くらいしないと。子供でも簡単にできることを大人になってもできないなんて、情けないとは思わないワケ?』
「おっしゃるとおりです」
『全く弱弱しい声なんかで誤魔化そうったって、そうはいかないからね? これだからオンナは困るってんだよ。あー、もうヤダヤダ』
もはやパワハラとかモラハラとかでは済まされないのではと、聞いている猫太朗は思えてならなかった。
あまりにも自然な口調からして、普段からこうなのだろうと予測はつく。
めいの表情もショックこそ受けてはいるが、その中にあからさまな『諦め』も含まれている様子であった。
つまりはそういうことなのだろう――猫太朗はひっそりと拳を強く握り締める。
『まぁでも、優秀なキミには早く元気になって、仕事に復帰してもらわないとね』
「え、それって……」
『じゃないと僕の評価が上がらないじゃん』
「……評価、ですか? 部長の?」
『そうだよ。たかが主任でしかないキミの価値なんてそんなもんさ。それ以外にあると本気で思ってたの? そんなのあるわけないじゃん。バカじゃないの?』
電話の向こうの声は笑っていた。まるで中学生が相手をからかうような、そんな軽々しい笑い声が聞こえてくる。
聞くに堪えないとはこのことかと、猫太朗は心から思った。
不思議と暴れたいという気持ちにはならず、むしろスッと頭の中が冷えてくるような感じであった。
無論、電話の向こうの主は、そんなことを知る由もないことであったが。
『ただでさえ会社に迷惑かけた分、業績下がってるんだから。もっと頑張ってくれないと、後輩たちにも示しがつかないよ? そこんところ分かってるの?』
「は、はい。分かっておりま――」
『全くキミが倒れたおかげで、人員の割り振りをやり直さないと……ホント迷惑をかけることしかしてくれてないんだから。優秀だって聞いてたのに、とんだ期待外れってもんだよ。誰がキミみたいなのを主任にしたのか、理解に苦しむね』
猫太朗は腕を組みながら思う。もはやめいの返答など聞いていないのだろうと。
正確に言えば『どうでもいい』のだ。自分が言いたいことを言って、自分が望ましい方向へと話を持っていき、自分の思い描く結論を出す。
電話の主はそれを通すことしか考えていない。
もはや会話のキャッチボールではなく、ひたすら相手にぶつけるドッジボールをしているだけだ。それこそがコミュニケーションの基本だと、相手は割と本気で思っているのかもしれない。
少なくとも猫太朗には、そう思えてならなかった。
『この際だからハッキリ言わせてもらうけど、キミってこの仕事向いてないような気がするんだよね。無理して居座られても迷惑だから、寝ている間に身の振り方を考えてみることをおススメするよ。寿退職でも目指してみたらどう? 多分キミには絶対できないだろうけどさ』
「――っ!」
ここにきて、めいの表情が明らかな強張りを見せた。猫太朗も思わず視線を逸らしてしまったほどだ。
何故こんなことを平気で笑いながら言えるのか。恐らくそれは、理解しようとするだけ無駄なのかもしれない。
『じゃ、さっさと直して早く出社してよね。あーあ、今日も残業かなぁ――』
最後の最後まで、ねっとりとした嫌味な言葉を連ねながら電話を切られる。ずっと黙って聞いていた猫太朗の表情は、スッと冷えていた。
苛立ちを通り越して、妙に頭の中が冴えているような気がした。
しかしいつもの笑顔は出てきそうにない。
ふと、めいのほうを見てみると、彼女は天井を見上げており、震えながら笑みを浮かべていた。
「めいさん――」
「いつも、こうなんですよね」
何かを言おうと猫太朗が呼びかけた瞬間、めいが声を絞り出す。
「自分が起こした火事の火消しを押し付けておきながら、終わったら感謝の言葉一つすらくれない。それどころか炎上を全て私に押し付けてくる――反論しようとすれば上司命令だからと跳ねのけられ、周りの誰も味方になってくれない」
「前に話してくださった……会長の息子さんだからですか?」
その問いかけに、めいがコクリと頷く。それだけで猫太朗は、おおよそのことは察した。
数多くいる上司の中でも、特に逆らえばどうなるか分からない相手であり、なおかつ機嫌一つで何をしでかすか分からない危険人物。
喫茶店をしていれば、そのような不満を聞く機会も多い。
言ってしまえばよくある話であり、それ自体に驚くことはあまりない。
だが――それを除いても、猫太朗は見過ごすことはできなかった。こんなにも弱っているめいを放っておくなど、選択肢としてはあり得ない。
「猫太朗さん」
するとここで、めいが俯いたまま呼びかける。
「私の話……少し聞いてくれますか?」
その問いかけに対し、猫太朗の答えは考えるまでもないことだった。
「えぇ、いいですよ。話したいだけたくさん話してください」
「……ありがとうございます」
そしてめいは、少しだけ落ち着きを取り戻したらしく、震えが止まった。そして天井を見上げたまま、ゆっくりと語り出すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます