10 めいの経緯



「学生時代には、それなりに話す友達はいました。でも……社会人になってからは連絡を取ることもしなくなって……」

「疎遠になってしまったと?」


 猫太朗の問いかけに、めいはコクリと頷く。


「まぁ、それだけならよくある話だとは思っています。私の周りの同僚にも、そういった人たちは結構いますから」

「そうですか……」

「ちなみにですけど、私にはもう、家族と呼べる人もいないんです」


 自虐的に笑うめいだったが、猫太朗は何も答えられない。流石にどう考えても、踏み込むのを戸惑ってしまう感じがしていた。


「それは……僕が聞いてもいい内容なんでしょうか?」

「えぇ」


 むしろ良くなければ、こうして切り出したりなんかしていない――そう思いながらめいは続ける。


「両親は、ずっと不仲でした。私が幼い頃からケンカばかりしていて、二人で仲良く話している場面を、果たして見たことがあったかどうか……十歳の時に離婚してしまいましたが、私は驚きませんでしたね」


 むしろやっと決着をつけたかと、めいは幼い子供なりに思ったものだった。

 もうあんなうるさい声を聞かなくていい――そんな喜びを覚えたことを、今でも簡単に思い出せてしまう。


「私は母親に引き取られたんですけど、親子関係は完全に冷え切ってましたね。幸い祖父が生活を支えてくれて、暮らしに困ることはありませんでしたけど」


 めいの祖父は、大企業で役員を務めていた。裕福な暮らしができていたのも、好きな大学へ行かせてもらえたのも、その祖父からめっぽう可愛がられていたおかげであることは間違いない。

 だからこそ、祖父には感謝してもしきれない。

 その気持ちは今でも強く、これからも胸に抱き続けると、めいは心の中で誓っているほどであった。


「大学進学を機に一人暮らしを始めたんですが、それも全ては、母親と顔を合わせたくないという理由からでした。祖父もその気持ちを汲み取ってくれて、快く頷いてくれたんです」

「いいお爺さんに恵まれたんですね」

「えぇ。私もそう思います」


 無論めいも、ずっと祖父に甘えてられないという気持ちは強く抱いていた。

 学費と家賃などの引き落とし以外は、全てバイトで補うようにした。最初は辛いことも多かったが、いい社会勉強にもなれたと思っている。

 バイトにも慣れてきて、大学生活も安定してきた――その矢先だった。


「その祖父も、私が大学二年生の時に亡くなってしまいましたけどね」


 ずっと前から大病を患っており、発見した時にはもう手遅れだったという。

 祖父はそれを、ごく限られた人を除き、家族にも知らせなかった。故にめいも、葬儀に駆けつけて初めてそれを聞かされたのだった。

 初めて顔を見るような親戚の人々も、たくさん訪れていた。

 めいは不安だった。これから相続の件で、さぞかし面倒な話をたくさん積み重ねていくのだろうと。

 いつかはこのような時が来ると思い、彼女もそれなりに勉強はしていたのだ。

 しかし、実際のところ、それほど話はなかった。

 既に祖父の家は高額で売却されており、遺産整理は予め済まされている――葬儀の席でそう伝えられた。

 これも全ては祖父の意向だった。

 下手に残しておくと、間違いなく相続の件で揉めさせる――それだけはなんとしてでも避けたかったらしい。


「後でこっそりと教えてもらったことですが……祖父は私に、一番多くのお金を遺してくれてたんです。そのおかげで私は、無事に大学を卒業できました」


 卒業までの学費と家賃、そして資格取得や就職活動の費用として、有効活用してほしいという願いからであった。

 その全てが遺言状どおりでもあるため、周りも誰も言えなかった。

 ただ一人――めいの母親を除いては。


「母親からは、たっくさん恨み言をぶつけられましたけどね」


 苦笑しながらめいは思い出す。まるで仇を見るような凄まじい形相で、恨み言を呟いてくる母の姿を。


 ――実の娘である私を差し置いて、どうして孫でしかないあなたにたくさんのお金が振り込まれているのよ? こんなの絶対におかしいわ!


 親戚一同がしっかりと見ているにもかかわらず、母親はめいに言い続けた。しまいには実の娘の胸倉を掴み、大きな声で怒鳴り散らした。

 流石に見過ごすことはできなかったのか、親戚たちが必死に母親を止めた。

 そしてそのまま、母親は会場から追い出されてしまったのだった。


「それ以来、私は母に会ってません。親戚の方々も、私にあれこれ言ってくることはありませんでした。醜い母の姿を見て、ああはなるまいと思ったんでしょう」

「……なんとなく分かる気はします」


 若干戸惑いつつ、猫太朗はとりあえず同意しておいた。あくまでめいの推測に過ぎない話だが、十分にあり得るとも思った。


「そして私は大学を卒業し、無事に就職することができました。一応、産んでくれた恩と義理もあって、母にも手紙で報告はしたんですが――」


 その時のことを思い出しためいは、盛大なため息をつく。


「手紙の返事にお祝いの言葉がなかった挙句、駆け落ちしますという失踪のお知らせが書かれてたんですよ」


 愛する人と新しい人生を生きることにしました――そんな感じの言葉が、何行にもわたって書き連ねられていた。

 さぞかし誇らしい気持ちだったのだろうと、めいは瞬時に思った。

 その手紙を書いている母親の顔が浮かんできてしまい、思わず読んでいた手紙を握り潰しかけたほどだ。

 同時に、めいの中で色々な何かが崩れ落ちた。


「母に新しい恋人ができたこと自体は、風のウワサで聞いてたんです。けれど、あくまでそれは一時的なお付き合いに過ぎないと思ってました。何せ相手は立派な妻子持ちだったんですから」


 呆れ果てた口調で語るめいに、猫太朗はとうとう表情を引きつらせる。


「……それ、普通に不倫じゃないですか」

「えぇ。おっしゃるとおりです」


 しかしめいは、まるで他人事のように頬杖をついていた。


「どうやら母にとって、私はどこまでも厄介なお荷物だったみたいなんですよ。身勝手極まりない愛を育みたくて仕方がなかった……そのために、互いに自分の家族を容赦なく捨て去ったんですからね」


 めいは肩をすくめながら笑う。もはやそうする以外に考えられないのは、猫太朗も分かるような気はした。

 しかしそれでも、なんて声をかけていいか分からない状況に変わりはなかった。

 それはめいも思っていたのだろう。すみませんと言わんばかりに苦笑し、自ら話の続きを切り出す。


「まぁとにかくそんな感じで、私は家族と呼べる人を全て失ったって感じです。これからの自分の生活をどうしていくか――もう、そればかり考えてました」


 今にして思うと、スイッチが切り替わったのだろうと、めいは思った。

 祖父が残してくれたお金も残り少なくなっており、がむしゃらに働いて稼がなければ生きていけないと判断したのだ。

 将来の夢――そんなものは早々に捨てた。

 ただ、安定した生活を得る。それだけを考えて生きるようになった。


「――その結果が、このザマですよ」


 そう言って笑うめいは、明らかに自虐が込められていた。そして猫太朗のほうに視線だけをチラリと向けてみると、彼は変わらず優しい笑みを浮かべていた。


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