06 その名はマシロ
「ほぉ、猫が一匹増えたんですなぁ」
常連客の一人である白髪の男が、物珍しそうに白い子猫を見つめる。
「午前だけ臨時休業となっていたから、何事かと思ったけど……」
「猫ちゃんを保護して、動物病院に連れていくのは、大切なことですものね」
男の妻も愛おしそうに笑いかけると、白い子猫は見上げながら、ニャアと一声返事をした。
その鳴き声が夫婦の笑顔を更に深めさせる。
クロベエのことも、忘れていないぞと言いながら気にかけ、黒猫側も満足そうな表情で撫でられていたのだった。
「すみませんね、佐武さん。驚かせてしまったみたいで」
「いや、そんな気にせんといてくれ」
猫太朗が申し訳なさそうな表情を向けると、白髪の男こと佐武義典は、気さくな笑みを返した。
「カミさんと二人で散歩の途中に寄ってみたら見つけたという、まぁただそれだけのことだから」
「えぇ。この人が妙に心配していたから、私も少し気になった程度ですので」
「お、おいおい、それを言うことはないだろう!」
妻の江津子の言葉に、義典は軽く慌てた口調で言う。しかし江津子はどこ吹く風な様子で優雅にコーヒーを飲んでいた。
これもまた、この夫婦が織りなすいつもの光景である。
従って猫太朗も、特に何事もないと判断し、落ち着いた笑みを見せていた。
「――コホン。ところでこの白いのは、マスターが拾ってきたのかい?」
咳ばらいをしながら、義典は切り出してくる。あからさまに話を逸らしにかかってきていることは明白だったが、誰もそれを追求することはなかった。
「随分とマスターに懐いているようだが……」
「いえ、預かってるだけですよ」
「なんと!」
あっけらかんと答える猫太朗に、義典は目を見開く。
「珍しいねぇ。いつぞやは誰かが拾ってきた猫を押し付けられても、自慢の爽やかな笑顔で突っぱねていただろう?」
「いえ、まぁ……」
猫太朗はどこか言いにくそうに苦笑する。『自慢の』は余計だよなぁ、と思ったものの、それを口に出したところでどうにもならない気はしたので、とりあえず置いておくことに決めた。
「知人からのお願いだったので、まぁ特別にっていう感じですよ」
「なるほど。じゃあ一時的な滞在ということか」
「恐らくそうなるかと」
ただし、その『一時的』がどこまで続くかは分からない。少なくとも白い子猫を保護した彼女が住まいを変えない限りは、ずっとこのままという形だ。
つまり当分は、この喫茶店に猫が二匹佇む形となる。
もっともそれならそれで、商売の役に立つことは確かであるため、猫太朗からすれば何の問題もない。
このままいつもどおりに過ごしつつ、事の成り行きを見守るだけでいいのだ。
クロベエも白い子猫を快く迎え入れているから、尚更であった。
「にぅ」
「んにゃぁ?」
「にゃあ――にぅにぅ」
構ってと言わんばかりにじゃれつく白い猫を、クロベエがうっとおしそうに退けようとする。しかしそれ自体が楽しいのか、結果的にじゃれ合っている構造が出来上がってしまっていた。
そしてそれは、見ている者たちを暖かい気持ちにさせる。
「あらあら、楽しそうなことですわね」
「平和な証だ」
まるで可愛い孫を見守るような雰囲気を醸し出す江津子と義典。実際、それに近い気持ちなのだろうと、猫太朗は密かに思っていた。
二人の家族事情は彼も知らないし、それを問いかけることもしない。
ただ、客として訪れつつ、猫たちが歓迎されることを喜ぶ――猫太朗が抱く気持ちはそれだけであった。
「マスター。コーヒーをもう一杯追加でもらえるかね」
「私も、何か追加で頼んじゃおうかしら」
気分が良くなったのか、佐武夫婦が追加注文をする。当然、猫太朗もマスターとして嬉しくないはずがないわけで。
「――はい。ありがとうございます♪」
思わずにこやかな笑顔を浮かべてしまうのだった。
◇ ◇ ◇
そして数時間後――佐武夫婦も帰り、再び『ねこみや』は静かとなる。
基本的に日が沈む時間帯は、客は一人もいなくなるのだ。
少し営業時間を見直してみるか――猫太朗がそんなことを考えていると、店の扉がやや乱暴に開けられた。
「――!」
カランコロンという音も、いつも以上に大きく聞こえ、猫太朗やクロベエたちも驚きを示す。一体何事かと視線を向けると、今朝早くに顔を見せた女性が、息を切らせながら立っていた。
「こ、こんばんはっ!」
「めいさん……」
必死に張り上げる声に、猫太朗は呆然としながらその女性の名を呼ぶ。とりあえずカウンター席にでも案内しようかと思った、その時――
「にぅっ♪」
白い子猫が嬉しそうな鳴き声とともに、めいに駆け寄ってきたのだった。
「おっと」
「にぅー♪」
「ふふ、なぁに? 私に会いたかったのー?」
めいも白い子猫を抱きかかえ、顎をくすぐり始める。完全に店の入り口に立ったままであることを忘れている様子だ。
そんな彼女の様子に、猫太朗は苦笑しつつカウンターから出る。
「めいさん、ひとまずカウンター席へどうぞ」
「え? あっ、す、すみませんっ!」
「いえいえ」
ようやく正気に戻っためいは、顔を赤くしながらカウンター席へ向かう。白い子猫はしっかりと抱きかかえられており、もはやその姿こそが自然のように見えてくるから不思議であった。
猫太朗は再びカウンターの中へ入っていき、めいの前に立つ。
「今日もお早いお帰りですね」
「えぇ。今日もそんなに忙しくなかったんです。おかげで定時で帰れました」
「そうでしたか」
「もし残業を押しつけられたら、突っぱねてやるつもりでしたけど、その心配もせずに済んでよかったです♪」
「あはは、それはそれは……」
軽い雑談が交わされる中、めいがアイスカフェオレを注文する。急いできたので冷たい糖分を補給したくて仕方がなかった。
猫太朗がカフェオレを作っている中、めいは店内を見渡す。
(今日も私以外、誰もいないや……)
無論、もしかしたら昼間には客がいたのかもしれない。しかしここまでがらんとした姿を見せつけられると、実はずっと一日中こうだったのではなにかと、そう思えてならなくなった。
「お待たせしました、アイスカフェオレになります」
「どうもでーす」
嬉しそうに受け取っためいは、早速ストローで勢いよく吸い込む。冷たくて甘くてなおかつ少しだけ苦みを感じる液体が、喉を伝ってめいの体を癒していく。
静かでゆったりとした店内の雰囲気も相まって、心が安らいできた。
「そうそう。今日は白いあの子猫を病院に連れてったんですが――」
ここで猫太朗が、めいに簡単な結果報告をする。
「少しだけ栄養失調が見られるくらいで、特に病気とかはないと言われましたよ」
「そうですか。ホントに良かったわねぇ♪」
「にぅ♪」
デレデレなめいに、白い子猫も嬉しそうであった。するとここで、めいはあることに気づく。
「あ……ということはお店も……」
「流石に、午前中だけ臨時休業という形にさせてもらいました。でも別に、大したことではありませんから」
「そうだったんですね。すみません、お仕事の邪魔をする形になって」
「いえいえ」
それ自体は本当にどうということはなかった。しかしながら、一つだけ思い当たることがあったので、猫太朗はそれを伝えることにする。
「まぁ、しいて言うなら、問診票書くときに名前がなかったからどうしようかなーっていうのはありましたけどね」
「名前……」
「ちなみに、僕が勝手につけるようなマネはしてませんから」
意味ありげに猫太朗がめいに笑いかける。名前を付けるのはあなたの役目――そう言われたような気がした。
めいは改めて、白い子猫を両手で抱えながら視線を合わせる。
「……確かに保護したのは私だから、名前を付ける権利も責任も、私ですよね」
このまま名無しで行くという選択肢は、考えられなかった。なにより名前を付けてもらうことを、この子猫自身が願っている。
めいはなんとなく、そんな気がしてならなかった。
「えーっと、どうしようかな――」
空を仰ぎながら数秒ほど考える。やがてめいの中に、一つの名前が浮かんだ。
「マシロ……あなたの名前、『マシロ』なんてどうかしら?」
「――にぃっ♪」
「そう。ならばこれで決まりね!」
嬉しそうに鳴き声を上げる白い子猫もといマシロ。めいも嬉しくなり、思わず両手で思いっきり抱え上げ、俗に言う『高い高い』の状態を作り出す。
そんな感じでめいとマシロがはしゃぐ姿を、猫太朗とクロベエが見守る。
互いに自然と顔を見合わせた瞬間、猫太朗はしょうがないなぁと言わんばかりの小さな笑みを浮かべ、クロベエも小さく息を鳴らす。
まるで、同じような苦笑を浮かべているかのようであった。
――ぐうううぅぅ~~。
その瞬間、間抜けな音が盛大に鳴り響く。猫太朗がきょとんとしながら、何事かと視線を動かすと、めいが顔を真っ赤にして俯いていた。
「……何か注文されますか?」
「はい。その……ナポリタンと、グリーンサラダを……」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
猫太朗は何事もなかったかのように注文を受け、調理に取り掛かる。料理が出来上がるまでの間、めいはテーブルに突っ伏して項垂れていた。
二匹の黒猫と白猫に、目いっぱい慰められるというオプション付きで。
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