04 運命の出会い



「はぁ~、美味しかった。ご馳走さまでしたー」

「お粗末さまでした」


 綺麗に平らげられた二つの皿とめいの言葉に、猫太朗も嬉しそうであった。実際その食べっぷりは見事そのものであり、彼でなくとも、感想は似たような感じだったことだろう。


「――どうぞ。お飲みください」


 めいの前にスッと差し出したのは、淹れたてのコーヒーであった。


「えっ? 注文してないと思うんですけど……」


 ゼロコンマ数秒の早さで思い返してみるが、食後の飲み物という形で注文した覚えはなかった。

 戸惑いを浮かべるめいに、猫太朗は優しい笑みを見せる。


「特別にもう一杯サービスです。めいさん、随分とお疲れのようですので」

「あー……」


 そんなことはない、という言葉は出てこなかった。むしろそのとおりであり、微妙な恥ずかしさがこみ上げてくる。


「……そんなに疲れてるように見えますか?」

「えぇ。むしろそう見えない人を疑ってしまうほどです」

「は、はぁ……なるほど」


 めいは思わず、がっくりと肩を落とす。そこまでだったのかと、改めて思い知らされたような気がしたのだった。


(まぁ、確かにねぇ……何も言い返せはしないわ)


 猫太朗の予想は見事なまでに正しい。むしろ疲れない日を探すほうが難しいと言えてしまうほどだ。

 ある意味、慣れという名の恐ろしさを感じさせる。

 疲れを感じないことなんて当たり前――普通に拙い心境な気がしてならず、思わず少しだけ身震いしてしまう。


「にゃあっ」


 するとクロベエの鳴き声が聞こえてきた。視線を下ろしてみると、いつの間にか目の前に来ており、佇みながらジッと見上げてきている。

 なんとなく両手を広げてみると、クロベエは思いっきり飛びかかってきた。


「わっと!」


 驚きながらも受けとめると、小さな黒猫の体がすっぽりと腕の中に納まる。もぞもぞと動くふかふかの温もりが心地良く、いつまでも見ていたいほどだ。


「凄いですね。クロベエが自分からお客さんを慰めるなんて、初めてですよ」


 猫太朗は素直に驚いており、カウンターから軽く身を乗り出す。


「もしかしてめいさん、猫を飼ってらっしゃるんですか?」

「いえ、動物を飼ったこと自体、全くないです」

「そうですか……さっきも少し言ったと思いますが、初対面でそこまで懐かれるってかなり凄いほうなんですよ?」

「はぁ……」


 そうは言われても、実感が湧かないというのが正直なところであった。特に何かをした覚えもないのに懐かれているのだ。むしろ、クロベエが特別に人懐っこいだけなのでは――そっちのほうが信じられるような気がする。


(私、これといって動物に懐かれやすいとかは……うん、ないわよね)


 めいは軽く思い返してみるが、やはりそのような記憶はない。むしろ嫌なことばかり思い出してしまい、少々苛立ってしまったくらいだ。

 それもすぐさま、首を軽く動かして振り払う。


「どうかなさいましたか?」

「えっ、あ、いえ……」


 突然の行為に疑問を持った猫太朗に、めいは慌てて反応する。無意識に誤魔化さねばという気持ちに駆られ、やがて拗ねたような素振りで彼を見上げた。


「猫太朗さんって、女性を口説くのが趣味なんですか?」

「……はい?」


 今度は猫太朗が驚く番だった。いきなり何を言い出すのかと、そう尋ねようとする前にめいが再び口を開く。


「私たち、今日が初対面なんですよ? なのにこんな猫ちゃんに懐かれただけで、そこまで驚きを見せるなんて……女性の心に付け入ろうとしている、哀れなナンパ男の典型的なやり口にしか思えないんですけど」


 そして再びジロリと睨むと、猫太朗のポカンとした表情が飛び込んでくる。そこでめいは、ようやく自分がどんな言葉を発したのか自覚した。


(――って、何言ってるのよ、私? こんなの失礼極まりないだけじゃない!)


 いくら誤魔化すとはいえ、失礼にも程がある。美味しいコーヒーを二杯もサービスしてもらったのに、その恩を仇で返すような真似をするなんて。

 社会人どころか人としてどうなのか――めいは思わず震えそうになる。

 しかし――


「あはは。これはまた随分と、辛辣なことを言ってきますね……」


 猫太朗は気にも留める様子はなく、ただ苦笑するだけであった。そして姿勢を正しつつ、穏やかながらも真剣さを増した目を向けてくる。


「弁解にしかならないことを承知で言いますが――僕は別に、貴方を口説くつもりで喋った覚えはありませんよ」


 落ち着いた声で、はっきりと言い放つ猫太朗。めいは思わず呆けてしまい、まっすぐ向けてくる目に吸い込まれそうな気分にすらなっていた。

 そんな中、猫太朗は言葉を続ける。


「女性を口説く趣味も、全くの誤解です。そもそもこの店に来る若い女性は、めいさんが初めても同然ですからね」

「えっ、あの、そ、そうなんですか?」


 そう言われためいは、素直に驚いた。これだけ綺麗で落ち着く店なら、むしろ女性客が増えても良さそうなものだと思っていたからだ。

 しかしそうではない。

 猫太朗の表情からしても、嘘を言っていないことは明らかであった。


「こんな駅から離れた住宅街の端っこになんて、好き好んで訪れようとする人は、そういるものでもありませんから」

「な、なるほど……」


 言われてみればそうかもしれない。いくら猫がいるとはいえ、それだけで女性がホイホイ来るかと言えば、大間違いもいいところだろう。

 少なくともめいは、同じ女性としてそう思う。

 それは確かに分かったのだが、それならそれで、新たな疑問も浮かんでくる。


「あの、それってつまり、私が『物好き』だと言いたいんですか?」


 改めてジロリと、軽く睨みを利かせるめい。しかしそれに対して猫太朗は、特に驚きもせず慌てることもなく――


「さぁ――それはどうでしょうかね」


 軽く肩をすくめて、苦笑するばかりであった。



 ◇ ◇ ◇



「ご馳走さまでした。本当に美味しかったです」


 会計を済ませ、めいは外に出た。クロベエを抱きかかえながら、猫太朗もしっかりと見送りに出ている。


「ありがとうございました。また是非ともお越しください」

「にゃあっ」


 クロベエもしっかりと鳴き声で挨拶をしてくる。それに対してめいも、手を振りながら頬を綻ばせるのだった。

 改めて背筋を伸ばし、軽く猫太朗に会釈して踵を返す。

 そのまま歩き出しためいの足取りは、いつもよりも更に軽い感じであった。


(あー、やっぱり今日は最高の日だったわね)


 すっかり日が沈んだ住宅地は、いつもの見慣れた光景そのもの。普段なら闇に沈み込んでいくような気持ちにしかならないそれが、今日はなんだか全然違う印象に思えてならなかった。

 有り体に言って満足感に満ち溢れていた。

 もしかしたら、社会人になって以来のことかもしれない。めいは割と冗談抜きにそう思った。


(これからはなるべく、仕事を調整していこうかな)


 定時ないし、少ない残業時間を心がけよう。そして早めに帰り、あの喫茶店に立ち寄って食事をしつつ猫を愛でる。なんとも素晴らしいルーティンではないか。


「――ふふっ♪」


 歩きながら思わずほくそ笑んでしまう。これは是非とも実行しなければと、新たに決意を固めたその時であった。


「にゃぁ……」


 か細い声がどこからか聞こえてきた。気のせいにしては、やけにはっきりと聞こえたように思えためいは、立ち止まりつつ周囲をくまなく見渡してみる。

 やがて、暗がりの中で『それ』を見つけた。

 一匹の小さな白い子猫が、塀と塀の隙間で丸まっていたのだ。

 立ち止まって凝視するめいに対し、その子猫はジッと見上げてきていた。怯えているのとは違う。ただ、心細そうにしていると感じた。


「……にぅ」


 呟くように鳴き声を上げたその瞬間、めいは息を飲んだ。まるで心が鷲掴みにされたような気分となった。

 力のない目でジッと見つめてくるその目に、吸い込まれそうになった。


 めいは無意識のうちに、白い子猫に近づいていた――


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